第十四話:奪われし鍵
「断る」
神崎の冷たい拒絶が、静まり返った制御室に響く。
次の瞬間、彼はアトラスの眉間に向かってP230JPの引き金を引いた。
乾いた銃声。しかし、予測された衝撃は起こらない。
アトラスの目の前に、空間が歪んだかのような透明な壁が出現し、700年前の弾丸はまるでスローモーションのように勢いを失い、カラン、と音を立てて床に落ちた。
運動エネルギー偏向シールド。アトラスは、眉一つ動かさない。
「無駄だ、旧人類。お前たちの武器は、我々には届かない」
神崎が二発目を撃つより早く、アトラスの部下たちが動いた。彼らが構えた小型のデバイスから、目に見えない衝撃波(あるいは神経パルス)が放たれる。
「ぐっ……!」
銃を構えていたカイも、防衛ドローンを操作しようとしていたサラ(アジトから駆けつけていた)も、まるで糸が切れた人形のように崩れ落ち、全身を痙攣させながら意識を失った。
残ったのは、神崎、セレン、そしてリオだけだった。
「このクソ野郎……!」
リオは最後の力を振り絞り、コンソールに突進する。
「あんたらの思い通りになるか!このデータは、俺たちの希望だ……ソラリスの遺産もろとも、自爆させてやる!」
彼がエンターキーを叩き込もうとした、その刹那。
アイギスの兵士が放ったパルスが、リオの右腕を直撃した。肉が焼ける音ではなく、神経そのものが焼き切られるような鈍い音と共に、リオが床に倒れ伏す。
「リオ!」
神崎が叫び、倒れたリオを庇うように立ちはだかる。
その行動を見たアトラスは、冷ややかに、しかし満足げに頷いた。
「なるほど。旧人類は、実に感情的だ。仲間意識、自己犠牲……。我々が効率化のために切り捨てた、興味深いバグだ」
アトラスは部下たちに合図を送る。
「データバンクの強制抜き取りを開始しろ。3分で終わらせろ」
「はっ」
兵士たちは、制御室の壁に設置されたメインフレームに、自らの端末を次々と接続していく。ソラリスが遺した膨大なデータが、凄まじい速度で彼らの母艦へと転送されていく。
「やめろ……!」
神崎はサバイバルナイフを抜き、最も近くの兵士に襲いかかる。だが、ナイフがスーツに触れる寸前、兵士はいとも容易く神崎の腕を掴み、捻り上げた。
「がっ……!」
関節が外れるほどの激痛。だが、神崎は痛みで歪む顔で笑った。
彼は空いた左手で、兵士のヘルメットの継ぎ目に隠し持っていた発煙筒を叩きつけ、作動させた。
ブシュウウウッ!!
至近距離で高輝度の閃光と濃密な煙が噴き出す。
「なっ!?」
視界を奪われた兵士が、一瞬だけ神崎を離す。その隙を突き、神崎は兵士の武器を奪い取り、即座に別の兵士に向けて発射した。
予測不能な、旧時代の白兵戦術。それは、神崎が700年の時を越えて持ち込んだ「バグ」そのものだった。
数秒間、制御室は混乱に陥った。
だが、それも数秒のことだった。
「……そこまでだ」
アトラスの声と共に、神崎の全身に強烈な拘束フィールドがかけられ、身動きが取れなくなる。
「見事な闘争本能だ、旧人類。やはりお前は、最高のサンプル(鍵)だ」
部下の一人が、データ転送の完了を告げる。
「アトラス様。時空間理論データ、及びソラリスの全ログの抜き取り、完了しました」
「よし。撤退する」
アトラスは、拘束されたまま悔しさに歯軋りする神崎の前に立つと、隣で震えていたセレンの腕を無造作に掴んだ。
「なっ、何を!?」
「保険だ」
とアトラスは言った。
「お前を確実に入手するためのな」
「待て!セレンは関係ない!放せ!」
神崎が叫ぶ。
アトラスは、拘束フィールドを解除された神崎の肩を叩いた。
「女を返してほしければ、自ら来い、クロノ・ダイバー。我々のフロンティア、『アイギス』の門を叩け。お前が持つ『時を越えた経験』そのものが、我々の技術を完成させる最後のピースだ」
「……お前が来なければ、この女の精神を解析した後、この世界の恐竜の餌にする」
それは、選択肢のない最後通牒だった。
アイギスの兵士たちは、セレンを抵抗できないように拘束すると、アトラスと共に銀色の機体へと撤収していく。
「セレン!!」
神崎は、負傷したリオを抱えながら、後を追おうとする。
だが、銀色の機体は、神崎の目の前でハッチを閉じると、一切の音もなく垂直に上昇し、ジオ・フロンティアの開かれた天井から、空の彼方へと消えていった。
神崎の手には、何も残らなかった。
元の時代へ帰るという、淡い希望(時空間データ)も。
この世界で得た、かけがえのない仲間も。
その全てが、たった今、圧倒的な力によって奪い去られた。
床に倒れたリオが、途切れ途切れの声で呟く。
「……すまねえ……神崎……俺が、あんたの……帰る場所を……」
「喋るな!」
神崎はリオの傷口を押さえながら、憎しみに燃える瞳で、敵が消えた空を睨みつけた。
「……アイギス・フロンティア」
彼の声は、怒りと絶望の底から絞り出されたものだった。
「必ず、奪い返しに行く」
神崎の、次の戦いが、今、始まった。




