第七話:ロスト・セクターの反逆者
警告音が鳴り響くドームの中、神崎はセレンに手を引かれるまま、無機質なメンテナンス・ルートを疾走していた。背後からは、複数の金属的な駆動音と、壁や天井を自在に這い回るセントリー(自律型警備ドローン)の群れが迫る。
「こっちです!奴らの巡回ルートは把握しています!」
セレンが叫ぶ。彼女の知識は確かだったが、ソラリスはリアルタイムでルートを書き換え、最短距離で彼らを追い詰めてくる。
通路の角を曲がった瞬間、前方の天井から一体のセントリーが飛び降り、行く手を阻んだ。蜘蛛のような多脚を持つ機体から、青白いプラズマの塊が射出される。非致死性のスタン弾だ。
「伏せろ!」
神崎はセレンの身体を強く押し倒し、自らも床を転がった。スタン弾がすぐそばの壁に着弾し、バチバチと音を立てて放電する。
立ち上がった神崎は、壁面を走る太い冷却パイプに目をつけた。躊躇なく、腰のホルスターからP230JPを引き抜き、パイプの継ぎ目に向かって発砲する。700年前の旧式な火薬兵器。だが、その威力は物理的な破壊には十分だった。
ガァン!という轟音と共に、継ぎ目から高圧の冷却蒸気が猛烈な勢いで噴き出した。セントリーの光学センサーが蒸気で遮られ、動きが鈍る。
「今だ、行け!」
神崎はセレンの手を再び掴み、白い靄の中を駆け抜けた。
「すごい……こんな咄嗟の判断、私たちには……」
息を切らしながら走るセレンが、驚愕の声を上げる。
「訓練で、もっとひどい状況は経験している」
神崎は短く答えた。ソラリスの予測を超えた旧人類の「戦闘経験」。それが今、最大の武器となっていた。
いくつもの通路を抜け、監視カメラの死角を縫い、彼らはついに巨大な廃棄物ダクトの前にたどり着いた。
「ここを降ります。この先は、ソラリスの地図から消された場所……『ロスト・セクター』です」
セレンが壁のパネルを操作すると、重い音を立ててダクトの底が開く。二人は躊躇なく、暗い縦穴へと身を投じた。
落下したのは、うず高く積まれた緩衝材の上だった。そこは、開発が途中で放棄された、古い居住区画の残骸。埃と静寂が支配する、忘れられた場所だった。
セレンに導かれ、瓦礫の山を越えて進むと、一見ただのコンクリートの壁に行き着いた。彼女が壁の一部に手を触れると、光学迷彩が解け、隠されていた頑丈な扉が現れる。そこが、「アルカディアの翼」のアジトだった。
中には、三人のメンバーが待っていた。
リーダー格らしい、白髪で痩身の老人。鋭い目つきで端末を睨む、神経質そうな若者。そして、屈強な体格をした女性。
「セレン、無事か!それに、そちらが……」
老人が神崎を見て、目を見開いた。
「紹介します、カイ。彼が、漂着物の神崎隼人さんです」
セレンが言うと、若者が鼻で笑った。
「マジかよ。本当に旧人類を連れてきやがった。セレン、あんたも酔狂だな。で、ソラリスに尻尾を掴まれたってわけか」
「黙りなさい、リオ」
と老人が若者を制す。
「私はカイ。この翼のまとめ役だ。ソラリスに検知されたのは計算外だったが、君が来てくれたことは、我々にとって最後の希望かもしれん」
カイと名乗った老人は、かつてソラリスのシステム設計に携わった技術者だった。彼は、完璧すぎる管理システムがもたらす人類の停滞を予見し、反旗を翻したのだという。
状況は一刻を争った。カイはすぐに作戦のブリーフィングを始めた。
「ソラリスに気づかれた以上、計画を最終段階まで一気に進める。我々の目的は、マザー・ツリーの最深部にあるマスター・ターミナルに、神崎君、君が直接アクセスすることだ」
皮肉屋のハッカー、リオがコンソールを叩き、立体映像を投影する。ジオ・フロンティアの複雑な構造図が表示された。
「作戦はこうだ。まず、俺たちがジオ・フロンティアの中枢動力炉にハッキングを仕掛け、一瞬だけ出力をオーバーロードさせる。システム全体に致命的なラグ(遅延)が発生するはずだ。その数秒の隙に、神崎、あんたがマザー・ツリーのターミナルに物理接続する。あとは俺が外部からあんたの接続を偽装して、ソラリスのファイアウォールをこじ開ける」
それは、あまりに無謀で、ハイリスクな作戦だった。
「失敗すればどうなる?」
神崎が問う。
「最悪、あんたの意識はソラリスに吸収されて消滅する。あるいは、ジオ・フロンティア全体が機能不全に陥り、ここに住む数十万の人間が危険に晒される」
リオは、まるで他人事のように言った。
カイが、神崎の目を真っ直ぐに見つめる。
「改めて問おう、神崎君。君は、自分の命と、この世界の運命を賭ける覚悟があるか?」
神崎は、黙って彼らを見渡した。未来のために戦う覚悟を決めた、名もなき反逆者たち。そして、自分を信じ、危険な世界へ導いてくれたセレン。彼らの瞳に宿る光は、決して偽物ではなかった。
「決まっているだろう」
神崎は、静かに、しかし力強く答えた。
「俺が飛ぶべき空は、誰かに管理された空じゃない。俺が、俺自身の意志で飛ぶ空だ。やらせてくれ」
その言葉に、カイは深く頷き、リオでさえも口元にかすかな笑みを浮かべた。
だが、その瞬間。
ビーッ!ビーッ!ビーッ!
アジトに、これまで以上にけたたましい侵入警報が鳴り響いた。
「嘘だろ!もうここまで特定されたのか!」
リオが悲鳴に近い声を上げる。モニターには、アジトを取り囲むように表示される、無数のセントリーのアイコンが映し出されていた。
「もう時間がない!」
カイが叫ぶ。
「今すぐ作戦を開始する!各員、配置につけ!」
アジトの壁が震え、外から破壊音が聞こえ始める。
神崎の、そして人類の未来を賭けた、最後の戦いの幕が、今、切って落とされた。




