第三十三話:チェックメイト
『セレン、こっちだ!最短ルートを床に表示する!走れ!』
リオのナビゲートに従い、セレンはオリンポスの艦内を疾走していた。背後で、神崎がアトラスの猛攻を食い止めているであろう、金属音と衝撃音が微かに響く。
(……死なないで、隼人さん!)
セレンは、自らに流れ込んでくる恐怖(ヘリオスが欲しがった感情データ)を、今はハッキングの集中力へと変換した。
数分後。彼女はついに、重厚なブラスト・ドアの前にたどり着いた。
『ここだ!この奥が、奴の「聖域」……ヘリオス(俺)の目からも物理的に隔離された、サブ・ブリッジだ!』
セレンは、クロノスから引きちぎってきたインターフェースを、ドアの制御パネルに接続する。
『よし、繋がった!今からロックを……クソッ!』
「どうしたの、リオ!」
『奴の個人認証がないと開かねえ!クソッタレなアナログ(物理)ロックだ!』
絶望がセレンの顔を覆う。
その時、背後の通路で戦っていた神崎の、絶叫が響き渡った。
『……ぐ……あぁぁぁぁぁっ!!』
(……そうだ)
セレンは、アトラスが神崎を殺そうとしているのではなく、神崎が「勝った」のだと、直感した。
神崎が、アトラスの通信を「10秒」止めた。
アトラスのヘルメットが、割れた。
『……よっしゃアアアア!!』
リオの歓喜の叫びが、セレンの耳にも届く。
『セレンが、今、ブリッジのドアをこじ開けた!』
「……え?」
セレンは、目の前のドアを見つめた。
それは、開いていなかった。
『……あ、いや、こじ開ける「はず」だ!』
リオが慌てて訂正する。
『神崎が時間を稼いだ!奴の生体認証が、今、ヘルメットの破損でエラーを起こしてる!その隙に、俺がシステムに偽の「開錠信号」を送り込む!今だ、セレン!ドアをこじ開けろ!』
セレンは、ハッキング(論理)ではなく、物理的なレバーに全体重をかけた。
神崎の「頭突き」という最も原始的な攻撃が、未来の超セキュリティに、ほんの一瞬の「バグ」を生み出していたのだ。
ゴゴゴゴゴ……
重いブラスト・ドアが、セレンの目の前でゆっくりと開いていく。
***
一方、神崎とアトラスの戦場。
「……旧人類風情が……よくも、この私の顔に……!」
アトラスの怒りが、スーツの出力を限界まで引き上げていた。
亀裂の入ったヘルメットの隙間から、血が流れ、蒼い瞳が憎悪に赤く染まっている。
「終わりだ!」
アトラスのブレードが、神崎の喉元を狙う。
神崎は、もはや避ける力も、武器も残っていなかった。
『神崎!伏せろ!』
リオの絶叫。
神崎は、反射的に床に倒れ込む。
直後、神崎がいた場所の壁が、艦内から発射された(リオが操作した)対侵入者用レーザーによって、焼き切られた。
「危ねえだろうが!」
神崎が叫ぶ。
『うるせえ!AIのサポートを信じろ!』
リオによる、船全体を使った援護射撃が始まった。
天井が開き、メンテナンス・アームがアトラスを掴もうとし、床の重力パネルが不安定に明滅し、アトラスの体勢を崩そうとする。
「小賢しい(こざかしい)……!」
アトラスは、自らの船からの攻撃を、超人的な反射神経で捌きながら、確実に神崎へと距離を詰めてくる。
「リオ!セレンは!」
『今、サブ・ブリッジのコンソールに触った!……よし、いいぞセレン!その調子だ!』
その通信を聞いたアトラスの動きが、焦りで一瞬だけ、大きくなった。
神崎は、その隙を逃さなかった。
彼は、アトラスのブレードを避けるのではなく、あえて自らの左腕を差し出した。
「!?」
高周波ブレードが、神崎の左腕の肉を骨まで焼き切る。
「ぐぅううううっ!」
激痛。だが、神崎は、その左腕一本と引き換えに、アトラスの「懐」へ、再び潜り込んでいた。
そして、残った右拳を、アトラスのヘルメットの「亀裂」めがけて、叩き込んだ。
ゴシャッ!
鈍い音と共に、ヘルメットの前面が、ついに砕け散った。
「……貴様……!」
素顔を晒したアトラスが、神崎を蹴り飛ばす。
だが、もう遅かった。
『……もらった』
リオの、冷たい声が響く。
セレンが、サブ・ブリッジのコンソールを、完全に掌握したのだ。
アトラスの動きが、ピタリと止まった。
神崎を殺そうと振り上げた拳が、空中で停止する。
銀色のスーツが、彼の進化の象徴であったスーツが、今や彼を拘束する、銀色の「枷」となった。
『アトラス。お前のスーツの全機能(マニュアル・オーバーライド含む)は、今、俺たち(ジオ・フロンティア)が頂いた』
AIのサポートを失い、AIに肉体そのものを奪われた「超人」は、ただ、憎悪の瞳で神崎を睨みつけることしかできなかった。
神崎は、焼かれた左腕を押さえ、血まみれの床に座り込んだ。
「……チェックメイト、か。未来人」
アイギス最強の母艦『オリンポス』は、この瞬間、たった三人の「旧人類」によって、完全に陥落した。




