第12話
藁にも縋りたい気分だった。
だからこうして確実性のない、無意味な神頼みまでする羽目になったのだ。
──どうして自分たちだけが?
そう思わなかった訳ではない。寧ろ、こんなの理不尽だと何回、何十回、何百回と思ったほどだ。
自分たちと彼らでは何が違うのだろうか? ……いや、わかっている。自分たちと彼らとでは明確な違いがいくつもある。
まず、肌の色が違う。
純血種である森人族は新雪のように純白な柔肌を持っている。雑種である自分たち黒森人族は薄汚れて、濁りきった褐色の襤褸肌だ。この時点でもう別物だ。彼らと私たちの間に流れる血が全く異なるのだと、ありありと教えてくれる。
髪色が違う。
純血種である森人族は黄金に輝く金色の髪を揺らしている。雑種である自分たちは濁った鉛のような灰色の髪を揺らしてみすぼらしい。
瞳の色が違う。
純血種である森人族は新緑のように柔らかな翡翠色の眼を輝かせる。雑種である自分たちはまるで血だまりのようにおどろおどろしい真赤な眼を嵌め込まれている。
寿命が違う。
純血種である森人族は永く悠久の時を観測し紡げる。雑種である自分たちは彼らの半分の時すら生きながらえることができず、他種族とほぼ同等の芽吹きしか許されない。
才能が違う。
純血種である森人族は世界に奇跡を齎す精霊から寵愛を受け、その魔法力に大きな有利性を持っている。雑種である自分たちはその穢れた血を身体に流すことから精霊たちからは忌み嫌われ、その魔法力の殆どが欠落している。たまに、私のように天に恵まれ、精霊の寵愛が無くとも魔法を扱えるヒトもいるが、そんなの極めて稀だ。
ありていに言えば劣等種。だから元々の括りで言えば同じ種族のはずなのに、自分たちは迫害され、この大森林の辺境──凶暴な魔獣が血肉を争う地獄へと追いやられた。
当然、魔法も扱えぬ劣等種がそんなところで生きていけるはずがない。何せ、その辺境は森の恵みも実らない不毛の大地。凶暴な魔獣たちにとって私たちは格好の餌でしかなかった。
多くの家族が殺された。
魔獣に喰われた。食べるものがなくて飢え死にできればマシだった。家族のためにその実を捧げ、家族の血肉を貪ったこともあった。
明日をも知れぬ死と隣り合わせの切迫した日々。
これで精神が疲弊せず、気が狂わないほうが不思議だった。
救いの手はありえない。自分たちは同族から、世界から見捨てられた存在だった。そんな行き詰まったヒトが最後に縋りつくものなんてのは、相場が決まっている。
古ぶるしき時代から語り継がれる黒森人族の伝承曰く、大森林の地獄の辺境にひっそりと聳える、凶暴な魔獣でさえ寄り付かない魔窟にはかつて先祖が崇め奉っていた神様がいるとのことだ。
だから、自分たちはその存在に頼ることにした。所謂、神頼み。所謂──生贄を捧げることで。
その役目に私が選ばれた。家族の中で一番うら若く、健康的で、魔法の才覚があったから。不満はなかった。それは至極当然の結果であり、とても名誉なことで、「どうして私が……」とは思わなかった。恨むなんてことも考えつかなかった。
自分の命一つで、この困窮した状況を何とかできるかもしれない。大切なみんなが救われるかもしれない。それはとても喜ばしいことで、その一助となれるのならば誇らしいことだ。
だから本当に、憂いはなかった。なんの疑問も不満も覚えずに、一度足を踏み入れれば戻ることのできない貪食の魔窟へと足を踏み入れた。
家族の中で一番の長生きで、みんなの取り纏めである祖父の話によれば、目当ての神様に出会うには何とかして人跡未踏のその魔窟の最奥まで向かう必要があるらしい。
魔窟には地獄の辺境よりも凶悪で、規格外の強さを誇る魔獣が跳梁跋扈していて、魔窟自体の広さも想像を絶するものだとか。
所詮は劣等種の、まともに世界を出歩いたこともない小娘が歩むには酷な話だ。魔法が使えるといっても、純血種の魔法使いと比べたら私の魔法は幼子の児戯にすら満たない。それでも家族は私が自分の役目を果たせると確信していた。
何故か?
簡単である。私には遥か上位種である森人族ですら珍しい特別な力があったからだ。
〈魔獣の心を読む力〉
世界に充満し、ヒトの身体に備わっている魔力を流用し世界の理屈を塗り替える行為の魔法や、弛まぬ肉体の修練と技術を磨き抜いた果てに一つの型として完成され尽くされた超絶の技巧とも違う。
その力は世界からの寵贈であり、先天的な才能が自身に与えた影響であった。
この力の内容は実に言葉の通りだ。本来、知性を持たない魔獣は決して共通言語を話すことはできないが、だからと言って彼らの心は何も感じず、何も考えていないわけではない。
『腹が減った』
『暇だ』
『怖い』
『苦しい』
『楽しくない』
そんな、本来ならば決して知り得ることのできない心の吐露を私は自然と理解できた。
この力が便利なもので、距離に応じて聞こえる強弱が変わった。いわば、魔獣との距離を測れる探知機のような使い方もできて、これにより言葉通じぬ魔物と接触を事前に避けて、奥へ進めると考えた。
実際、これは目論見通り上手くいった。常人からすれば不規則で未知数の魔獣の心内を読めるのと読めないのでは大きな差があった。
問題なく魔窟の中に入ることができた。薄暗くて、閉塞感があって、森では聞いたことのない魔獣の声が至る所からして、とても心細くて、怖かったけれど、問題なく、普通に、洞窟を歩くのと変わらなかった。順調に先に進むことができた。
けれど、肝心要の神様とやらがどこにいるのか……そもそも、私はその詳しい姿かたちを知らなかった。……いや、生贄として捧げられる前に祖父から神様についての話は聞いていたのだが──
『伝承によれば、それはこの世界に覇を唱える空の王者であり、黒ずんだ大きな翼で大空を翔く生物だと言われておる』
これじゃあ、ちょっと抽象的過ぎて手掛かりとしては弱かった。
それでも、生贄として選ばれ、魔窟へと足を踏み入れたのならば勇気を振り絞って、奥へと進むしかない。
慎重に、慎重に──数多の魔獣の声を聴き分けて奥へと進み……私は不意に魔獣と遭遇してしまった。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!!」
大森林では一度も見たことのないその魔獣は蛇のように舌先を遊ばせて、魚の鱗に似た体表は鈍い光沢を放ち、ずっしりとした体を四足歩行で移動させていた。
見た瞬間に、「こいつじゃない」と分かった。それは目当ての神様ではない。けれど、眼前の魔獣に勝てる気もしなかった。
だから逃げた。必死に、心臓が早鐘を打ち、喉が引き絞られるように苦しくても、何処へ続くとも知れぬ魔窟の中を駆け抜けた。
けれど、すぐに限界が来た。
「GAAAAAAAAAAAAAAAッッッ!!」
「ひっ──!?」
背後から勢いよく噛み付こうとしてきた魔獣を躱すために、後先考えずに前に倒れこむようにして飛んだ。
その先は水路であり、私は思わぬ着水先に酷く困惑してしまった。
「──ッ!!」
水の流れは異常に速くて、押し寄せる波の激しさに呆気なく飲み込まれてしまう。流石の魔獣も水の中までは追いかけてくることはなかったが、私はそのことに気が付く暇もなく溺れて意識を失ってしまった。
どれほどの間、流れに逆らわず水路を溺れていたのか。詳しい時間はわからない。けれど、本来であれば死んでもおかしくなかった状況だったのに、私は奇跡的に意識を取り戻すことができた。
「……え?」
目が覚めるとそこは、先ほどの激流が嘘かのように波が静かに揺蕩う大きな湖で──その中心付近に不自然に露出した岩場。
【蟹ウメェ……】
「ンゴォ……」
隣には一匹の魔獣とは思えないほど理性的な虫がいた。




