第19話
ずらずらと逃げる場所を徹底的に塗りつぶすかのように、真っ黒な兵隊蟻たちが周りを囲む。あっという間に逃げ場のない決闘場が出来上がった。
もちろん、決闘者は俺と眼前の灰色の騎士蟻。
「心してかかってこい。この刃を跳ね除け、お主の力を証明してみるでござる」
〈騎士〉と呼ばれているのに、何故かその語尾は武士 (?)なのが気になるが、今は栓無き事だ。
ぬらりと不自然に右側に一本だけある刃のような腕が鈍く煌めく。構えは実に自然体。ともすれば眼前の蟻騎士はただ棒立ちしているようにも見えるが、油断できるはずもない。
──こりゃあ、あの女王様の言ってたことは本当っぽいな……。
女王の話ではあの飛竜に致命的な一撃を与えた唯一の存在だと言っていた。
今までは意図的に抑え込んでいたのか、その身に纏う気配は強者のソレだ。モンスター風に言うのならば絶対的な捕食者の風格を滲ませている。
「不思議でござるな。お主とこうして対峙するとあの飛竜を思い出す。古傷が疼いて仕方がござらん──」
蟻騎士は実に穏やかな表情を称えてちらりと左側にあったはずの腕を幻視する。
「そりゃまた不思議だ」
その口ぶりから本来あるはずのもう一本の左腕が、かつての飛竜との戦闘で失ったのだと察せられた。
腹の中の水は十分。懸念点としては、今日は目が覚めてからずっと身体が怠いということだ。水路での移動になってからは気も紛れてだいぶマシだったが、結局は気の所為だ。
「さて、どこまでやれるかね……」
ぼやきながらチラリと仲間の姿を探せば、最前列に陣取ってこちらに熱い視線を送ってくれていた。
「いったれ兄弟ッ! お前さんならそこの蟻んこにだって勝てるぜ! オラァァア!!」
「「「オラオラオラァ!!」」」
ギュスターヴ一族の皆さんは一様に雄叫びを上げて鼓舞してくれる。嬉しいね。
「ヤゴさん……」
ここまで苦楽を共にし、今まさに悩める乙女なリベラも不安そうに手を胸の前で組んでいる。祈ってくれるのかい。これまた嬉しいね。
なんだか一匹じゃないんだと思うと元気も出てくるってもんで、身体が怠いとか調子が悪いとか弱音を吐いてる場合じゃない。
「いつでもどうぞ」
「拙者も、同様にござる」
互いに、準備が整う。
「ルールは先ほど説明したとおりだ。それでは──」
この決闘の発案者であり、見届け人──いや、蟻か──である女王蟻が俺たちへと交互に視線を投げると、
「始めッ!!」
声高だかに開戦の合図を放った。
「いざ尋常に参るッ──!!」
張り詰めた弦が解き放たれたか如く、蟻騎士は鋭い踏み込みで急接近してくる。
「ンゴッ──!!」
それに呼応するかのように俺は腹の水を噴射して横っ飛びした。だが、蟻騎士は複数の脚で器用にステップを踏んで軌道修正。瞬く間に肉薄されてしまう。
「キェエエエエエエエエエエッ!!」
滲み出る裂帛の気合は酷く耳を劈き、無意識に身体が怯んでしまう。
致命的な隙だ。咄嗟の回避は不可能。蟻騎士は刃のような右腕を大上段に構えて、目が冴えるような速度でもって袈裟懸けに振り下ろした。
瞬間、右肩から左腹部にかけて激しい衝撃と外殻が悲鳴を上げたような金切り音が襲う。
「ンガッ──!?」
目を剥き、全身の空気が強制的に吐き出される。ぐらりと揺れる意識の最中、何とか水を噴射させて蟻騎士との間合いを測りなおす。
「安心しろ、約束通り殺しはしない。峰打ちでござる」
「くッ……そ──イッテェなぁ!」
それに対して蟻騎士が即座に距離を詰めてくることはなく、それどころかゆったりと残心を保っている。
身体に切り傷はなく、酷い打撃のような跡だけ。あの蟻騎士の言葉通り、これは殺し合いではない。
事前に女王蟻とした取り決め通りである。曰く、これは試練であると。……だが、そうと分かっていても眼前の蟻騎士はもちろん殺す気で襲い掛かってくる。
勝利条件はハッキリ言ってしまえば女王の匙加減。「力を証明しろ」という不明瞭なものだ。彼らが何を以て「力」とするか、その明確な定義はわからないが、こんな決闘をするからにはそういうことなのだろう。
──けど、俺にあの蟻騎士を倒せるか?
啖呵を切ったのはいいが、言葉以上にあの蟻は強い。
技量、気迫、膂力……どれをとっても俺の遥か上をいっている。実際に話してみて感じたが、彼らほどこの魔窟で組織化されて、統制の取れた種族はいない。あの騎士はその頂点にいるのだ。
協力を得られれば心強いなんてものじゃない。だから何とかしてこの決闘で彼らの言う「力」を証明して、認めてもらわなければいけない。
「その程度ではござらんだろう?」
「当たり前だッ──!」
再びの肉薄。一瞬にして眼前に灰色の影が這い寄る。
「キェアァアッ!!」
短く、気合の込められた一刀が虚空に白銀の軌跡を描く。
「ンゴラッ!」
今度は問題ない。怯むことなく、俺はギリギリまで刃を引き付けてからジェット噴射で今度こそ真横へと躱す。
空を斬った刃の右腕は轟音を鳴らして先まで立っていた地面を抉り飛ばす。飛び散る瓦礫は無情に宙を舞い、それだけであの一撃がどれほどの威力かを物語っていた。
──峰打ちとは言え、よくあれを直に受けて身体が真っ二つにならなかったな……。
背筋がひやりと冷める。以前ならば確実にさっきの一撃で死んでいたのだろうが、ボスゴーレムくん戦の成長でまた一段と耐久力が上がったお陰である。
攻撃は耐えられる。だが突破口がない。
「ンゴッ!!」
間断なく迫り来る蟻騎士の斬撃。そのほんの一瞬の隙間を縫って奴の腹部へと異常発達した顎で以て噛み付こうとする。
「ぬるいッ!」
だが俺の顎は返す刀で軽くいなされてしまう。何とか弾かれた刃に傷を付けようにも硬すぎて掠り傷も望めない。
「本当にこんなものでござるか?」
気が付けば蟻騎士が背後まで回っている。方向転換して迎撃する前に奴の刃が俺の背中を打ち払う。
「チッ──」
駆け巡る苦痛に舌を打つ。
本領を発揮できる水中戦ではないというのもあるが、この通り機動力でも相手が上回っている。何とか攻撃を当てようにも刃に阻まれるか、弾かれる。
戦っていてこれほど成す術がないのも久しぶりだ。
「拙者にこれほど苦戦して、あの飛竜に勝てると思っていたのでござるか? 全く、思い上がりも甚だしい──」
幾度目か、蟻騎士の痛烈な一閃が全身に打ち付けられる。
蟻騎士の攻撃は嵐の如く、止む気配はない。
「お主があの竜に挑むなんてありえない。無責任にもほどがあるでござる! この魔窟にどれだけの同胞が恐怖に怯えながら暮らしていると思っている!?」
峰打ちとはいえ、何度も何度も身体をたたっ斬られたら血だって出てくる。
そして、蟻騎士の言葉は全くその通り。
女王にも言ったが、俺は決して軽い気持ちであの飛竜を打倒すると決めたわけではない。だというのに、これだけ好き勝手に成す術なくやられっぱなしでは弁明の余地もない。
──どうすればいい……?
全身に激痛が走る。関節が軋む。思考がどんどん鈍くなっていくのがわかる。何よりも、ずっと身体の奥底を鈍るように這う気怠さが拭い切れない。
それでも、負けを認めるなんてありえない。
一生、こんな薄暗い不安と死と隣り合わせの洞窟で暮らすなんてありえない。
外の世界を見てみたい。
閉ざされず、際限のない大空を自由に飛んでみたい。
全てに絶望し、死ぬしか助かる方法がないと思っている少女を見逃せない。
こんな自分本位な野望に乗っかってくれた気のいい仲間だってできた。
今も彼らの声援は耳朶を打ち、鼓膜を響かせ、不甲斐ない己を鼓舞してくれる。
これはもう自分一人だけの問題じゃない。
「ン、ゴォオ──!!」
容赦なくこちらの意思を打ち砕きに来る刃は冴え渡る。一切の慈悲なく、無遠慮に身体を打つ。
もう回避できるほどの余力は残っていない。足が折れた、内臓が潰れた、視界の半分以上が血で滲んだ。
身体の致命傷は瞬く間に増えていき、出血も酷い。
意識が朦朧として、どうして自分がまだ立っていられるのかもよくわかっていない。……もしかしたら、もう既に地面にひれ伏しているのかもしれない。
けどまだ攻撃が止むことはない。ならまだ立っている。俺はまだ戦っている。まだ、眼前の試練に喰らいついていけてる。
「ンギ──!!」
不意に、刃が肉を深く抉った不快感と同時に、口が堅く冷ややかな何かを噛んだ。
噛み砕けないけど、今までのどの攻撃よりも手応え──いや、噛み応えがあった。かと思えば、口内にぬるりとした鉄臭い液体がほんの僅か流れてきた。
今までになかったその変化が、この胸に抱いた意思に拍車を掛けて加速させていく。
「往生際の悪い──! このまま死ぬ気か!?」
頭上から何か驚いたような声が聞こえた。
──死ぬ? 知るか。てか死なねぇよ。
こちとら今までやられっぱなしで相当頭に血が上ってるんだ。こんなとこで終われるか。
無理やりに口に広がる冷たい何かが引き剥がされるが、即座に追い縋る。
──まだだ。まだ駄目だ。まだ、喰らいつけ。
頭の中に延々と繰り返される。本能がそうするべきだと訴えて、それに身体が次の瞬間には反射する。
噛む。剥がされる。噛む。血が吹き出る。噛む。殴りつけられる。噛む。何かが噛み砕けた。噛む。鋭く突き刺さるような熱が体内に広がる。噛む。まだ噛む。まだまだ噛む。噛んで、噛んで──身体の奥底で燻っていた不快感がほんの一瞬だけ、解き放たれた。
「《GURUAAAAAAAAAAAAAAAAA》ッ!!」
「その咆哮はッ!?」
自分の喉から引き絞られたとは到底思えない、轟雷のような絶叫が迸る。
今まで自分を苛んでいた様々な傷や痛み、漠然とした不快感が一瞬だけ溶けて、無くなっていく。
「お主、は──」
ふと、眼前には何故か驚愕し、目を剥いた蟻騎士が呆然と立ち尽くしている。
明確な、そして致命的な隙だ。
その隙を見逃す道理はない。
「《GRUAAAAAAAAAAAAAA》ッ!!」
全身に漲る、残り全ての力をこの一撃に集約。俺は引き裂けんばかりに大口を開けて、今まで集中的に噛み付いていた蟻騎士の右側部を喰い千切る。
「キェエエエエエエエエエエエッ!!?」
飛び散る鮮血と甲高い絶叫が五感を刺激する。
一矢報いることは出来た。これが今の俺の全力。これで駄目ならもうどうしようもない。
──やば、身体……。
限界まで巻かれたゼンマイ人形がその動力源を失い、徐々に動きを止めるように俺の身体はゆっくりと言うことが利かなくなる。
かなり無理をしすぎた。もうそれ以上は壊れるとわかっていたのに強行した代償だ。自然と視線が眼前の蟻騎士へと吸い寄せられた。
「──見事……」
そこには喰い千切られた右腹部から大量の血を流しながらも、依然としてしっかりと大地に立ち、刃を構える灰色の蟻が居た。
──ああ、あそこまでやっても無理だったか……。
同時に、自分はこの決闘に負けたのだと理解する。
もう身体は微塵も動きそうにない。次の瞬間、蟻騎士の上段に構えられた刃が襲い掛かる。
──ごめん。みんな……。
次いで、遣る瀬無さが湧き出てくる。一生懸命に応援してくれた仲間に申し訳なくなる。
「ンガ……」
もう本当に限界だった。ふいに目の前が暗くなり、身体の感覚が急になくなる。意識も、今度こそ微睡む闇の中へと沈んで行く。
「────ッ!!」
その間際、何を言っているのかよくわからなかったが、女王の慌てふためく声が聞こえたような気がした。
思い出したかのように、やってくるはずのないトドメの一撃がないことにも気が付く。
──よかった。
痛いのは嫌だ。それがないだけで一気に安心感がやってきて、気が抜けてしまう。
そうして、意識は完全に暗転した。




