第三十四話:帰還(リターン・トゥ・アース)
『チェックメイトだ』
リオの勝ち誇った声が、ブリッジに響き渡る。
セレンは、サブ・ブリッジのコンソールに倒れ込み、かろうじて意識を保っていた。彼女の精神は、AIヘリオスとの激しいハッキング戦で、燃え尽きる寸前だった。
そこへ、重い気密扉が開き、神崎が雪崩れ込むように入ってきた。
彼は、左腕の肉が焼ける激痛に顔を歪め、右腕で、機能を停止された銀色のスーツ――アトラスを、引きずっていた。
「……セレン、無事か」
「隼人さん……! その腕……!」
「かすり傷だ」
神崎は、アトラスを床に投げ捨てると、自らも壁に寄りかかり、荒い息を繰り返した。
ブリッジのメインスクリーンには、神崎が先ほどまでいた区画が、アトラスの兵士の残骸と共に、真空に晒されている映像が映し出されている。
『いやー、派手にやったな、エース』
艦内スピーカーから、今やこの船のAIとなったリオの声が、楽しそうに響く。
『お望み通り、アトラスは「生け捕り」だ。さて、どうする? このまま、この船でアイギス・フロンティアの王様にでもなるか?』
「……馬鹿を言え」
神崎は、痛む腕を押さえながら、メインスクリーンに映る、おびただしい数のアイギス艦隊を睨みつけた。
「この船が沈黙した。連中が、異変に気づくまで、あと何分だ」
『……計算中……』
リオの声から、陽気さが消えた。
『……最悪だ。この船、旗艦のくせに、定時連絡を5分怠っただけで、周囲の護衛艦隊が臨検に来る設定になってやがる。残り……3分だ』
「3分……!」
セレンが、顔を上げた。
「3分で、この包囲網を突破するなんて……!」
「できるさ」
神崎は、ブリッジの中央コンソール、リオが今まさに掌握したシステムの中心部を見つめた。
「リオ。お前が奪ったデータの中に、『それ』はあるか」
「……『それ』?」
「俺がこの時代に来た、『時空間の歪み』の全データ。そして、俺を……俺たちを、『地球』に送り返す座標は」
リオの意識が、オリンポスの膨大なデータベースをスキャンする。
数秒の沈黙の後、歓喜とも驚愕ともつかない声が響いた。
『……あった。あったぞ、神崎!ソラリスが持ってたのは、基礎理論だけだ。だが、こいつら(アイギス)は、すでに『時空間航行』を、実用化してやがった!クロノスなんてもんじゃねえ、安定した双方向のワームホールだ!』
「……帰れる」
セレンの瞳から、涙がこぼれた。
「……私たちの、故郷に……」
「そうだ」
神崎は、立ち上がった。
「リオ、セレン。俺たちは、この戦争に勝ったわけじゃない。ただ、『チェックメイト』をかけただけだ。この化け物と、この男……そして、この『技術』。全部、いただく」
神崎は、メインスクリーンに映る、ジオ・フロンティアのある、あの懐かしい蒼い星――地球の座標を指差した。
「全艦、最大戦速。進路、地球」
「待て!」
床に転がされていたアトラスが、スーツの外部スピーカーを通して、初めて焦りの声を上げた。
「お前たち、何を……!この船を、あの未開の星に持ち帰るだと!? 許さ……」
『うるせえ、捕虜は黙ってろ』
リオが、アトラスのスーツの電源を、完全に落とした。
『全艦に告ぐ!』
リオが、神崎の声色を真似て、艦内に響かせる。
『……いや、やっぱ俺の声で言うわ。行くぜ、お前ら!700年ぶりの里帰りだ!』
セレンが、震える手で、航行コンソールを握る。
「クロノ・ドライブ、チャージ開始!」
「座標、地球。ロック!」
メインスクリーンの外。
アイギスの護衛艦隊が、沈黙したオリンポスに対し、警告信号を発し始めた。数隻が、臨検のためにこちらへ向かってくる。
「リオ、セレン!」
神崎が叫ぶ。
「「今!!」」
ゴオオオオオオッ!!
アイギス最強の母艦『オリンポス』は、自らの艦隊の目の前で、空間を凄まじい勢いで歪ませ始めた。
護衛艦隊が、慌てて攻撃を開始する。
色とりどりのレーザーが、オリンポスのシールドに叩きつけられる。
だが、遅かった。
オリンポスは、神崎、セレン、リオ(の意識)、そして囚われたアトラスを乗せ、まるで自らの影に飲み込まれるかのように、アイギス・フロンティアの宙域から、その姿を……消した。
残されたのは、主を失い、混乱する、数千の銀色の艦隊だけだった。
戦いは、終わっていなかった。
それは、地球という、新たな「戦場」へと、持ち越されただけだった。




