【第36話】ブルー・アビス、襲撃
轟音が遠ざかる空に、青い影がうねりながら迫っていた。
「南蛮地区の方は、⚪︎番の避難シェルターにお願いします」
あいりゃは避難所の一角に設置されたモニターの前に立ち尽くす。
避難所のモニターに巨大な影が映る。
青白い輪郭を震わせながら、深海の圧にゆがんだ巨体がゆっくりと浮上してくる。
――ブルー・アビス。
深層層でのみ生息が確認されている、海洋変異体兵器。
その体表から発せられる“腐食海流”は、通常の海水ではなく、
高圧と化学反応が混ざり合った金属溶解性の高エネルギー水流だった。
触れた装甲は数秒で泡を立てて崩れ、
音響振動と腐食を同時に叩きつけるその攻撃は、
従来のMAではほぼ防御不可能。
モニターの音声が続ける。
「……ブルー・アビスが発する腐食海流の圧は、通常深度の七倍。
直撃すれば機体ごと“海に溶かされる”。
視認できる攻撃ではないため、回避は困難――」
避難所の空気が固くなる。
あいりゃは拳を握り、唇を噛む。
正面のスクリーンには、迎撃に向かうMAたちの姿が映っている。
だが、自分はそこにはいない――
MAに触れてもいない――。
――私は、ここにいるだけでいいのか?
胸の奥で、あの感覚がざわついた。
海千留を守れなかったあの日、火と血と絶望の中で感じた力。
それは、今も変わらず自分の体に刻まれている。
しかし、この力で人を殺した自分が、MAに触れる資格などあるのだろうか。
「あいりゃ、人を…殺さないでね」
海千留の優しい声があいりゃの記憶の中で笑いかける。
そんな時、
モニターの中に海斗が前線に向かう姿が映る。
彼は仲間に声をかけ、冷静に戦闘態勢を整えていた。
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戦闘準備のサイレンが響く格納庫。
「隊長、本当にいいんですね?」
「ああ…」
城真は表情ひとつ変えずに「ブルー・アビス」が映し出されたモニターを見つめている。
彼女の搭乗なしで前線にMAを出撃させた。
三号機を中心に楔形で前衛が並ぶ。
本来なら、前衛10機、後衛4機が扇状陣形を形成するはずだった。
その中心にはあいりゃのMAが配置され、彼女の生体電位が“同期核”となって全機が群制御される。
量子リンクが結ばれたMA群は、一体の巨大兵器のように動き、ブルー・アビスの音響兵器も、あいりゃの展開する量子遮蔽フィールドで無力化される――はずだった。
後衛はその隙にコアを狙い集中砲火を浴びせ、最後にあいりゃの高放射線兵器で仕留める計画。
あいりゃが乗ることが前提の、緻密で完璧な作戦だった。
「……このままでも、戦えるのか?」
前衛MAのパイロットが互いに目を合わせる。
少し安堵の表情を浮かべる者もいれば、眉をひそめる者もいた。
凛が、胸中で不安を押し殺す。
彼女は知っていた。あの存在――airyaがいて初めて、自分たちは安全だったことを。
今、この状況で彼女がいないことがどれほどのリスクか、理性では理解できる。
「俺たち、全滅かもな。
ブルーアビスが発生させる“腐食性の高圧海流”、
あんなの食らったら、ひとたまりもないぜ」
戦闘経験のあるパイロットのつぶやきが、静かに周囲に伝わる。
「“腐食海流”を避けて進もう。
こんな所で死んでられない」
冷静さを装っていた者たちも、「ブルー・アビス」を前に、視線が揺れ始める。
「本気かよ。あんな化け物に扇状陣形で突っ込むとか」
「仕方ないだろ。中心点は――airyaの予定だった。
軍が狙ってたのは、あの子の生体電位を核にして動かす“同期陣形”だったがな」
「その枠割を三号機に?」
「ほんとにそんなことできるのかよ」
「量子遮蔽まであの子頼りとかも……正気じゃない」
別のパイロットが、苦笑に近い息を吐く。
「俺らは三号機を囲んで楔になる。
三号機の目の前で“量子遮蔽フィールド”展開して、あいつの音響兵器を無力化する――ってことだろ?」
「無力化“できたら”な。フィールドが破れたらブルーアビスの攻撃よりも先に、海水がくる。全員即死だぞ。この階層での海洋汚染に、俺たちはまず耐えられない。」
「三号機の目の前で“量子遮蔽フィールド”展開…。三号機が巻き込まれる」
「その前提だな...。その隙に後衛の四機がコアを撃ち抜く……で、最後の止めは――」
「あぁ...高放射線兵器を使う。」
誰かが唾を飲む音が、避難所の中にやけに響いた。
「……この作戦、実質“あいりゃ前提”なんだよな。あれが消えた瞬間、全滅確定ってわけだ」
「……上層はそういう計算だろ。『滅びの天使』を実戦投入するためのデータも欲しいんだ」
「あんなのいなくても、俺はやれる」
「あぁ...」
「ブルー・アビス」を前に、重い沈黙が落ちる。
量子同期陣形の中心点――あいりゃなしでは、戦術が根本から崩れた。
そんな事は誰もがわかっていた。
一方で、あいりゃは指示に従って一般市民として避難所に案内される。
そこは臨時に設置された体育館のような空間で、壁沿いにパイプ椅子が並び、簡易ベッドが置かれていた。
静かな避難所の空気の中、モニターが天井から吊るされ、前線の映像を映している。
あいりゃは足を止め、画面に目を凝らした。
そこには、今まさにブルー・アビスに挑む仲間たちの姿があった。
――この作戦は、私が死なない前提で設計されている。
私は、本当に死なないんだろうか。
誰かに、求められているんだろうか。
前衛MAは轟音と蒼光に包まれ、後衛MAは孤立し、量子リンクは揺らぐ。
都市の輪郭が崩れ、塩と蒸気の煙が立ち上がる。
モニター越しに、前衛MAがバラバラに動く様子が映る。
同期核が存在せず、量子リンクが乱れ、各機は自律モード防御に落ちる。
青く光る海流の中で、音響兵器の防御は間に合わず、前衛のMAが次々に失神・撃沈される。
後衛は丸裸になり、砲撃の応酬のなかで崩壊していった。
“私が乗れば……”
何度も繰り返される思考。だが今は逃げるしかない。
視線はスクリーンから離せなかった。
仲間たちの叫び声、砲撃音、機体の金属が溶ける音――全てが避難所の静かな空気に重くのしかかる。
遠くで、前衛の一機が腐食海流に巻かれ、消えていく。
その瞬間、あいりゃの心がざわついた。
“あれは、守れなかった命……”
涙は出ない。
ただ、目の前で行われている事に、何も現実感がなかった。
仲間たちの必死の戦闘、そして自分の力を封じた代償。
それでも、目の前の命を前にして、戦い殺すことを選べない。
ただ、見守るしかない――その無力感が、罪悪感と混ざり合う。
モニターの中、海斗の姿が一瞬映る。
彼の表情は穏やかで、戦う決意に満ちていた。
だが次の瞬間、腐食海流に包まれたMAが崩れ、海斗の姿が消えた。
あいりゃは拳を握りしめる。
胸の奥のざらつきが、怒りと悲しみ、そして自責でぐるぐると渦巻く。
「……私は……」
海斗のMAが青白い海流に呑まれ、鉄の右腕がねじ切られ、コックピットが露出し、潰れ、血が散った。
声は出ない。
ただ、戦場を映すモニターの前で、心を震わせながら立ち尽くすのみだった。
腐食海流に飲み込まれるMA、そのコクピットの露出した惨状に、兵士たちも息を呑む。
目の前で、仲間のMAが青い海流に押し流され、砲撃に晒されていく。
モニター越しに、海斗のMAが激しく揺れるのが見えた。次の瞬間、機体の右腕が吹き飛び、コックピットを固定している装飾品が宙に投げ出される。
避難所は異様に静かだった。
安堵する者、呆然とする者、恐怖で凍りついた者たち。
あいりゃは、胸の奥がずんと重くなるのを感じる。
——私は、何もできない。
私がMAに乗っていれば……それで、本当に助けられるのか?
海斗のMAが波に沈み、彼自身も右腕を失った映像がモニターに映る。
ブルー・アビスの咆哮が響き、周囲の海の色が一瞬だけ濃くなる。
――来る。
次の瞬間、腐食海流が斜め上から叩き込まれた。
海斗の機体は咄嗟に姿勢をひねり、胸部を守るように右腕を前に出す。
だが防御は間に合わなかった。
右腕の装甲が泡を吹き、関節部が溶け落ち、
「金属の悲鳴」のような音を立てて、肘から先が海中に消える。
「あ……っ!」
避難所の誰かの声が漏れる。
しかし海斗は止まらなかった。
機体を後退させるどころか、さらに深い蒼へ向かって加速する。
『まだ……届く……!』
音声が一瞬だけ拾われ、沈黙した。
「……!」
声にならない叫びが胸に詰まる。手を伸ばしても届かない、逃げられない。
片腕を失ったMAは不安定に震えながらも、
ブルー・アビスのコアへと、まるで自分の命を投げ出すように突撃していった。
あいりゃの心臓が締めつけられる。
腕を失った痛みも、死の恐怖も、
海斗はそのどちらも迷わずに踏み越えていた。
周囲の兵士たちの叫び声や指示が遠くでこだまして、
あいりゃの胸に、怒りと無力感、そして強い罪悪感が押し寄せた。
モニターの映像は、前線の惨状を生々しく映していた。
青く光る海流に揉まれながら、
触手のように伸びる海流フィラメントが海斗のMA機体を絡め取り、強烈な圧力で押し潰す。
砲撃で裂けた装甲からは、内部のコクピットが露出していく。
電子計器の火花と油が混ざった匂いまで、映像越しに伝わるかのようだった。
機体はぐちゃぐちゃに潰され、海斗のシルエットがねじれた装甲の隙間に挟まれて見えた。
避難所の空気が一瞬で凍った。
兵士たちは声を失い、目を背ける者もいた。
あいりゃも、胸の奥が凍りつくような衝撃を受ける。
目の前に映る現実と、封じ込めてきた過去の記憶が一気に重なり、胸が引き裂かれるように痛んだ。
避難所に設置された臨時モニターから、通信音が乱れ飛ぶ。
パイロットたちの声が、悲鳴と命令の境界で渦を巻いていた。
拳を握りしめ、あいりゃの視線はモニターに釘付けになる。
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◆司令室の視点
「ダメだ! 中央同期が取れねぇ! ……おい、本当に“核”なしでやるつもりだったのかよ!」
「隊列がバラけてる! 扇状が維持できない――誰か軸を取れ!」
「無理です! あいりゃの生体電位が無いとリンクが……!」
指揮所の城真が低く吐き捨てる。
「……やっぱりか。量子リンクが不安定だ。ブルー・アビスの“光層誘導”にかき回されてる」
別のパイロットが叫ぶ。
「光層誘導って、あれ……旧人類の棲み処に残ってた深層信号じゃないのか!?
なんで“海洋側”がそれを……!」
「今そんな話してる場合か!! 前衛、一気に自律モードに落ちてる!!」
警告音が重なる。
《Warning:Auto-Defense Mode》
「まずい、自律モードじゃ音響波の防御が間に合わねぇ!!」
「くるぞ――!」
直後、前衛 MA の一機が青白い波紋に飲まれ、機体ごと震え、パイロットが白目をむいて失神した。
「一号前衛、意識喪失!」
「ダメです!オートモードが作動しません!」
「次の衝撃がきます!」
「前線が崩れた! 後衛が丸裸だ!! 遮蔽フィールド無しじゃ――」
砲撃の閃光が弾け、後衛の MA が海面へ叩き落とされていく。
「二号後衛――消えた! マップから……!」
ざわつく避難所。
あいりゃは、ただ震える指先を見つめていた。自分が乗らなかったせいで、戦況が音を立てて壊れていく。
通信の中で、城真の声だけが微かに落ち着いていた。
「……全機、聞こえるか。
これから30秒で、退路を確保する」
「隊長!? バカ言わないでください――」
「このままじゃ全滅だ。三号機、海流を引きつけろ」
「隊長……!」
海底から巨大な青い球体が膨らみ上がる。
ブルー・アビス――旧人類の棲み処を食い尽くして適応した、海洋側の“意思ある構造体”。
「俺はやります……! 後衛が生き残れば何とか――」
「海斗、一時撤退だ。海流腐食反応――!!」
「いけええええええええええ!!!!!」
次の瞬間、三号機の外殻が音もなく崩れ始めた。
「三号機!装甲が溶解しています!」
「――う、うわあああ!!」
三号機の絶叫が通信室に響き渡り、通信が途切れる。
避難所の誰もが息を呑んだ。
「……三号機、沈黙。パイロット、反応なし」
城真は短く息を吐いた。
「二号機、コアに狙いを――」
「無理です! 音響波で照準が取れない! 隊長、引いてください!」
「ここで一撃を入れられなければ、MAは全滅だ――」
青い奔流が一号機を包む。
装甲が裂け、駆動音が悲鳴のように変わった。
「一号機が半壊! 二号機、援護に入る!」
「一号機を確保! このまま退却します!」
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残された映像には、半壊した一号機を抱えながら後退していく二号機と、
その下で海底へ沈みながらうねる“巨大な青い影”が映っていた。
「ブルー・アビスが……三号機を巻き込んで沈んでいく……!」
避難所の誰かが震える声で呟く。
「そんな…」
海斗が乗っているはずのMA三号機は、見るも無惨な形になっていた。
仲間の死を、ただ見届けるしかない無力感。
あの青光の中で、確かに存在していた命の重さが、あいりゃの心を揺さぶった。
――私が乗れば、誰かを救えたの?
――それとも……もっと殺した?
答えはどこにもなかった。




