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潮の核域 -Few remaining seas-  作者: 梯子
兵器の逃亡
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【第35話】ブルー・アビス、前夜



――軍の中で、あいりゃは相変わらず浮いた存在だった。

軍の食堂に座りつつ、他の隊員はご飯やパンを食べている中、あいりゃは透明感のあるゼリーを口にした。



「……よ! 人気者」


 その沈黙を破ったのは、城真の声だった。


「お疲れ様です」


「そんなものが昼飯なのか?」


「ニュートリゼリー・αです」


「美味いの?」


「別に普通の食事は必要ない。これで必要な栄養は全部摂れる」


城真は食堂のテーブルに腰を下ろし、あいりゃの前に置かれた小さなカップをじっと見つめた。

透き通ったゼリーの中で、淡いレモン色の液体が揺れる。スプーンすら使わず、あいりゃは口に傾けるだけでそれを飲み込んでいく。


「……ただの薬みたいなんだが」


「軍の試供品です」



城真「ふーん……」


城真は小さく息を吐き、手元のトレーの白飯と副菜を見下ろす。

いつもならさっと口に運ぶだけの食事も、今はまるで重荷のように感じられた。


城真「この後暇か? 少し付き合え」


城真はあいりゃを格納庫へと連れ出した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「お前と、MAで勝負がしたい」


 言葉は冷静だが、軍の公式訓練でもない、ただの『勝負』だという響きには、胸をざわつかせる重みがあった。

 あいりゃは一瞬躊躇した。MAは戦闘兵器、人類の技術の結晶。自分の力はそれを超えているとはいえ、あえて城真と『勝負』する意味は計り知れない。


 だが、静かに答える。


「……あなたと戦う意味がない」


「遊びだ。ただし、真剣にやれ」


意味がわからなかった。

乗らないって言ってるのに。


「それって命令ですか?」


 城真は答えず、にこにこ笑うだけだった。


「……わかった」

「着替えて1400までにここに集合」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

城真はあいりゃの横で腕を組み、静かに語り始める。

「MAに乗る前に、少し頭を落ち着けろ。祈るのも悪くない。戦いに出る前の心構えだ」


 あいりゃは頷き、ヘルメットを握りながら深呼吸する。


「心を整理するんだ。敵を想うな、自分を信じろ」


 コクピットハッチの前で、あいりゃはそっと目を閉じた。

 手を胸に当て、心の中で小さく祈る。

 祈りと言うよりも、静かに自分の意志を確かめる儀式のようだった。


 訓練場に着くと、広大なドーム状の施設にMAが二機待機していた。城真は自らの機体に乗り込み、あいりゃの隣に視線を投げる。


「よし、まずルールを説明する。

勝負は単純だ。俺たちが設定したコースを、MAで先に制圧ポイントに到達した方が勝ちだ」


「はい」


「周囲にどんな敵がいても、敵機を撃破する必要はない。

正確に動いて、ポイントを押さえろ。…」


あいりゃは頷き、目を閉じて心を落ち着ける。

「頭の中で全て計算して、最善を尽くせ。それが勝利の鍵だ。

コースを外すなよ!」


あいりゃは目を開け、拳を握りしめた。

「…わかった!」


あいりゃは手元の操縦桿を握り、微かに息を整える。

「次のターンは急角度だ。減速して安定させろ。焦るな、視界を広く持て」


機体が曲がり角を通過するたびに、城真は落ち着いた声で次の指示を続ける。

「もっとよく見ろ」


「何を!?」


「自分自身と向き合えてない、適合率が低下してるぞ!」


「適合率ってなに!そんなこと言われてもわかんない」


「動きにブレがあると海水の抵抗を受ける」


あいりゃに比べると、城真のMAの操縦は洗練されていた。


「MAはただのロボットじゃない。人類の知恵、努力、技術の全てを詰め込んだ結晶だ。お前とこうして戦えるのは、その力の頂点に触れることでもある」



あいりゃは頷き、コクピット内の計器に手を触れる。

手のひらを通じて伝わる振動は、MAが呼吸しているかのようだった。

MAを通して海面温度を肌で感じる。



あいりゃは冷静に操作しながらも、胸の奥で祈りと決意を確認する。

「その通りに…進めばいい…」


制圧ポイントに近づくと、城真はさらに詳細に説明する。

「あと少しだ。ポイントを押さえる瞬間を逃すな。タイミングが全てだ。加速して、手を抜くな」



あいりゃがポイントを制圧すると、城真は静かに笑った。

「完璧だ。今のは理想的な動き方だ。この調子で次のポイントも行くぞ」



機体が左右に揺れる。風切り音と警報音が重なる。

――ぶつかる、でも避けられる……

城真の声はもう聞こえない。全てはあいりゃの判断次第。


――タイミング……ここだ!

ポイントを一瞬で押さえ、次の制圧方向を決める。

障害物をかすめ、相手の機体が横を通り過ぎる。


――距離、速度、角度、全て計算済み。手順通り。

瞬間、胸の奥に小さな高揚感が走る。



「お前のスピードに付いてこれる奴なんて

この軍には存在しない……」城真が小さくつぶやく。

あいりゃはもう、次の瞬間を見据えていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ふたつのMAがゆっくりと浮上する。


 轟音の余韻だけが、まだ胸の奥に残っていた。

 格納庫に戻されたMAは蒸気を上げ、照明に照らされながら佇んでいる。


 コクピットハッチが開き、あいりゃは息を荒くしながら外に出た。

 向かいの機体からは城真が降りてくる。

 さっきまで本気で殺し合っていたとは思えないほど、彼は落ち着いていた。



「……勝ったな、お前」

 城真が笑う。怒鳴るでも責めるでもなく、本当に嬉しそうに。


「あなたが本気じゃなかっただけでしょ」

「本気だよ。

 ただ……お前が ‘まだ戦えるのか’ を確かめたかっただけだ」


「あれが?」


「お前にはあれくらいで丁度いい」


 あいりゃは言い返せず、肩で呼吸しながら城真を睨む。

 戦闘の熱が、まだ皮膚の下に残っていた。


「やっぱり、指導じゃないですか」

「はは」



しばらくして、城真は背を向けた。

「ついてこい。話したい場所がある」







◆海千留の眠る部屋

 二人が歩いて行き着いた先は、医療フロアの奥。

 白いカーテンで仕切られた静かな個室。

 ――海千留が眠るベッドだった。


 あいりゃは息を飲む。

「……どうして、ここに?」

「お前が会いたいんじゃないかと思ってな」


 城真は淡々と言い、カーテンの前で立ち止まった。

 あいりゃはゆっくりと中へ入り、眠る海千留の顔を見つめる。


 呼吸は安定している。

 ただ、目覚める気配はまだない。

「あの子とは……一緒に住んでた」

 あいりゃの声は小さく震えていた。


「ご飯作ってくれて、お風呂に入れてくれて、

 外に出るのも面倒な私を、

 なんか……放っとかないでいてくれる子で……」


 指先がわずかに揺れる。


「いきなりこんな姿になった私を見ても、

 何も変わらずに、話してくれる人だった。」


 しばらくの沈黙。

 城真の声が、低く静かに落ちてくる。

「……海千留の父親、知ってるか?」

「え?」


「新国家軍事圏の技術士官だった。MAの初期モデルの開発者だ。

 “戦争を止めるための兵器”を作ろうとした変わり者だったよ」

 城真はベッドの脇に手を置き、遠くを見るように言う。


「だが結局、彼は戦争に呑まれていった。

 守るために作ったこの兵器は、内戦にすら利用されている」



 あいりゃは息を止めたまま、聞いていた。


「それでも、立派な技術者だ」


「海千留の家では、会った事ない」


「茂さんは、この研究に人生を捧げてる。

 自宅には、帰らないかもな...」


あいりゃは黙って海千留の寝顔を見つめる。

その寝顔からは、彼女が脳死しているなんて、とても思えなかった。


「海千留は今、どんな気持ちだと思う?」


「そんなの、わかるわけ——」

「わかるさ、お前なら。海千留とお前は、家族だろ?」




わたしには——家族なんていない。

幼い頃に、施設で育った記憶がうっすらと蘇る。



眠る海千留を見つめながら、城真が口を開いた。


「うちの人間は、みんなお前に怯えてる。

 だけど、お前が今、殺せないと思ってるなら……

 そいつはお前が ‘人間だから’ だよ」


 あいりゃの肩が震えた。



 城真はあいりゃの肩に手を置いた。

「誰かを失う痛みだけは、覚えてるだろ。」

 胸が、ひきつるように痛んだ。

 途端に、脳裏に焼けた映像が走る。

 炎。

 血の匂い。

 叫び声。


 海千留の体が宙に舞うあの日の記憶。




——人間を殺した記憶。

 封じ込めてきたものが、あいりゃの中で音を立てて崩れる。


「……私は、また……人を殺すために、生まれてきたの?」



 その問いに、城真はすぐには答えなかった。




「本当に、乗りたくないって思えるなら、それでいい。

 だが、これだけは覚えていてほしい。

 MAに乗っているパイロットはみんな、

 MAに乗る事で、この街と、家族を守ってる」



 海千留の静かな寝息だけが、部屋に広がる。

 海千留との最後の会話があいりゃの中に呼び起こされる。

ーーあいりゃ、人を殺さないでね…




「私には、出来ません」




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


◆ブリーフィングルーム

 

「海面が揺れています」

「パイロットに号令をかけろ。海が騒いでる。」

 城真の声の色が、軍人のそれに変わる。



 廊下に出た瞬間、基地の空気がさっきまでとはまるで違っていた。

 ざわめき。

 走る兵士たち。


 緊急アラートの青い光が脈打つように点滅する。

 底冷えするような“海の気配”が、基地全体を締め付けていた。

 城真とともにブリーフィングルームへ向かう途中、

 すれ違う隊員たちは皆、険しい顔をしていた。


「状況は?」

 城真が近くの士官を呼び止める。

「ブルー・アビスが……動きました。

 街の北側で、巨大な波形。

 MA部隊、迎撃準備中です!」



 ブルー・アビス。

 海の深層から現れる異常生命帯。

 新国家軍事圏のMA部隊の天敵。


 海洋が目の前のモニターに映し出される。


「パイロットを集めてくれ。話がある」


 城真の声は低いが、揺らぎはなかった。

 ブリーフィングルームの扉が開くと、緊迫した空気が一気に押し寄せてくる。

 各部隊のパイロットたちがモニターに釘付けで、

 海面に現れた巨大な影を見ていた。


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