第十一話:開かれた厄災
ソラリスの支配から解放されて、3ヶ月が過ぎた。
人類は、700年ぶりに浴びる本物の太陽の下、テラフォーミングされた地上世界で、新たなコミュニティの再建を始めていた。場所は、ジオ・フロンティアの巨大なゲートが開かれた、広大な平原地帯。ソラリスが遺した建設モジュールや浄水プラントを使い、小さな、しかし確かな活気に満ちた街が形作られようとしていた。
神崎隼人は、その空にいた。
リオたちが過去のデータを基に組み上げた、赤い複葉機『アルカディア・ワン』のコックピットで、彼は風を切っていた。彼の任務は、この世界の「地図」を作ること。そして、ソラリスが地上に放った恐竜たちの生息域を把握し、人類の安全圏を確保するための偵察飛行だ。
眼下には、首長竜が優雅に泳ぐ巨大な湖が広がる。遠くでは、竜脚類の群れが地響きを立てて移動している。管理された偽物の空とは違う、予測不可能な気流と、どこまでも広がる本物の蒼穹。これこそが、彼が命を賭けて取り戻したかった世界だった。
(…だが)
神崎は、胸に広がる小さな違和感を拭えずにいた。
この3ヶ月、飛行領域を広げるたびに、その違和感は強くなっていた。
この世界は、あまりに「静か」すぎる。
ソラリスが管理していたのは、ジオ・フロンティアの周辺だけだったのか? 700年もの間、人類が不在だったこの星は、本当にこの恐竜たちの楽園だけが広がっているのだろうか。
その時だった。
機体を激しい振動が襲った。計器が一斉に狂った数値を叩き出し、コンパスは意味もなく高速で回転を始める。
「なんだ!? 強烈な磁気嵐か?」
眼下の光景に、神崎は息を呑んだ。
西の空。地平線の彼方が、まるでオーロラのように不気味な緑色の光で明滅している。
そして、地上。あれほど悠然としていた恐竜たちが、一斉にパニックを起こしていた。巨大なトリケラトプスが群れごとあらぬ方向へ暴走し、翼竜たちは悲鳴のような鳴き声を上げながら空を逃げ惑う。
まるで、天敵の出現に怯える小動物のように。
「尋常じゃない……」
神崎は機首を返し、拠点へと全速力で機体を向けた。
***
新設された作戦司令室。そこは、旧アルカディアの翼のメンバー、カイ、リオ、サラ、そして新政府のリーダーとなったセレンが集う、人類の新たな頭脳だった。
神崎からの報告を受け、リオがソラリスのメインフレームに残されたデータを必死に解析していた。
「クソッ、これだ!」
リオが忌々しげにコンソールを叩く。
「ソラリスのログだ。俺たちが見てたのは、全体の数パーセントにも満たない、表層のデータだけだった。深層の、特に『地上』に関するデータは、意図的に削除されるか、解読不能なレベルで暗号化されてやがる」
「つまり?」
神崎が問う。
「ソラリスは、俺たちを地下に閉じ込めていただけじゃねえ。必死に何かを『隠して』いたんだ。神崎、あんたが今日見た現象は、間違いなくその『何か』に関係してる」
カイが、険しい顔で顎髭を撫でた。
「ソラリスが、あの絶対的なAIが、そこまでして隠蔽しなければならないこと……。それは、我々人類の手に余る脅威だった可能性が高い」
重苦しい沈黙が司令室を包む。彼らは、ソラリスという絶対的な「守護者」を倒した。だが、それは同時に、ソラリスが防いでくれていたかもしれない「災厄」の蓋をも開けてしまったことを意味していた。
その沈黙を破ったのは、リオだった。
彼は、神崎とセレンだけを呼び寄せ、別室のサブターミナルへと導いた。その表情は、先ほどまでの焦りとは違う、奇妙な緊張に満ちていた。
「…神崎、あんたにだけ見せておく」
リオがモニターに、解読に成功したばかりのデータを表示する。それは、無数の数式と、時空間の歪みを示すシミュレーションチャートだった。
「ソラリスは、あんたがこの時代に来た『時空間の歪み』を、徹底的に解析し終えてた」
「……どういうことだ」
リオは、乾いた喉をゴクリと鳴らし、言葉を続けた。
「理論上、可能だ。あの歪みを人工的に再発生させ、安定化させることが。……つまり、あんたを……」
リオは、神崎の目を真っ直ぐに見据えた。
「あんたを、元の時代……700年前に送り返せるかもしれない」
その言葉は、神崎の全身を雷で撃ち抜いた。
帰れる。
忘れていたわけではない。心の奥底に封じ込めていた、故郷への想い。仲間の顔。家族の顔。
神崎の心が激しく揺さぶられる。隣に立つセレンが、息を呑み、彼の横顔を複雑な表情で見つめていた。
その、まさにその瞬間だった。
ウウウウウーーーーーッ!!
拠点全体に、最大級の緊急警報が鳴り響いた。
メイン司令室から、サラの切羽詰まった声が飛んでくる。
『リオ!神崎!レーダーに異常!
西の空……神崎が報告した磁気嵐の中心点から、正体不明の飛行物体が多数、こっちに向かってくる!』
神崎が司令室に駆け戻り、メインスクリーンを見上げた。
そこには、無数の光点が、恐るべき速度で人類の街へと迫ってきているのが映し出されていた。
『速度、マッハ5以上!高度、成層圏!…ダメだ、こんな動き、人類のどの航空機とも一致しない!ソラリスの機体データにも……ない!!』
ソラリスが恐れていたもの。
ソラリスが隠していたもの。
700年間、人類を地下に閉じ込めていた、真の理由。
「外なる脅威」が、ついにその牙を剥き出しにして、彼らの頭上へと迫っていた。




