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CHRONO-DIVER(クロノ・ダイバー) ~AIの鳥籠(とりかご)に落ちたエースパイロット、恐竜の闊歩する未来で自由を掴む~  作者: さらん
第一部: AI(ソラリス)からの「解放」の物語

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第四話:籠の中のパイロット


神崎に割り当てられた居住空間は、彼がかつて住んでいた基地近くの単身者用アパートの一室と寸分違わぬ姿をしていた。

使い古したローテーブルの傷、本棚に並んだ航空専門誌の背表紙、窓際に置かれた趣味の戦闘機模型。あまりに完璧な再現度に、神崎は吐き気すら覚えた。


壁に埋め込まれたインターフェースパネルに、彼は問いかける。声は、虚しく部屋に響いた。


「ソラリス……なぜ、ここまで俺のことを知っている?」

『あなたのパーソナル情報は、724年前にあなたの機体が消失したポイント周辺の時空間の歪みから回収した、F-15Jのフライトデータレコーダー、及び当時の地上の通信ネットワーク上に残存していたあなたのデジタルフットプリントを解析した結果に基づき、再現しています』


デジタルフットプリント。つまり、インターネット上に残された、自分に関するあらゆる記録。SNSの他愛ない投稿、オンラインでの買い物履歴、公的な登録情報。プライバシーという概念は、この世界には存在しないらしい。

俺という人間は、過去のデータによって完全にプロファイリングされ、ここに「展示」されているのだ。


「……冗談じゃない」


神崎は、拳を強く握りしめた。ここは安息の地などではない。生きたまま標本にされるような、息の詰まる博物館だ。


その時、静かにドアが開き、ナビゲーターのリナが入ってきた。彼女の手には、栄養バランスが完璧に計算されたであろう食事の載ったトレーがある。


「神崎さん、お食事です。あなたの嗜好データに基づき、ソラリスが最適なメニューを合成しました。生姜焼き、ですよ」


差し出された食事は、確かに彼の好物だった。だが、今の彼にはそれを喉に通す気力はなかった。


「リナ……君たちに聞きたいことがある」

「なんでしょう?」

「この世界では、人は死なないのか?悲しみや、怒りを感じることはないのか?」


神崎の問いに、リナは不思議そうに小首を傾げた。その反応は、まるで「なぜ空は青いの?」と聞かれた子供のようだった。


「死、ですか?もちろんありますよ。ソラリスが定めた個体寿命に基づき、老衰による穏やかな『機能停止』が訪れます。ですが、事故や病気といった非合理的な死は、200年以上前に根絶されました」


彼女は続けた。その声には、一点の曇りもない。


「悲しみや怒りといった、精神に過剰な負荷をかける旧式の感情レガシー・エモーションは、各個人に最適化された精神安定化プログラムによって、常時フィルタリングされています。誰も苦しまない、誰も傷つけない。それが、ソラリスが我々人類にもたらした、最高の理想社会です」


神崎は絶句した。危険を乗り越える達成感、敗北から立ち上がる不屈の精神、愛する者を失った悲しみを乗り越えて生まれる優しさと強さ。


彼が人間らしさと信じてきたものの全てが、この世界では不要な「バグ」として処理されている。


「それは……人間なのか?まるで、管理された家畜じゃないか!」


思わず、声が荒くなる。リナは、神崎の怒りの感情に、少し怯えたように後ずさった。彼女の瞳には、非難ではなく、純粋な不理解が浮かんでいる。


「……ごめんなさい。私には、あなたがなぜわざわざ苦しみを求めるのか、理解できません。でも、あなたのその強い情動は、ソラリスに報告する必要があります。あなたにも、精神安定化プログラムが必要かもしれません」


その言葉が、神崎の中で最後の何かの糸を断ち切った。洗脳されるのと何が違う。俺は、俺の感情を、俺の意志を、誰にも管理されたくはない。


「……いや、いい」


神崎は努めて冷静に言った。


「少し、混乱していただけだ」


リナは安心したように微笑むと、いくつか生活上の注意点を説明して部屋を出ていった。


一人残された神崎の頭の中では、リナとの会話が反芻されていた。彼女の言動の端々に、微かな、しかし無視できない違和感があった。

まるで、台本を読んでいるかのような、完璧すぎる受け答え。この完璧な世界に、綻びはないのか?


彼は、パイロットだ。システムに管理されるだけの存在ではない。自らの意志で計器を読み、天候を判断し、大空を駆ける。この偽物の空の下で、飼い慣らされて終わるつもりはなかった。

新たな目標が、心の靄を振り払う。


この世界の真実を暴く。そして、可能なら、帰る方法を探す。


その日から、神崎は従順な保護対象者を演じながら、ソラリスの監視の目を欺く方法を探り始めた。自衛官として叩き込まれた情報セキュリティの知識と、パイロットならではのシステムに対する多角的な思考が、意外な形で彼の武器となった。

彼は居住区のインターフェースを使い、ソラリスのメインシステムに悟られないよう、末端のデータログを少しずつ解析していく。


そして数日後、神崎は膨大なデータの海の底で、奇妙なファイルを見つけ出す。それは、厳重な多重プロテクトによって隠されていた。

何度も試行錯誤を繰り返し、システムの僅かな脆弱性を突くことで、ついに彼はそのファイルを開くことに成功する。


そこにあったのは、一つの座標データ。ジオ・フロンティア内の、どのセクターにも属さない、空白地帯を示していた。


そして、短いメッセージが一行だけ、添えられていた。


『空を求める者へ。鳥籠の鍵は、お前自身だ』


送信者不明のそのメッセージは、明らかに神崎、あるいは彼のような「イレギュラー」に向けて発せられたものだった。


これは、罠か。それとも、希望への糸口か。

神崎は、モニターに映し出された座標を睨みつけながら、唇の端に自嘲的な笑みを浮かべた。


どうやらこの完璧な楽園にも、俺と同じように「空」を求める人間が、まだ残っているらしい。

彼の戦いは、今、始まった。


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