第三十五話:蒼き星、新たなる月
時空間航行の青白い光が収束し、絶対的な静寂がオリンポスのブリッジを包んだ。
メインスクリーンに映し出されたのは、アイギスの無機質なコロニー群ではない。
暗闇に浮かぶ、あまりにも美しく、あまりにも懐かしい、青と白の惑星。
「……地球……」
セレンが、コンソールに突っ伏したまま、か細い声で呟いた。涙が、彼女のハッキングの疲労を物語るように、頬を伝う。
「……ああ」
神崎は、焼かれた左腕の激痛に耐えながら、ブリッジの床に座り込み、その光景を食い入るように見つめていた。
「……俺たちの、故郷だ」
700年の時を越えたパイロットが、神のごとき船を奪い、ついに帰ってきた。
『……ふう。着いたぜ、クソッタレ』
リオの、疲労と安堵が入り混じった声が、艦内スピーカーから響いた。
『だが、喜んでばかりもいられねえ。神崎、お前、死にかけてるぞ。バイタルが、旧人類の基準でもレッドゾーンだ』
「……この程度……」
神崎が強がって立ち上がろうとするが、左腕の激痛と失血で、再び床に膝をついた。
『強がるな、エース』
リオの意志と共に、ブリッジの壁がスライドし、真っ白な医療用ドローンが数体、静かに現れた。
『この船の医療室は、あんたの時代の技術なんざ遥かに超えてる。セレン、悪いが、この馬鹿をそこへ運んでくれ。俺は、地上の仲間たちに「お帰りなさい」の挨拶をしてくる』
セレンは、神崎に肩を貸し、ドローンと共にブリッジを後にした。
一人(と、意識のないアトラス)が残されたブリッジで、リオはオリンポスの超長距離通信システムを起動。ジオ・フロンティアの、あの秘密ドックの周波数に、回線を合わせた。
***
その頃、地上のジオ・フロンティア。
秘密ドックは、重苦しい絶望に包まれていた。カイとサラは、クロノスの残骸から回収したブラックボックスを見つめ、完全に途絶した神崎の信号を、ただ呆然と見つめていた。
「……ダメだ」
カイが、力なく首を振った。
「シグナルは、完全にロストした。神崎君は……」
「諦めるな!」サラが叫ぶ。「リオのOSが、何か奇跡を……!」
その時だった。
『……もしもし、聞こえるかー? こちら、時代遅れのクソッタRE……もとい、リオ様だぜ?』
ドックの古いスピーカーから、ノイズ混じりの、しかし紛れもないリオの声が響き渡った。
「「……リオ!?」」
カイとサラが、顔を上げる。
「リオ君!君は……無事なのか!神崎君は!セレンは!」
『ああ、うるせえジジイ。全員、まあ「無事」だ。それより、ちょっと外に出て、空を見上げてみろよ。デカいプレゼントを持って帰ってきてやったぜ』
カイとサラは、訳が分からないまま、ドックのゲートを開け、3ヶ月ぶりに見る「本物の空」の下へと飛び出した。
そして、二人は、その場に立ち尽くした。
蒼い空。
太陽。
そして、その太陽の隣に、もう一つ、巨大な「銀色の月」が浮かんでいた。
あまりの巨大さに、地上の恐竜たちさえもが困惑し、空を見上げている。
アイギス最強の母艦『オリンポス』。それは、地球の衛星軌道上で、その圧倒的な威容を、故郷に見せつけていた。
「……なん……だ、あれは……」
サラが、呆然と呟く。
カイは、その光景が意味するものを理解し、歓喜ではなく、恐怖に震えた。
『どうだ、カイさん。すげえだろ』
リオの声が、カイの持つ通信機から響く。
『これであの恐竜どもも、アイギスの連中も、怖くねえ。俺たちは、神の力を手に入れたんだ』
「……違う」
カイは、空の「銀色の月」を睨みつけたまま、震える声で言った。
「……リオ君。君は、神を倒して、新たな神を、この星に連れてきてしまった。我々は……この星は、その強大すぎる力を、扱いきれるのか……?」
カイの危惧は、的中していた。
神崎たちは、故郷を救うために、故郷そのものを破滅させかねない、最悪の「抑止力」を持ち帰ってしまった。
アイギス・フロンティアという「外なる脅威」。
オリンポスという「内なる力」。
そして、囚われたアトラスという「火種」。
戦場は、宇宙から、地球へと移った。
神崎たちが手にした「勝利」は、あまりにも重く、危険な、「新たなる戦い」の始まりを告げる、鐘の音だった。




