第1話 転生したら水中
【■族■:■■■■■■■■■の生■■動が確■さ■■し■】
温かみのない、無機質な女の声が聞こえた……ような気がした。その次にはぶくぶくと何かが弾ける音がして、それに釣られて意識がぐんぐんと引っ張り上げられた。
目が覚めればそこは──水の中、これは一体全体どういうことなのか?
「ッ──!?」
反射的に手足をばたつかせる。
呼吸も上手くできない。当然だ、ここは水中なのだから人間である俺がこんなところで呼吸なんてできるはずが──
「……???」
そう思っていたのに、混乱する思考を他所に、腹部に何かが入り込んで、今まで身体中を駆け巡っていた息苦しさが薄れていく。
──なんだこれ……?
疑問とは裏腹に、答えは案外すんなり導き出せた。俺はそもそも、人間ですらなかったのだ。ぼんやりとしていた視界の焦点がいつの間にか定まり、ソレが視界を掠めた瞬間に驚愕する。
「ボゴ──ッ!?」
人の手足ではなく、それは一本の木枝のように細長く、ともすれば呆気なく折れてしまいそうなほど心許ない。ひらひらと水を掻き分けられている気がしない手足が都合六本。やたらと首を右往左往させないと見渡せない視界に収めた。
当然、人にあるまじき手足の構造や数故に身体もまったく人間のソレではない。
──な、なんじゃこりゃ……。
思わず、ぞわりと全身の身の毛がよだつむず痒さが駆け巡る。
芋虫? ムカデ? ……まぁなんでもいい。とりあえず、誰もが思い描く虫のような丸っこい身体が、これまた気持ち悪く蠢いているではないか。しかも、その全ての色が黒紫のようなどす黒い色をしているものだからインパクトが凄い。
やはり、これは一体全体どういうことなのか。
記憶は何故か曖昧で、こんな状況に陥るまで自分が何をしていたのか全く覚えてないし、思い出せない。ある程度の思考をするには不自由ない知識が備わっているところが、これまた個人的な情報を思い出せないチグハグさを際立たせて気持ち悪い。
とりあえず今分かることと言えば、俺はもともと人間で、昨日までこんな水中で生活をするような生物ではなかったと言うこと。
そこまで情報を精査して、俺は自分が置かれている状況に一つの結論を出す。
──所謂、異世界転生ってやつ?
自分の個人的な情報を思い出せないポンコツな脳みそが弾き出した結論がこれとは……我ながら呆れる。
どうやら前世の俺は死んだらしい。
どうして死んだのか、死ぬ前は何をしていたのか、自分の名前すら──やはり思い出せないけれど……。
だが、一度そう結論付けてしまえば意外と腑に落ちた。……いや、嘘だ。全然、落ちない。だって、俺の記憶にあるこういう状況のテンプレって、だいたい前世と同じ生物に転生するもんじゃないの? なのになんで俺は虫なんかに転生してるの?
──え? なに、俺に前世が虫と同じくらいちっぽけでくだらないとか、そういう嫌味的なことを暗に示されてるの?
降って湧いたくだらない思考を捨て去って、再び現状把握に努める。
どうやら死んだ、目が覚めたら水の中・どう考えても気味の悪い虫ボディ……。水中で問題なく息ができていて、窒息する気配もないと言うことは水生生物に転生したらしい。
──でも、泳げねぇんだよなぁ。
手足を一生懸命にバタつかせても前進や後退、浮上も潜水することもできないとは何事か。傍から見れば、俺はきっと水中で溺れ藻掻く虫に見えることだろう。
もう一度、届く限りの視界を巡らせてみれば気持ち悪いボヨボヨ身体が視界に映る。あー駄目だ。自分の身体ながら本当に気持ち悪い。正直に言えば、こういう明け透けな虫の身体って苦手……いや、忌避感を覚えるんだよなぁ。
それでも、いったい自分が何に転生したのかはハッキリさせないといけないので我慢する。
……そうして、我慢をした甲斐があったと言うべきか、やけに都合よく一般的な知識を吐き出してくれる脳みそが弾き出した答えは──蜻蛉の幼虫だった。
──マジィ?
最初からわかっていたが、まさかの人外転生。それも食物連鎖の最下層に位置する幼虫と来たもんだ。そりゃあ、やけに丸みやらぶよぶよしてて気持ち悪いわけだ。
こういうのは普通、人外に転生するにしてもスライムとかゴブリンとかオーガとかドラゴンとか……変わり種で武器とかにするのが定石だろ。なんだよ「ヤゴ」って。マイナー過ぎるだろ。マイナー過ぎて自分の事なのに判断するのにめっちゃ時間を使ったじゃねぇか。
──はぁ……ま、ぐちぐち言っても始まんない。
堂々巡りでやっぱりどうしてこんなことになったんだと、思わんでもないが考えても納得のいく理由が得られるわけでもない。生まれ変わってしまったモノは仕方がない。
唯一の救いはこんな突飛な状況にぶち込まれても、意外と冷静……悲観はしてないし、少しでもこの状況をポジティブに考えようと思えること。記憶は曖昧だし、虫だし、水の中だし、まともに泳げないけど、「なんとかなるでしょ」と思えてる自分がいる。
──そうだ。別に一生このクソキモボディという訳じゃない。この姿は一時的なモノで順調に成長していけば、俺は蜻蛉になれる……はず。と言うことは空も飛べるかもしれないってことだ。
前世では人間だった。これだけはわかる。ならば空を飛ぶにしたって独力では不可能だった。だが、今世ではそれができると言うことだ。
──ほら、こうやって考えてみると別に悪いことばかりじゃ……。
今は水中だが、いずれは空を飛ぶことができる。ならば、今世のこのクソキモボディだって可愛らしく思えるんじゃないか? ……いや、やっぱ無理。キモいもんはキモいわ。なるはやで幼虫から卒業して、成虫になりたい。大人の仲間入りをしたい。
まぁ、問題なく成長できればの話ではあるが……。
不意に、ぐらぐらと振動と言うか、波紋と言うか、なんとも形容しがたい揺れが全身を襲う。
身体に夢中で周囲をあまり確認できていなかったが、見渡す限りはやはり水中。一面薄い水色で、遠くまで見渡すことはできないが俺以外に生物の気配は感じられない。水中……それも虫の俺でも問題なく呼吸ができていると言うことは、この水中は淡水。水の流れも今の揺れまで感じなかったと言うことはバカでかい水たまり──つまり湖と言ったところか。
慣れない水中の殺風景な景色も相まって、自分以外にまったく生物を見受けられないのが妙に心細い。上下左右を見回しても水面も水底も見受けられないし、それなりにこの湖は大きくて広いのかもしれない。あと、俺が水中の真ん中あたりにいる所為もあるだろう。
──……なんか、近づいてね?
次第に揺れ、振動、波は多くなって身体に明確に響き渡る。
果たして、こんなところにずっとボケらっと浮かんでいてもいいものなのか。ますます不安感を掻き立てられていると──そいつは水流を巻き上げて急に現れた。
「ブググググググググッッッ!!」
視界に収まりきらないほどの巨躯。台形の身体は分厚く、くすんだ黒色でとても堅そうだ。手足は身体の両側に四本ずつ。三本は歩行に特化して鉤爪のように先端が鋭い。対して、一番上に位置する腕はその巨体と同じくらい大きくてアンバランス、鋏のような形を模している。つまり──めっちゃデカい蟹と言うことだ。
「ンゴッ──!?」
そんなのが急に現れるものだから、腹の中に溜まっていた空気が一気に肛門から吹き出て、「ブボッ」と奇妙な音と泡が湧いた。
──え、漏れた?
状況的に、そんなどうでもいいことを考えながら気が付く。尻から空気を思い切り噴出したことによって、今まで微塵も移動できなかったのに呆気なく前進することができたのだ。
「ブグググググググググググッ!!」
巨大な蟹は何故かこちらを狙っているようで、その大きな鋏で水を掻き分け、叩きつけようとしてくる。
──いやいやいや……ッ!!
明らかにオーバーキルなその攻撃に、反射的に思いっきり周囲の水を肛門から吸い込んで直ぐにそれを吐き出して推進力を生みだす。
間一髪で蟹の攻撃を回避しながらも、同じ要領でまた「ブボッ」と移動。どうやら、無事に成長できれば空を飛べるとか思っていたが、そう簡単にはいかないらしい。とりあえず、この蟹から逃げなければ俺に未来はない。
──てか、移動手段が放屁ってマジィ!!?




