第三十六話:銀色の月影
地球に帰還してから、一週間が経過した。
ジオ・フロンティアがあった場所の上空、高度3万6000キロの静止軌道上には、今や、地球の新たな衛星とも呼ぶべき巨大な構造物が浮かんでいた。
アイギス・フロンティアの旗艦、宇宙要塞母艦『オリンポス』。
地上の人々は、昼夜を問わず空に輝くその「銀色の月」を、畏怖と希望が入り混じった眼差しで見上げていた。
オリンポスの広大なブリッジ。
神崎は、まだ包帯が巻かれた左腕をさすりながら、眼下に広がる蒼い地球を見つめていた。アイギスの超医療技術のおかげで、切断寸前だった腕は奇跡的に繋がり、機能を取り戻しつつある。だが、魂に刻まれた疲労は、そう簡単には消えなかった。
『よう、エース。リハビリは順調か?』
空中に投影されたホログラムのリオが、軽口を叩く。彼は今、この巨大な船の全システムを制御するメインAIとして君臨していた。
「……ああ。悪くない」
神崎は短く答えた。
「だが、この船は静かすぎるな」
数千人の銀色の兵士たちは、全員が武装解除され、居住区画に軟禁されている。リオが生命維持システムを完全に掌握している以上、彼らに反乱の意志はない。今のところは。
ブリッジの扉が開き、セレンとカイが入ってきた。セレンは今や、このオリンポスの暫定司令官として、地上と宇宙を行き来する多忙な日々を送っていた。
「隼人さん、身体はもういいんですか?」
「じっとしているのは性に合わないんでな」
神崎は苦笑する。
だが、カイの表情は険しかった。
「……悠長なことを言っている場合ではないかもしれん。アトラスが、口を割った」
カイの言葉に、場の空気が張り詰める。
捕虜として独房に収監されている、元アイギスの指揮官アトラス。彼への尋問を続けていたカイが、重大な情報を引き出したのだ。
「奴は言った。『お前たちは、宝箱を持ち帰ったつもりだろうが、それは時限爆弾だ』とな」
カイが、メインスクリーンにデータを表示させる。
それは、オリンポスの深部から発信され続けている、微弱だが、停止不可能な信号の波形だった。
『……なんだこりゃ? 俺のシステムログには、こんな通信記録ねえぞ』
リオが驚愕する。
「リオ君でも検知できない、ハードウェアレベルで埋め込まれた『自動帰還信号』だそうだ」
カイが説明する。
「この船は、メインAIが制御不能になった瞬間、自動的にアイギス本国へ、現在位置と状況を送信し続ける仕組みになっていた」
神崎の目が鋭くなる。
「つまり……俺たちが地球に帰ってきた瞬間から、ずっと居場所を垂れ流していたってことか」
「そうだ」
カイは、絶望的な予測データを突きつけた。
「アトラスの話では、アイギス・フロンティアの本国……『グランド・フリート(大艦隊)』は、すでに動き出している可能性が高い。彼らにとって、オリンポスの奪取は、ただの敗北ではない。下等生物による、許されざる反逆だ」
「……どれくらいの規模だ」
神崎が問う。
「オリンポス級の母艦が、最低でも5隻。それに伴う護衛艦隊は数万。……地球を、地殻ごと焼き払うには十分すぎる戦力だ」
その場にいる全員が、息を呑んだ。
彼らは、たった一隻の船を奪うのに、命を懸けた。だが、敵はその数倍、数十倍の戦力で、報復にやってくる。
しかも、今度は「捕獲」などという生ぬるい目的ではない。「殲滅」のために。
「……時間は?」
セレンが震える声で尋ねる。
「奴らのワープ航法なら、早ければ一ヶ月。遅くとも三ヶ月以内には、地球圏に到達する」
一ヶ月。
人類が、700年の停滞から目覚め、ようやく歩き出したばかりのこの星に、終末のカウントダウンが突きつけられた。
神崎は、窓の外の美しい地球を見つめ、そして、強く拳を握りしめた。
「……上等だ」
彼の言葉に、全員が顔を上げる。
「俺たちは、ソラリスを倒した。アイギスの旗艦も奪った。なら、次は大艦隊が相手だろうが、やることは変わらない」
神崎は、不敵な笑みを浮かべ、仲間たちを見渡した。
「この『銀色の月』は、もう俺たちのものだ。こいつの力と、地上の資源、そして俺たちの『意地』を総動員して……地球を、奴らの墓場にしてやる」
逃げ場はない。
地球人類と、宇宙人類。
種の存亡を懸けた、最後の全面戦争が、静かに始まろうとしていた。




