第十六話:72時間の翼
ジオ・フロンティアの最下層。そこは、ソラリスが各時代のセクターを建造するために使用していた、地底湖に面した巨大な秘密ドックだった。かつては完璧な秩序の下で無人ドローンだけが稼働していたその場所に、今、カイ、リオ、サラ、そして神崎の怒号と金属音が響き渡っていた。
「急げ!21世紀セクターの博物館から運び出したメインスラスターを、ここのフレームに接続するぞ!」
サラの力強い指示が飛ぶ。彼女は建設モジュールを巧みに操り、博物館の「展示物」としてカモフラージュされていた本物のロケットエンジンを、異形のフレームへと組み付けていく。
そのフレームこそが、ソラリスが遺した設計図『CHRONOS』。
それは、神崎が知るどんな航空機とも似ていなかった。F-15Jの鋭角的な翼の設計思想(それは神崎のフライトデータから解析されたものだ)と、スペースシャトルのような耐熱タイル、そしてそれらを強引に束ねる、アイギスの技術を模倣した未知のエネルギー循環システム。人類の過去と未来を無理やり接ぎ木したような、歪なキメラだった。
「カイさん!中世セクターの地下から掘り出した『賢者の石』、こいつの出力が不安定すぎる!」
負傷した腕を吊ったリオが、片手で必死にコンソールを叩く。
「だろうな!」
カイが配線を睨みながら叫ぶ。
「ソラリスは、アイギスに察知されぬよう、全てのパーツを意図的に未完成、あるいはダウングレードして隠していた!我々の手で、この場で完成させねばならんのだ!」
彼らは寝る間も惜しみ、たった4人で、神の領域の機体を組み上げていた。
一方、神崎は、ドックの片隅に設置されたシミュレータに座っていた。リオがソラリスのデータから突貫で作り上げた、クロノス用のフライトシミュレータだ。
「……ぐっ……ぁっ!」
神崎は、激しいGと精神負荷に耐え、コックピットで歯を食いしばっていた。
クロノスの操縦は、神崎の経験を遥かに超えていた。大気圏内での飛行はまだしも、問題は、大気圏を突破し、静止軌道上の「跳躍シグナル」に到達するための、ワープドライブのシミュレーションだった。
『警告。空間座標認識エラー。パイロットの精神が、多次元座標の同時認識に失敗』
無機質な警告音と共に、視界がブラックアウトする。神崎は、まるで脳を直接掴まれるような激痛に、シートに沈み込んだ。
「……クソッ!」
彼はヘルメットを叩きつける。
「これじゃ飛べない!この機体は、俺の神経に応えようとしない!」
焦りをぶつける神崎に、リオがコンソール越しに怒鳴り返した。
「当たり前だ!あんたが乗ってたのは、空気の抵抗を計算して飛ぶ『飛行機』だ!こいつは、空間そのものを捻じ曲げて飛ぶ『跳躍機』なんだよ!700年分の進化を、数時間でマスターしようなんて、ふざけるな!」
「だが、時間が無いのはお前が一番分かってるはずだ!」
二人の間に火花が散る。その時、カイが重い口を開いた。
「……その通りだ。時間は、ない」
カイがメインスクリーンに、アイギスの母艦が消えた静止軌道上のデータを映し出した。リオが観測した「跳躍シグナルの残滓」が、まるで陽炎のように揺らぎ、徐々にその光を失いつつあった。
「アイギスが使ったワームホールが、閉じかけている。このシグナルの残滓が、我々が奴らを追跡できる唯一の『道標』だ」
カイは、非情な計算結果を突きつけた。
「このトレースが完全に消失するまで、残り……推定、72時間」
72時間。
たった3日で、未知の機体を完成させ、未知の操縦技術をマスターし、時空の彼方へ飛び立てと?
絶望的なタイムリミットが、ドックの空気を凍りつかせた。
「……やるしかないだろ」
最初に沈黙を破ったのは、リオだった。彼は神崎のシミュレータに歩み寄り、自分の端末を接続した。
「いいか、神崎。あんたの旧人類の脳ミソは、俺たちみたいに安定化プログラムで守られてねえ。だから、空間が歪む『G(負荷)』に耐えられないんだ」
「……どうしろと」
「逆だ。耐えるな。受け入れろ」
リオは、ニヤリと笑った。
「あんたの『恐怖』も『焦り』も、全部システムに流し込め。ソラリスのAIじゃ処理できなかった、その制御不能な『感情』こそが、この不安定な機体を動かす鍵になるように、俺が今、OSを書き換えてやる」
それは、神崎の精神そのものを、クロノスの制御システムの一部に組み込むという、狂気の賭けだった。
「……面白い」
神崎の瞳に、再び闘志の火が宿った。
「やってみろ、リオ。俺の魂ごと、この翼にくれてやる」
神崎は再びシミュレータのキャノピーを閉じた。
残された時間は、71時間50分。
セレンの命、そして奪われた過去と未来を取り戻すための、孤独なダイブが再び始まった。




