第十七話:感情OS(エモーション・オーエス)
ジオ・フロンティア秘密ドック。
72時間のカウントダウンタイマーが、無慈悲に時を刻んでいる。
残り、48時間。
「ダメだ!またエラーだ!」
シミュレータから吐き出された神崎は、冷却液にまみれた床に膝をついた。リオが組み替えた「感情OS」は、あまりにも荒唐無稽な代物だった。
通常の操縦桿やスロットルは、あくまで機体の大気圏内飛行用でしかない。問題の「跳躍」は、神崎の脳波と感情の起伏をトリガーにして、空間座標を指定するという、まさに狂気のシステムだった。
「クソッ!どうやればいい!」
神崎がコンソールを殴りつける。
「だから言ってるだろ!」
リオが負傷していない左手でキーを叩きながら怒鳴り返す。
「『操縦』しようとするな!『祈れ』!『願え』!『行きたい』と念じるんじゃねえ、『行くんだ』と脳を焼き切るほど強烈にイメージしろ!」
「それができれば苦労はしない!」
「あんたの『恐怖』も『怒り』も全部だ!それをシステムにぶちまけろ!このキメラ(クロノス)は、あんたの感情の起伏を燃料にして時空の歪みをこじ開けるんだよ!」
神崎は再びコックピットに身を沈めた。
(恐怖……怒り……)
彼は目を閉じる。
脳裏に蘇るのは、アトラスの冷たい蒼い瞳。セレンが連れ去られる瞬間の、絶望的な光景。仲間を、帰る場所を、そして未来までをも、一方的に奪われた屈辱。
(アイギス……!)
憎悪。焦燥。そして、セレンを必ず取り戻すという、ただ一点の強烈な『意志』。
神崎がこれまでパイロットとして徹底的に訓練されてきた、「冷静さ」や「論理的思考」とは真逆の、ドロドロとした激情。
彼がそれをシステムに解き放った瞬間。
ビィィィン―――!
シミュレータのコアが、甲高い共鳴音を上げた。
『感情パターン、ロックオン。憎悪レベル、閾値を突破。時空座標へのアンカー、確立。跳躍シーケンス、スタンバイ』
「……!」
神崎の目の前のモニターに、初めて「跳躍可能(DIVE READY)」の緑色の文字が灯った。
「……やったか!?」
リオが叫ぶ。神崎は汗だくのまま、荒い息を繰り返していた。
「……ああ。飛べる。こいつは、俺の怒りで飛ぶ翼だ」
***
残り、8時間。
ドックの中央で、ついにその機体が最終調整を終えた。
『CHRONOS』。
それは、神崎が知るどの機体よりも醜悪で、そして美しかった。
F-15Jのデータを流用した鋭い機首。
21世紀のロケットエンジンを魔改造したメインスラスター。
そして、それらを強引に繋ぎ止める、中世の城から発掘されたエネルギーコアが脈動する、歪な胴体。
寄せ集めの部品で作られた、未来への反逆の翼。
サラが、最後の装甲板を溶接し終え、ヘルメットを脱いだ。
「……できた。カイさんの計算が正しければ、大気圏突破までは持つはずだ」
カイは、疲れ切った顔で頷いた。
「問題は、その先だ。リオ君、シグナルの残滓は?」
リオが、やつれた顔でメインスクリーンを指差した。静止軌道上の一点が、かろうじて、風前の灯火のように明滅している。
「……残り8時間で、完全に消える。ギリギリだ」
神崎が、専用の耐Gスーツ(ソラリスが遺した試作品だ)に身を包み、機体を見上げた。
「時間だ」
彼は、仲間たちの前に立つ。
カイ、リオ、サラ。たった3人の、未来を託す仲間たち。
「セレンは、必ず連れ戻す」
「……当たり前だ」
リオが顔を背けながら言う。
「ついでに、俺が作ったこの翼(OS)が、アイギスのクソッタレどもより上だってことを、証明してこい」
「神崎君」
カイが、彼の肩を掴んだ。
「人類の未来は、君のその『旧い感情』に託された。皮肉なものだが……頼んだ」
「死ぬなよ、エース」
サラが、短く敬礼した。
神崎は、力強く頷くと、クロノスのコックピットへと乗り込んだ。
キャノピーが閉鎖され、機内の生命維持装置が起動する。
操縦桿は、彼が慣れ親しんだF-15Jのものに酷似していた。だが、その中央には、彼の脳波と感情を読み取る、不気味なインターフェースが埋め込まれている。
『メインエンジン、点火』
神崎は、操縦桿ではなく、自らの「怒り」に意識を集中した。
機体後部のメインスラスターが、青白い炎を噴射する。
『ドック天井、開放。クリアランス、オールグリーン』
リオの声が響く。
『CHRONOS-DIVER 1(クロノス・ダイバー・ワン)、神崎隼人。出るぞ!』
ゴオオオオオッ!
凄まじい轟音と振動と共に、クロノスは垂直に上昇を開始した。ジオ・フロンティアの地下深くから、人類が3ヶ月前に手に入れた「本物の空」へ向かって。
機体は一瞬で音速を突破し、成層圏を突き抜け、蒼い地球を眼下にする漆黒の宇宙空間へと躍り出た。
眼前に、赤く明滅する「道標」が見える。
神崎は、スロットルを全開にした。
「待ってろ、セレン。待ってろ、アトラス……!」
彼は、人類史上初めて、「怒り」を燃料に、時空の彼方へとその翼を向けた。




