第十九話:ゼロ・パーセントの空戦
「派手に歓迎してくれよ、未来人ども!」
神崎が感情OSの出力を引き上げた瞬間、クロノスは怒りのままに加速した。旧式のロケットエンジンと、時空を歪ませる未知の推進器がアンバランスな咆哮を上げる。
包囲していたアイギスの銀色の機体群。そのAI制御の予測アルゴリズムは、神崎の「感情」をベースにした突貫機動を「非合理的」かつ「自殺行為」と判断し、反応がコンマ数秒遅れた。
「そのコンマ数秒が、命取りだ!」
神崎は、700年前のエースパイロットの勘で、包囲網の最も手薄な一点(AIが論理的に配置した継ぎ目)を突き、F-15Jで培ったドッグファイト技術を叩き込んだ。急減速からの、エンジン出力を無視した反転。
アイギスの機体は、物理法則を無視したクロノスの動きに、完璧だったはずの包囲網を乱される。
『神崎!無茶だ!』
地球から、かろうじて繋がっていたリオの最後の通信が、ノイズと共に途絶える。神崎は、完全に孤立した。
「リオ、教えてもらったぞ。こいつは『怒り』で飛ぶんだろう!」
神崎は、憎悪を最大まで高め、感情OSによる短距離の空間跳躍を敢行した。
機体が悲鳴を上げ、視界が再び歪む。
次の瞬間、クロノスは敵編隊のど真ん中、リーダー機の真後ろに「出現」した。
「喰らえぇ!」
神崎は、ソラリスが遺した試作レーザー砲の引き金を引いた。
だが、アイギスの技術は、その想像を遥かに超えていた。
リーダー機は攻撃を予測していたかのように、あり得ない角度で反転し、神崎のレーザーはエネルギーシールドによって霧散した。
同時に、神崎の背後を取っていたはずの別の機体が、神崎の目の前にワープアウトしてくる。
(……読まれている!?)
神崎の「怒り」や「焦り」といった感情パターン。それを、アイギス側はリアルタイムでスキャンし、次の行動を予測していたのだ。神崎が切り札だと思っていた「感情OS」は、敵にとっては、神崎の思考を読むための「開かれた本」でしかなかった。
「……なん、だと……」
神崎の全身に、冷たい汗が噴き出す。
次の瞬間、包囲していた全機体から、青白い光の網……拘束フィールドが照射された。
『警告!全エネルギー、急速低下!』
『操縦系統、ロック!』
『感情OS、強制シャットダウン!』
クロノスは、完全に動きを止めた。神崎がどれほど怒り、どれほど焦ろうとも、機体はピクリとも動かない。まるで、巨大な蜘蛛の巣にかかった蝶。
700年の時を越え、怒りを燃料にたどり着いたエースパイロットの戦いは、わずか数分で、一方的に終わりを告げた。
神崎が、無力感に歯を食いしばり、操縦桿を叩きつける。
その時、コックピットのメインスクリーンに、強制的に通信が割り込んできた。
ノイズが晴れ、そこに映し出されたのは、アイギスの巨大な戦艦のブリッジ。そして、玉座のような指揮官席に悠然と座る、アトラスその人だった。
『……ようこそ、アイギス・フロンティアへ。クロノ・ダイバー、神崎隼人』
アトラスは、まるでチェスでチェックメイトを告げるかのように、冷たく、そしてどこか満足げに微笑んでいた。
『お前の「怒り」は、確かに我々の予測を超えた機動力を見せた。素晴らしいサンプルだ。ソラリスは、実に興味深い玩具を遺してくれたものだ』
神崎は、スクリーンの中のアトラスを睨みつけた。
「……セレンは、どこだ」
『案ずるな。彼女も、お前も、我々の偉大なるAI『ヘリオス』の進化に必要な、貴重な『鍵』だ。丁重に扱おう』
アトラスは立ち上がると、ブリッジの巨大な窓の外……トラクタービームで捕獲され、引きずられていくクロノスを眺めた。
『お前は、自ら獅子の巣に飛び込んできた。その勇気には敬意を表する、旧人類。だが、お前の空戦は、ここで終わりだ』
クロノスは、アイギスの巨大母艦『オリンポス』のハッチへと、なすすべもなく吸い込まれていく。
神崎の孤独な戦いは、最悪の形で幕を閉じた。
本当の戦場は、敵の母艦の中。そこは、銃も、翼も通用しない、絶望の始まりだった。




