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第五章:燃え尽きないために

「灰塚」の支部「喫茶 灰」の奥にある部屋。

ここが、僕の「訓練場」となった。広い倉庫のような空間。壁には無数の傷と、煤けた跡。先人たちの戦いの歴史が刻まれていた。


カゲロウが、僕の前に立つ。彼の表情は、昨夜の戦いの疲れを微塵も見せない、常に軽薄な笑みを浮かべている。でも、目だけは鋭い。


「よし、じゃあ早速始めるか。煉、お前の炎は、ゴミの山に火をつけたようなもんだ。勢いはあるが、制御が効かず、すぐに燃え尽きる。そして何より…」

彼は小さな木片を手に取り、目の前に掲げた。

「目的を持っていない」


彼の指先から、蒼い炎の糸が一筋、木片へと伸びた。炎は木片を包むが、燃やさない。代わりに、木片を浮かせ、くるくると空中で回転させ始めた。

「炎は手足だ。意思を持ったもう一つの器官だ。それをなめらかに、思い通りに動かせなければ、戦場ではただの暴走機関でしかない。己を燃やすだけのな」


蒼い炎が消え、木片が彼の掌に収まった。

「まずは、これを一時間浮かせ続けてみろ」

「え? これだけ?」

「ああ。炎で包み、落とすな。触れずに浮かせ続けるんだ。簡単だろう?」


僕は拳を握り、意識を集中させた。拳から炎を…。赤い炎がぼうっと灯り、木片を包む。浮いた。簡単に。

「ほら、こんな…」


言葉が終わらないうちに、木片がパチパチと音を立て、あっという間に黒い炭になった。灰が床に散る。

「…」

「ほら、燃やした。目的は『浮かせる』ことだったのに、『燃やす』ことを選んだ。これが制御不能だ」


カゲロウがもう一つの木片を差し出す。

「もう一回。炎の『力加減』を学べ。全神経を炎に集中させろ。お前の指先の延長なんだ。掴むんだ」


二度目。慎重に炎を灯す。木片を包む。ゆっくり浮かせる。よし…と思った瞬間、炎が一瞬揺らぎ、木片が斜めに傾く。焦る。炎が強くなる。パチッ。また炭だ。


三度目。四度目。五度目。

結果は同じ。燃え尽きる炭の山が僕の足元に増えていく。汗が額を伝う。拳のヒリヒリが増す。焦りと苛立ちが、胸の炎をかき立てる。


「くそっ…!」

六度目。炎が勢いよく噴き出し、木片は一瞬で灰になった。勢い余って、天井の梁を焦がした。

「…」


カゲロウは何も言わず、新しい木片を差し出す。ただ、無言で。その沈黙が、逆に僕を追い詰める。


なぜだ。山道ではあれほど大きな炎を出せた。忌み火に立ち向かう炎もあった。なのに、こんな小さなことさえできない。


十度目。十五度目。

意識は木片に向いているはずなのに、どうしても「燃やしたい」という衝動が先行する。炎は怒りや激情に反応する。静かな制御とは対極にある。


「…俺の炎は、そういうものなんですか」

僕は燃え尽きた灰を見つめながら呟いた。

「静かにするのが、そもそも無理なんだと思います」


カゲロウは少し間を置いて、ようやく口を開いた。

「お前の炎は『赫怒』だ。静かである必要はない。荒ぶっていい。激しくていい。だが、その荒ぶりを『導く』のが制御だ。川が氾濫するからダメなんだ。用水路を引いて、水車を回すんだ。お前は今、炎の勢いに流されているだけだ」


彼は自分の掌に、小さな蒼い炎の球を出現させた。炎は激しく渦巻いているが、球の形は微動だにしない。

「見ろ。炎そのものは暴れている。でも、形は壊れない。これが『意思』だ。お前の炎に、お前の『目的』を刻み込め。『浮かせろ』と命じろ。炎はお前の感情に忠実だ。お前が本気でそれを望まない限り、従わない」


本気で…望む。

木片を浮かせること? そんなことより、もっと強い力を、敵を倒す力を望んでいる。そう思うと、また炎がムラムラと湧き上がる。


「…無理です。そんな小さなこと、本気で望めない」

「なら、こうしろ」

カゲロウの声が低くなる。

「その木片は、守りたいものの象徴だと思え。大輝でも、母親でも、あの商店街の子供でもいい。それを闇から守る盾だと思え。燃やしたら守れない。しっかりと、しかし強く、抱きしめるように浮かせ続けろ。守るための炎だと思え」


守るため。


僕は目を閉じた。木片を…守りたいものの象徴と想像する。大輝の笑顔。母の朝の声。カゲロウに避難させられたあの子供の瞳。


拳から炎が灯った。赤い炎が木片を包む。ゆっくりと、ゆっくりと浮かせる。炎が揺れる。守れない!という焦りが襲う。でも、燃やしたらダメだ。守るためには、壊さずに支えなければ。


炎の「触感」を感じようとする。木片に触れている、熱の輪郭。それを、壊さないギリギリの強さで維持する。


一秒。二秒。十秒。

木片は燃えず、浮き続けている。炎は激しく踊っているが、木片への接触点だけは、驚くほど静かだ。


「…そう。それだ」

カゲロウの声が聞こえる。

「その感覚を忘れるな。炎は武器だが、盾にもなる。お前の意思次第で、何にでもなる」


三十秒。

腕が震える。集中が切れそうだ。炎が強くなる。木片がカサカサと音を立てる。

「だめだ、集中を切るな! 守るんだろ!?」


守る。


歯を食いしばる。イメージを固持する。大輝の背中。守るんだ。


一分。

炎の中で、木片が微かに回転している。まだ燃えていない。


そして、突然、炎が変わった。

赤い炎の中心から、ほんのわずか、深紅の光が滲んだ。それは一瞬だけだったが、熱の輪郭が急にはっきりと感じられた。木片が、炎の「掌」の上に、しっかりと収まった感覚。


「…!」

カゲロウの目が細くなった。


二分。三分。

限界が近い。頭がガンガンする。拳の皮膚が、また焦げる臭いがする。


「よし、止めろ」

僕は炎を消した。木片が床に落ちる。パチン、と乾いた音。少し端が焦げているが、形は完全だ。


僕は膝をつき、息を荒げた。全身が火照り、脱力感に襲われる。しかし、初めての「達成感」が、胸の熱いものとともにあった。


「…どうです?」

「合格点じゃないな」

カゲロウの言葉に、肩が落ちる。

「…だが、ゼロ点でもない。ほんの少し、炎の『ハンドル』に触れたな。その深紅の光…覚えておけ。あれが、お前の『赫怒』の核だ」


彼は僕の肩をポンと叩く。その手は、意外と軽かった。

「今日はここまでだ。その感覚を忘れるな。明日はもっと長く。そして、動かす訓練をする」


カゲロウが部屋を出ていこうとした時、僕はふと尋ねた。

「…カゲロウさんは、どれくらいでできるようになったんですか?」

彼は振り返らず、少し間を置いて答えた。

「俺の炎は『風化ふうか』だ。形を残して静かに消す炎だ。お前のとは違う。だから、時間は関係ない。それぞれの炎に、それぞれの歩み方がある」


ドアが閉まる。

僕は一人、焦げた木片を拾い上げた。まだ温かい。


炎は、燃やすだけのものじゃない。

守るためのものだ。

その一歩を、今日、初めて踏み出した。

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