第20話
この魔窟にいつの間にか生まれ堕ち、多くの子供たちを授かった。
たくさんの愛する子供たちに囲まれて、無駄な諍いや争いなどは起こさず、平穏に暮らしたかった。知恵を絞り、無駄に命を散らさぬ為に縄張りを築き、組織として一定の規則を作った。
最初は順調だったのだ。
縄張りを広げて、魔窟に住まう種族とは程よい距離感を保ち、互いに我関せずとそれぞれの平和を享受していた。
だがそれは仮初の安寧であり、すぐに状況は一変した。
魔窟〈アストラルライアー〉には絶対的な支配者が存在する。
煉獄を思わせる禍々しい深く赤黒い鱗は恐怖を体現したかのよう。刃のように鋭く生え揃った牙は鋼鉄をも噛み砕き、全てを無慈悲に破壊する。天を覆いつくすように広がり、翔く翼は嵐を巻き起こす。その口から噴き出る業火は癒しを拒絶し、決して消えることのない呪いを刻み付けた。
見たことも、誰かに聞いた覚えもない。けれど、その魔窟に生まれ堕ちた魔獣たちは本能で理解するのだ。その怪物は自分たちとは生物として一線を画し、別次元の領域に君臨する強者であると。
かつてこの世界を統べた最強種であった〈龍〉の眷属は、再び世界を支配する為にその可能性を魔窟にて発芽させた。
飛竜は本能の赴くままに力を振るい、魔窟に住まう無辜の生命に絶望と死を突きつけた。
抵抗は無駄。それでも、女王蟻は初めから諦めていたわけではなかった。
「絶対に貴様を許すものか……!!」
この魔窟で暴虐の限りを尽くすその飛竜を打倒すると決意し、子供たちを率いて幾度となく魔窟の平和を勝ち取るために多くの血を流した。
これに女王は多くの子供を喪った。
大切な子供たちは勇ましく理不尽へと挑み、無残に噛み殺された。大切な子供たちは母親を護る為に踏み潰された。大切な子供たちの中でも最強の騎士は無慈悲に腕を焼かれ、一生癒えることのない傷を負った。
絶対的な理不尽の前に女王蟻は為す術がなかった。
本当ならば、種族の主である自分が彼らを護り、死ぬべきだった。助けなければいけない、導かなければいけない子供たちの犠牲によって彼女は絶望しながら生き延びてきた。
「私は無力だ」
この非情な現実をどうすることもできない自身の無力さに、何度自害を試みようと思ったことか。その苦渋と辛酸は彼女のみならず、子供たちにも伝播した。
流石はあの龍王に血を分け与えられた系譜といったところか。飛竜の暴虐は勢いを増すばかりだ。
「いつか……いつの日か、あの飛竜の首を取ってやるッ!!」
そんな虚勢も勢いが次第に衰え、気が付けば子供たちを殺された怒りの烈情も影を落とした。
「もう終わりにしよう。私たちには過ぎた願いであったのだ──」
これ以上殺さない為に、絶望しない為に女王蟻は種族の命を最優先に、陰ながらにその芽を繋げていくことに重きを置いた。
それでも、今までの挑戦の弊害により、彼女たちは飛竜に標的として狙われて、そのたびに多くの子供が殺され、血と汗を流して築いた縄張りも破壊され続けた。
いつ生きる活力が擦り切れてもおかしくはなかった。悪夢のように降りかかる絶望に気が狂いそうにもなった。
しかし、女王蟻は種族を率いて、導かなければいけない。絶望と無力感の中に少しばかりの希望を見出しながら、大人しく暮らしていくしか道はなかった。
……そんな折に、そのヤゴは現れた。
斥候の兵隊蟻の話によれば、そのヤゴはあの飛竜でさえ近寄ることのない絶対不可侵の命の湖から這い上がってきたという。
どういう理屈か、その湖周辺には特別な結界が張り巡っていて、大きな湖があること以外は全てが謎に包まれている。その湖から魔窟全域に流れる水は飲むだけで腹が満たされ、軽い傷程度ならば癒すこともできた。誰がそう呼び始めたのか、その湖は「聖域」と呼ばれる。
そんなところから、今まで一度もなかった魔獣が這い上がってきた。しかも、エルフの少女を引き連れて、主要な縄張りの長たちに接触しているというではないか。これを警戒せずにどうしろというのか。
「──外の世界を見たいんだ」
そうして、実際に会って話してみればその向こう見ずで無謀な野望に、怒りを通り越して呆れ果てた。このヤゴは何も現実が見えていない、口先ばかりの阿保でしかなかった。
その癖、頑固で、他の種族の事を考えずにあの飛竜に喰ってかかろうとしている。
──これはまずい。
ようやく、ここ最近は落ち着きを見せ始めていた飛竜をまた刺激しては再び地獄が舞い戻る。
出る杭は打たなければならない。
「そこまで言うのならば証明してみせろ──」
だからこそ、女王蟻は「試練」と称してその愚かな幼虫を完膚なきまでに叩きのめそうとした。
蟻たちの中でも──いや、この魔窟の中で飛竜に次いで最強の実力を持つ蟻騎士に。いつかの戦いで左の刃腕を飛竜に焼き落されて猶、彼の強さは健在。寧ろ、磨きがかかっていた。
──つい最近生まれたばかりの幼虫風情に勝てる道理もない。
実際、ヤゴは圧倒的な蟻騎士の膂力の前に為す術がなかった。
あれほど大口を叩くのだから、もう少し抗って見せるかと思ったが「所詮はこんなものか」と、女王蟻はその呆気なさに落胆さえした。
所詮は最近になって頭角を現してきたばかりの小物である。そう思えば、寧ろあの蟻騎士を相手によくやったかと思い直す。
我らが誇る最強の騎士によく喰らいついて見せた。その気合と根性は称賛しないでもない。だが、だからと言って奴の無謀で無責任な行動を認めるわけにはいかない。
「往生際の悪い──! このまま死ぬ気か!?」
今まさにそのヤゴは全身を斬りつけられ、意識を失いかけている。
次の一撃で全てが終わる。誰もがそう確信する。
「そこま──」
せめて、その往生際の悪さに免じて命だけは取らないでやろうと、慈悲を巡らせた刹那であった。
「《GURUAAAAAAAAAAAAAAAAA》ッ!!」
雷鳴のように轟く咆哮。今まで感じることのなかった異常な気迫と威圧感が女王蟻たちを襲った。
しかもその発生源はあのヤゴであり、次の瞬間にその幼虫は蟻騎士の腹部を喰い千切り一矢報いて見せた。
「なッ──!?」
その想像もしなかった事態に目を見開き、言葉を失ってしまう。
まさか、まだ覚醒進化もしていない正真正銘の生まれたばかりの魔獣が兵隊蟻たちの変異種である蟻騎士に傷を与えるとは思いもよらなかった。
何より、最後に見せたあの猛々しい威圧感が脳裏にこびりついて離れない。
「あの咆哮はまるで……」
忘れもしない仇敵──飛竜を想起させるその風格はどういうことなのか。
──もしかするとあのヤゴも……? かつて古ぶるしき時代に世界に覇を唱えていた最強種が一体の眷属? あのヤゴが覚醒進化を果たせば……。
そんな期待を覚えたことに女王自身が驚いた。
先ほどまで見下し、唾棄するべき相手だと思っていた相手にいつの間にか期待をしていたなんて……。口が裂けても子供たちには聞かせられない。
「そ、そこまでだ!!」
反射的に女王蟻は声を張り上げていた。
もう少しその声が遅れていれば、本能的にヤゴへとその刃を振り下ろそうとしていた蟻騎士を止めることができなかった。
気を失ったヤゴに彼らを慕う仲間がそのもとへと走り寄る。そんな彼らの姿を見て女王蟻は自覚する。
──認めざるを得ない……か。
方便とはいえ、そのヤゴは「力」を証明して見せた。
彼女の子供たちも今の一部始終を見て、あのヤゴに可能性を感じてしまった。一度吐き出した言葉はもう戻せない。腹を括るしかない。
新しい魔窟の可能性に賭けてみることにした。




