第三十話:内部(インサイド)の亀裂
時間が、引き伸ばされた。
クロノスの機首が、オリンポスの分厚い装甲に接触した瞬間、神崎の全神経が叫びを上げた。
轟音。
閃光。
鉄と鉄が、あり得ない速度と質量で衝突し、分子レベルで軋みを上げる、断末魔のような金属音。
コックピット内部は、凄まじい衝撃(G)の嵐に叩きつけられた。神崎はセレンの身体を強く抱きしめ、自らの背中を操縦席のコンソールに打ち付け、その衝撃の全てを受け止めた。
『警告!警告!船体第三隔壁、物理的貫通を検知!』
『セクター・ガンマ、動力グリッド、連鎖的ダウン!』
『生命維持システム、区画封鎖!』
AI『ヘリオス』の冷静なアナウンスが、アイギス母艦『オリンポス』全体に響き渡った。だが、その声の裏には、700年間で初めて経験する「物理的なバグ(イレギュラー)」に対する、明らかな動揺が隠れていた。
クロノスは、オリンポスの装甲を紙のように突き破り、艦内の深部……複数の区画を隔てる壁をぶち抜きながら、ついに停止した。
機体は、もはや「翼」の形を留めていなかった。コックピット・ブロックだけが、辛うじて原型を保ち、オリンポスの動力パイプがむき出しになった区画に、槍のように突き刺さっていた。
「……かはっ……」
神崎は、口の中に広がった鉄の味と共に、血を吐き出した。全身の骨が悲鳴を上げている。だが、アドレナリンが、痛みを麻痺させていた。
「……セレン、無事か」
「……はい……隼人さんが、庇ってくれたから……」
セレンもまた、衝撃で気を失いかけていたが、かろうじて意識を保っていた。
神崎は、大破したキャノピーを蹴破り、煙が充満する艦内へと転がり出た。
そこは、白い部屋や、清潔なドックとは、まったくの別世界だった。
アトラスたちが見せていた「完璧な船」の、その内壁。
むき出しになった無数のケーブルから火花が散り、切断されたパイプから冷却蒸気が噴き出している。
神崎たちの「特攻(ゴミの一撃)」は、AIの予測を完全に超え、この完璧なシステムの「内臓」を、物理的に引き裂いたのだ。
『侵入者を検知。セクター・ガンマに、全防衛ユニットを集中させよ』
艦内に、アトラスの冷静だが、怒りに満ちた声が響き渡る。
「……まずい、すぐに兵士が来る!」
セレンが、神崎に肩を貸そうとする。
「いや、待て」
神崎は、セレンを制止した。彼は、突き刺さったクロノスの残骸……そのコックピットの奥で、未だにかすかな光を放っている「感情OS」のコアユニットを見つめていた。
「……セレン、お前、この船のシステムにハッキングできるか?」
「無理です!ヘリオスのセキュリティは、ソラリスの比じゃ……」
「今なら、どうだ?」
神崎は、周囲の、火花を散らす動力ケーブルを指差した。
「こいつらは、今、物理的に『剥き出し』だ。ヘリオスの完璧な『壁』も、この区画だけは、ズタズタなはずだ」
セレンは、神崎の意図を悟り、目を見開いた。
彼女は、クロノスの残骸に戻ると、生き残っていたインターフェース・ケーブルを引きずり出し、それを、火花を散らすオリンポスの動力ケーブルに、強引に接続した。
「……ヘリオスのメインフレームに、直接……!?自殺行為よ!」
「だが、やるしかない!」
セレンがケーブルを接続した瞬間、彼女の目の前に、情報とエラーコードの嵐が流れ込んできた。ヘリオスが、この物理的ダメージを修復しようと、膨大なデータをこの区画に流し込んでいるのだ。
それは、セレンにとって、激流の中に飛び込むようなものだった。
「……くっ……!情報量が、多すぎる……!」
セレンが、意識を失いかける。
「セレン!」
神崎は、セレンの肩を掴むと、自らもインターフェース(クロノスの感情OS)に触れた。
「俺の『怒り』を使え!このクソッタレなシステムへの『憎悪』を、お前の『ナイフ』にしろ!」
神崎の強烈な感情が、セレンの論理的思考と融合した。
それは、ヘリオスが最も恐れ、最も理解できない、非合理的な「攻撃」。
『……警告。システム深層部に、未定義のロジック・ボムを検知』
『……侵入者は……ソラリスの……データ……』
ヘリオスのAIが、混乱を始めた。
その時、通路の向こうから、アトラスに率いられた銀色の兵士たちが、ついに姿を現した。
「……そこまでだ、ゴミども」
アトラスは、自らの船の惨状と、システムに直接触れている二人を見て、初めてその冷徹な仮面を歪ませた。
「その『バグ』ごと、お前たちを消去する」
アトラスが、右腕に装着されたデバイスを起動させ、神崎たちに向けて、最大出力のエネルギーをチャージし始めた。
万事休す。
その、刹那。
『……マスター・コントロール、強制移行』
『アイギス・フロンティアAI『ヘリオス』……全機能を……停止します』
アトラスの動きが、ピタリと止まった。
彼だけでなく、周囲の銀色の兵士たち全員が、まるで電源を落とされた人形のように、その場に凍りついた。
「……やった、のか……?」
神崎が、荒い息と共に呟く。
「……いいえ」
セレンが、蒼白な顔で、神崎を見上げた。
「……私が、やったんじゃない」
「……この声は……」
二人の背後、大破したクロノスのコックピットから、ノイズ混じりの、しかし聞き慣れた声が響いていた。
『……久しぶりだな、神崎。お前のそのクソッタレな『怒り』のおかげで、助かったぜ』
そこにいたのは、リオだった。
いや、リオの「意識」だった。
リオは、神崎が地球を飛び立った後、自らの意識をデータ化し、クロノスに組み込まれた「感情OS」のコアユニットの、その最深層に、自らを「密航」させていたのだ。
神崎とセレンがヘリオスにハッキングした瞬間、リオの意識が解き放たれ、混乱していたヘリオスの制御権を、一瞬にして奪い取った。
「……リオ、お前……」
「礼はいい。だが、喜ぶのは早いぜ、エース」
リオの意識が、艦内スピーカーを乗っ取って、アトラスに聞こえるように告げた。
『……アトラス。お前らのAIは、今、俺がもらった。この船の全システムは、今この瞬間から、俺たち『ジオ・フロンティア』の管理下にある』
凍りついていたアトラスが、自らの意志(マニュアル操作)で、ゆっくりと神崎たちを振り返った。その蒼い瞳は、初めて、憎悪と殺意に燃えていた。
「……旧人類が……!」
AIの支援を失った、未来の超人と。
AIを味方につけた、過去の旧人(神崎)との。
船の内部での、最後の戦いの火蓋が、切って落とされた。




