【第33話】格納庫、繋がれる機体
◆ブルー・アビス第一戦
MA隊がブリーフィングルームに集められた。
スクリーンに映し出されたのは、半透明の巨影──
青く脈動する“深縁種 Leviathan-07《ブルー・アビス》”。
「これが──ブルー・アビスの“実体”だ」
隊の空気が一瞬で凍りつく。
周囲がざわめき、誰かが息を呑む。
「……デカすぎる……」
「こんなのと戦えってのかよ……」
司令部の分析官が重い声で報告する。
「来潮予測よりも早い。
沿岸“3号死海域”に巨大生体反応。
直径250メートル。
内臓の脈動が“心臓の鼓動”として観測されています」
スクリーンが切り替わり、実際の被害映像が流れる。
護岸施設が“腐食海流”で溶け落ち、黒い霧に沈む街。
巨大な背びれが、水面を割って姿を現した。
「我々のMA部隊は《作戦:フォール・リーフ》を発動する。
群制御陣形の中心には──」
分析官の視線がゆっくりとあいりゃへ向いた。
「実験体 No.101。あいりゃが同期核となる」
ざわつく隊員たち。
反対の声が出そうになった瞬間、城真の声が響く。
「──彼女無しじゃ勝てない。
現実を見ろ。
あいりゃは、俺たちの“盾”であり“刃”だ」
あいりゃは静かに前を見つめていた。
その瞳には、わずかに揺らぐ光──
“恐れ”とも“覚悟”ともつかない何かが映っていた。
水中事故のあと、MA訓練隊の会議室は重い空気に包まれていた。
隊長代理の古参パイロット・三嶋が口を開く。
「……あいりゃを放置していたら、現場が混乱する。
誰かが“扱い方”を覚えねぇとならん」
「扱い方って……目が見えないんですか? あいりゃさんは、人ですよ」
若手の一人が言い返す。
「怪物に俺たちのMA触らせる気か!?
この機体には先輩たちの遺伝子ログが入ってるんだぞ!汚す気かよ!」
「被験体に魂の入ったMAを渡すとか……司令部は正気か?」
「人……かどうかは、まだ分からんだろうが」
その言葉に空気が一段冷え込む。
しかし事故現場にいたパイロットが静かに立ち上がる。
堀井「俺は、助けられました」
ざわつく隊内。
堀井 「……彼女は少なくとも、敵じゃない」
三嶋は眉間に皺を寄せながらも、決定を下した。
「なら──“隊として”彼女に関わる責任者を置く。
……城真、お前だ」
城真「最初からそのつもりだ」
城真は席を立ちながら短く答えた。
こうして、あいりゃの教育係は“非公式に”MA隊内の任務となった。
一方、司令部では別の波紋が広がっていた。
事故映像を確認した軍参謀は、モニターを見つめたまま低くつぶやく。
「……深海流があれほど乱れた中で、あの動き。
人間の反応速度ではない」
「放射線値……誤差範囲だが、上昇しています」
参謀の視線が鋭くなる。
「素晴らしい成績。“No.101”はまだ完成していない。」
だが同時に、参謀は別の指示を裏チャンネルで流す。
「警戒レベルBに引き上げろ。
……暴走の可能性も常に監視するんだ」
軍は、あいりゃを評価しながらも──
より強く“恐れ”始めていた。
城真は司令部へ呼び出され、司令官・神崎の前に立っていた。
「勝手な行動をしすぎだ。
訓練水槽への飛び込みは軍規違反だぞ」
「……隊員を見捨てるのが正規ルールですか」
その瞬間、室内の空気が張りつめた。
神崎はしばらく城真を睨みつけたまま、やがて息を吐く。
「本当の海なら死んでたぞ。
高濃度放射線を含んだ塩水…触れるだけでも汚染されてしまう」
「でしょうね」
「……あいりゃを庇ったことは記録に残る。
ただし──今回は不問だ」
「今回だけ、ですか」
「そうだ。代わりに任務を与える」
神崎の声が低く沈んだ。
「“ブルー・アビス迎撃作戦”。
条件はひとつ……あいりゃを使え。
作戦を成功させろ」
城真が目を細める。
「……“使え”って言い方、好きじゃないんですよ」
「言葉遊びに付き合う時間はない。
お前は理解しているはずだ、城真」
「あいりゃは兵器だ。それ以上でも以下でもない」
城真は返さなかった。
ただ、奥歯を強く噛んだ。
「あいりゃを格納庫に連れていきます」
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鋼鉄の扉が開いた瞬間、冷えた風が頬を撫でた。
訓練格納庫――新国家軍事圏の心臓部と言われる場所。
あいりゃは足を踏み入れた途端、微かな振動と機体調整音を耳の奥で感じ取った。
「ここが……」
「俺たちの“盾”であり“核”だ」
城真が歩みを進めながら指を向ける。
そこに立っていたのは、天井まで届く巨躯。黒い外装は深海を思わせ、関節部には青白い発光ラインが脈動している。
搭乗型核兵器ロボ《MA-Λ(ラムダ)》。
旧国家軍事圏との核抑止戦の象徴であり、百人以上の技術者が世代を重ねて守ってきた機体。
城真に連れられ、MAの足もとまで来ると、
あいりゃは胸部装甲の中央にある細い金属板に気づいた。
「それ、何……?」
「パイロット名簿だ。
この機体に乗った全員の名前が刻まれてる。
……死んだやつも、生き残ったやつもだ」
整備士たちは機体の前に立ち、短く黙礼してから作業にかかった。
まるで祈りのように。
「MAはな、ただの鉄じゃない。
戦死者の脳電位をパターン化して残してある。“戦士の継承機構”だ」
戦士の――継承。
その言葉に胸の奥がざわめく。
「死んだ仲間の判断癖や反射が、機体の動作に影響を与える。
パイロットはそれを《導き》って呼んでる。
死んだ戦友が背中を押してくれるって信じてるからだ」
兵士たちの視線がMAへ向けられる。
そこにあるのは誇りと敬意――怯えではない。
あいりゃは目を伏せた。
――こんなふうに、大切に、祈られてきたものなんだ。
「軍は次に来る“ブルー・アビス”の襲来に備えてる。深海から湧き上がる生物群……正体はまだ掴めてないが、お前が覚醒した日の海域でも観測された。
――MAがいなければ、人類は海から食われる」
城真の声は淡々としていたが、その奥に焦りが見える。
そのとき、整備員の一人――若いパイロットが近づいてきた。
彼は城真に軽く敬礼した後、あいりゃを横目にして一瞬だけ身を引いた。
「……その、これを。手袋です。MA格納区は触れる物が多いので」
躊躇いがちに差し出された白い整備用手袋。
手渡す指先は震えていた。
この子も恐れている――わたしを。
あいりゃは手袋を受け取った瞬間、皮膚の奥でざわりと古い記憶が泡立つ。
あの日。
自分の放った放射灼光が街を焼き、人の形を奪った日の、騒音と泣き声と鉄の匂い。
あのパイロットも、わたしを見て思ったのだ。
“こいつは兵器だ”と。
城真が機体の前で立ち止まり、振り返った。
「……あいりゃ。今日からお前には、このMAに慣れてもらう」
その言葉が胸の奥に刺さる。
「……わたしが?」
「お前を生み出したのも、この軍の深層実験庁だ。
MAと組み合わせることで、海中戦でも陸戦でも最強の戦力になる――それが司令部の判断だ」
あいりゃは息を呑んだ。
近づくほどに、巨大なMAは生き物のようだった。
胸部装甲には黒い刻印がある。
それは見慣れた模様だった。
――この紋章、知ってる。
もっと別の場所で……海千留の家の、資料の片隅で、見たものと同じ。
「城真。質問、してもいい?」
「なんだ」
「このMA……開発主任の名前、誰?」
城真の眉がわずかに動いた。
「……梯子茂だ。梯子海千留ちゃんのお父さんだよ」
海千留の家が、なぜ…?
「梯子局長は元々は、深層実験庁にもいた。軍遺伝子局の創設者でもある」
「今もこの軍に?」
「あぁ…継承機構を作ったのも、梯子茂だ」
城真が続けた。
「“死んだ兵士を見捨てないための科学”を作った人だ。
あの家の理念が、今のMAを形づくってる」
その瞬間、あいりゃは海千留の部屋にあった古い桜の紋章を思い出した。
海千留の声で再生される、戦死した兵士の話。
――あの家は、人の死を、命を、大切にしてきた家。
胸の奥が、冷たい痛みで締めつけられた。
彼女の家は、遺伝子研究と関わっている。
このMAは、海千留の家がつくった兵器。
「我々は局長からいただいたものを、
新たな遺伝子を組み込み、進化させながら維持している」
このMAは、まさに、“親”たちが作った兵器だ。
わたしなんかが触れていいものじゃない。
大切に、守られてきたものだ。
人を殺したわたしが乗ったら……穢れる。
「……あいりゃ? 顔色が悪いぞ」
「……城真。わたし、これに――乗れない」
言葉がこぼれた瞬間、格納庫の空気が凍りついた。
整備員たちがこちらを見る。
“拒否しろ”“兵器のくせに”“使えない”
そんな刺すような視線。
城真だけが動じず、むしろ近づいてきた。
「理由を言え」
あいりゃは喉を震わせた。
「……この機体には、わたしが触れてはいけない歴史が積み上がってる。
わたしは……あの日、人の命を溶かした。
わたしが、こんなものを操作していいはずがない」
城真の目が細くなる。
「ましてや、海千留の家が作ったものだなんて……」
その沈黙の中、MAのセンサーが青白く光り、まるであいりゃを見下ろしているようだった。
「乗りません。
わたしに、MAに触れる資格ない――」
祈りでつながれた機体と、殺戮で覚醒した少女。
格納庫の光が、冷たく揺れた。




