第18話
足音が揃い、酷く息の合った歩幅で進む蟻たち。
「「「……」」」
彼らの間に特に会話は無い。
常に周囲に気を散らして、外敵の様子を注意深く探っているようだ。気を張ってはいるが、肩肘が張って緊張しているという風でもない。
それはまるで訓練され、洗練された軍隊のような所作であり、彼らが有象無象の雑兵ではないことを証明している。
「……これ、喋らないほうがいいやつ?」
「気持ちはわかるぜ兄弟。アイツらといるとこっちまで堅苦しい雰囲気に吞まれちまう……」
先導してくれる蟻たちに気をかけながらぼそりと呟けば、隣を歩くギュスターヴが酷くゲンナリと顔を顰めて同意してくれる。
魔窟〈アストラルライアー〉でギュスターヴ一族やゴーレムたちに次いで勢力としての力が強く、縄張りを支配している種族──兵隊蟻の蟻騎士に接触され、「主君がおぬしに会いたがっている」と言われた。
予想外の、それも向こうからのコンタクトに驚きはしたものの渡りに船。俺たちとしてもこれから向かう予定であった縄張りの主には話があったし、主の遣いである蟻騎士の同行願いに二つ返事で頷いた。
そうして現在進行形で俺たちは彼らの先導のもと、彼らの縄張りへと向かっていた。
蟻騎士たちと歩き始めて三十分ほど。彼らが独自で開拓したであろう狭苦しい道を進んでいけば、彼らの縄張りへと足を踏み入れた。
「ここから先より我らが支配域だ」
湿地帯や採掘地帯と比べれば、彼らが縄張りとしている地帯は一見、これまでの中立地帯と大して変わらないような思えるがすぐにそれは違うのだと考えを改める。
水路をぷかぷかと泳ぎながらも視線は無意識に上の方へと吸い寄せられる。
「おぉ……」
嫌というほどに見慣れた通路の両脇の壁面。そこにはちらほらと円形の穴が掘られており、その穴から蟻騎士に付き従う二匹の黒蟻と同じ個体であろう蟻モンスターが顔を覗かせていた。
通称──洞穴地帯。そこが兵隊蟻たちの縄張りであった。
「いつ来てもここは落ち着かねぇな……」
ギュスターヴがより一層表情を歪めて、辺りを見渡す。
前述したとおり、壁面に無数に存在する穴からは兵隊蟻たちが黒光りするその身体を覗かせて、こちらを見下ろすように警戒心を募らせている。
──まさか、あの穴が全部他の穴と繋がっているのか?
途切れることなく壁には洞穴がある。穴一つに一匹の蟻が住み着いているわけでもあるまいし。その中が何処まで広がっているのかは見当もつかない。
洞穴の兵隊蟻たちの雰囲気からお察しの通り、どうやら俺たちは歓迎されていない。
もし仮に、蟻騎士たちからの接触がなく。無断でこの洞穴地帯に足を踏み入れていたらどうなっていたのか。穴から無限に湧き出て俺たちに殺到する蟻たちを想像してゾッとする。
──本当に、向こうから来てくれて助かった……。
「こ、声がたくさん聞こえます──気持ち悪い……」
「だ、大丈夫?」
流石にいつもは無表情で何事にも動じないリベラもこの異様な光景に顔をお引き攣らせて、力の影響か辛そうだ。
「なあ、まだかかりそうか?」
段々と足取りが悪く、顔の血の気が引いてきたリベラの身体を支えながら、蟻騎士に尋ねる。
彼は背後を一瞥したかと思えば無感情に短く答えた。
「もう少しでござる」
どうやら、この蟻たちは目的地──彼らの言う「主君」とやらのところまで真面に会話をする気はないらしい。せめて、この無遠慮な洞穴の視線を何とかしてほしいが難しそうだ。
「リベラ、もうちょっと頑張れそうか? もし本当に無理だったら俺の上に──」
「だ、大丈夫、です……」
「お嬢、兄弟に言いづらかったらオレに言ってくれてもいいんだぜ?」
「は、はい……」
なんとか頷いて見せる彼女の側に寄り添って蟻騎士たちの後を付いていく。
一切の揺れなく揃えられた足並み。侵入者の一挙手一投足を決して見逃さないと言わんばかりの警戒監視。徹底された統制に、主君への忠誠心、不意にここにいる彼らが本当にモンスターなのかと思えて仕方がない。
気になることはいくつかある。……だが、まあいい。
どうせ、すぐにその答え合わせは出来る。
洞穴地帯に入ってからまた三十分程。蟻騎士たちに連れられてきたのは半球状のだだっ広い空間であった。
天井は高すぎてぼやけている。灯りは地面や壁から露出した魔晄石の淡い光のみ。それだけならば、ただの広い空間なのだが、ここは眼前の〈兵隊蟻〉の勢力地帯だ。
その岩壁にはびっしりと斑模様のように敷き詰められた洞穴が掘られていて、今まで以上に蟻たちの黒い双眸が怪しく煌めいている。
そしてそんな異様な数の洞穴と視線の数よりも気になるのは、空間の中央に鎮座する大きな岩石で形作られた玉座。そこには一体の人型にとても近い、一対の翅が生えた純白の蟻が座っていた。
「ッ……!!」
一目見て理解する。あの蟻が彼らの主なのだと。
ギュスターヴやボスゴーレムと対峙した時とは違う。その佇まいや放たれる威圧感はどこかあの飛竜を想起させた。
ここまで案内をしてくれた蟻騎士は一匹、純白の元まで歩み寄りその側で静かに傅いた。
「我らが偉大なる主君よ。ご用命通りに面妖な蟲の一党を連れて参りました」
「ご苦労様です、蟻騎士──」
従僕の仕事を労うと蟻たちの主はその真っ白な瞳でこちらを見やり、静かに立ち上がった。
「「「ギチギチギチギチギチ」」」
純白の蟻が立ち上がったのと同時に洞穴で様子を伺っていた兵隊蟻たちが一斉に巣から出てきて、純白の蟻の背後に一切乱れることなく整列した。
純白の蟻は彼らのそれが当然であるかのように気にも留めず、優美な歩みでこちらに近づいてくる。一定の距離──互いの顔がしっかりと視認できる位置で立ち止まると、その酷く加虐的な口を開いた。
「貴方がここ最近、魔窟で何やら物騒なことを企てている蟲ですね。なんでも、あの飛竜を倒すと豪語しているとか?」
怜悧で、虚言を決して許さない威圧感がその言葉尻に含まれている。俺はその蟻の問いにただ頷くことしかできない。
「……そうです」
嘲笑するでも、侮蔑するでもなく。眼前の純白な蟻はただ事実を確認するかのように質問を続けた。
「貴方のこれまでの動向は全て、子供たちから聞き及んでいます。あの絶対不可侵の聖域の奥底から這い上がり、魔窟に存在しないはずのエルフとともに行動、湿地帯の蛮族と徒党を組んだ……。しかも、目的を果たすためにまだ道連れを探しているとか?」
兵隊蟻たちの主君であるこの蟻の口ぶりは宛ら女王のようだった。その実、多分この考えは間違っていない。そう思わせるだけの風格がこの蟻には備わっている。
純白の蟻──女王は猶も感情乏しく、しかし明確に意思を主張する。
「貴方をここまで呼んだのは他でもありません。今すぐにそのふざけた蛮行に警告する為です」
「……」
それに牙を向いたのは俺ではなくギュスターヴだった。
「何を好き勝手なことを……なんでテメェにそんなことを言われねぇと──」
「黙れ蛮族。今私は貴様でなく、貴様らの主に直接話を聞いている」
今にも腰に佩いた曲刀を抜き放とうとするギュスターヴの剣幕に一切怯むことなく、女王は毅然とした態度で一蹴する。
俺としても喧嘩早いギュスターヴにこの蟻の相手をさせるわけにもいかないからこうして矢面にやっているが……だからと言って別に俺が彼らの主だとか主張した覚えはなのでやめてほしい。
あと、この女王様の主張もご尤もなので、強気に出れない。そんな俺の心情を詳らかに明かすように、女王は言葉を続けた。
「改めて言いましょう。今すぐ「飛竜を倒す」なんて無謀なことはお辞めなさい。これ以上、この魔窟を混沌へと巻き込むな。貴方がたの蛮行の所為で、今まで保たれていた均衡が崩れてしまう。誰にも迷惑を掛けず、勝手に死ぬならば結構。ですが、そういうわけにもいかないのが実情です。あの暴君に干渉すること、それ即ちこの魔窟に住まう全てのモンスターにまで被害を及ぼすのと同義なのだから──」
その言い分はやはり全くご尤も。ボスゴーレムくんの時はとてもオブラートな言葉であったが、彼女のそれは苛烈なまでに痛いところを突いてくる。
飛竜の支配は気に喰わないがどうしようもない。今は時たま降りかかる奴の理不尽を何とか凌げれば大方平穏な生活を送れる。そうやって長い間、この魔窟の秩序と均衡は保たれてきたのだろう。
そんな彼らにとって、俺たちのような勇んで虎の尾を踏む輩は迷惑の何者でもない。ともすればその飛び火で一族もろとも絶滅の可能性があるのだ。当然だね。
「そんな迷惑極まりない貴方をこの先に通すわけにはいかない」
一つの種族の君主として、そしてこの魔窟の僅かな平穏を慮ってこの女王様がとるべき行動として、それは至極当然で正しい。
それでもこちらにだって引けないものがある。
「それでも、俺は──俺たちは飛竜を倒したい。いや、倒すために進む。どうか、先に進むことを許してくれないか?」
「何が貴方をそこまで駆り立てる? そこな蛮族に何を唆された?」
「別に唆されてなんかない。これは完全に俺の意思だ。外の世界を見たいんだ。知らないまま一生を終えるなんて考えられない。……それと、死にたがりな未来ある少女を死なせたくないんだ」
「……正気か?」
全く理解できない。話の通じない生き物に愕然とするような女王の反応は当然である。
自分で言っておきながら、滅茶苦茶なことを言っている自覚はある。それでもこれが本心なんだ。
今度こそ、女王は俺に厳しい視線を向けた。見切りをつけたと言ったほうが正しいのかもしれない。
「貴様はあの飛竜の本当の恐ろしさを知らぬから、その蛮勇が果たせると夢想できるのだ。所詮は空も飛べぬ幼虫に何ができるという?」
ぐうの音も出ない。確かに俺はあの飛竜の力の一端しか知らない。生まれてから今日まで彼らは数えきれないほどあの飛竜に苦汁を嘗めさせられてきた。そんな彼らの言葉は俺とは重みが違う。
「ギュスターヴ。貴様も本気でこんな取るに足らない蟲に一族全ての命を賭けるつもりか?」
女王は同じ魔窟に住まう赤膚の鰐の蛮行を咎める。それに対する彼の返答は実に単純明快だった。
「取るに足らないかどうかは自分の目で確かめろよ女王蟻さま。オレたちは兄弟の信念と心意気をどこまでも尊敬するし、尊重する」
「気狂いめ……!!」
女王は呆れ果て、その内に溜めた怒りを発散しきれずにいる。
やはり彼らからすれば俺たちは異常者だ。平穏を壊す破壊者とも言える。それでも、俺たちの考えは変わらない。
「──アンタたちはずっとそのままでいいのか?」
「……なんだと?」
俺の唐突な質問に女王蟻は睨みを利かせて聞き返す。
返答次第によっては問答無用で叩っ斬る。奴の眼光は殊更にそう語る。だけど気にしない。こちとらここで退くわけにはいかない。だから無礼を承知で煽らせてもらう。
「いつまでも理不尽な支配者に怯えながら、いつ殺されてもおかしくないこの現状を受け入れて生きていくのかって聞いてるんだ──」
少しでもこの現状を嘆いているのならば、あの理不尽な支配からの脱却を望むのならば、どんな愚かなことであろうと行動しなければいけない。
リスクは必至。嘆くばかりじゃいけない。無難な選択にそれまでの長く苦しい地獄を打ち破る可能性なんてない。
「どれだけ怖くても、どれだけ失敗しようとも、どれだけの犠牲を払おうとも、変革を望むのなら愚かしいと、馬鹿に思えることでも行動に移さなきゃどうなるかわからない。違うか?」
「知ったような口を──!!」
「そうだ。俺は何も知らない。何も知らないくせに理想ばかりを語る愚か者さ──」
ずっと不思議に思っていた。
この魔窟には多くのモンスターが居て、彼らのような一つの種族として縄張りを持つモンスターだっている。飛竜には劣るがこの魔窟に於いて影響力だってある。
だったら、この魔窟に住む主だった縄張りを支配する種族が協力すれば、不可能を可能にできるんじゃないか?
「そんな愚かな俺を助けてくれる仲間を探している。あの飛竜を殺すには俺一人じゃ絶対に無理だ。だから、力を貸してくれないか?」
だから、俺は縋りつく。どんな方法を使ってでもあの飛竜を殺すために画策する。
「ッ──」
俺の言葉が予想外だったのか、女王蟻は何か思案するように押し黙る。
だが、それも数秒と短い間で途切れて、彼女は見定めるようにその真紅の双眸をこちらに向けた。
「そこまで言うのならば証明してみせろ──その言葉が口だけではないということを。協力するに値する信念を。可能性を。強さを!」
今までの理性と冷静さを取り繕った声ではなく。女王蟻は荒々しく、猛々しく、気炎を吐くように声を張り上げた。
この洞穴地帯を統べる主は証明しろといった。
何で?
もちろん、力で。
そんな彼女の言葉は同時に一つの命令を意味していた。
「……」
一体の、他の兵隊蟻たちとは明らかに姿形、その在り方が違う灰色の蟻が俺の前に立ちはだかる。
「彼は私の子供たちの中で最強の剣。その強さはそこの愚かな鰐よりも圧倒的だ。この魔窟の中であの飛竜に唯一、致命傷を与えた最強の騎士である。覚悟せよ。次の瞬間、貴様の命がある保証はないぞ」




