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潮の核域 -Few remaining seas-  作者: 梯子
兵器の逃亡
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【第26話】帰る場所

あいりゃは、研究棟の廊下を一人、音もなく歩いていた。

郷田との会話の余韻はまだ体の奥に残っていたが、それでも彼女の足は迷いなく、街へ向かっていた。


――海千留には、会わない。


ただ、あの子と過ごしていた場所へ帰りたかった。



「お嬢さん。出口はあっちだ」


突然声をかけてきたのは、神崎だった。


「知ってる。この施設の作りは」


「出口まで案内しようか?」


「必要ない」


「あの家に戻る必要はないのでは」


神崎は強引にあいりゃの顔を自分に向けさせた。


「君のお家はこの施設(ここ)だろ?」


「あなた、誰?」


「神崎だ。君の育ての親、とでも答えたいところだがね」



あいりゃの瞳の奥に、昔の記憶がフラッシュバックした。

神崎という男の顔に見覚えがあった。


「あなたの事なんて知らない」


あいりゃは神崎の腕を振り解いて、歩き出した。


「送っていくよ、お嬢さん」


「ひとりで行ける」



監視の視線が、背中に刺さっている。

わかっていた。新国家はあいりゃの行動を逐一監視している。

それでも、彼女の足は止まらなかった。


――海千留の家へ。

そこは、かつて「世界」を憎んだ自分が、初めて「自分」を知った場所だった。



ターミナルを抜けて街に出ると、あの独特の湿り気を帯びた風が、あいりゃの髪をなびかせた。

海に近いこの街の空気は、決してきれいではない。

それでも、それはあいりゃの記憶にある“日常”の匂いだった。


戦場の予感が空気を震わせる中で、あいりゃは一人、坂道を上っていた。



小さな通りを歩く。

かつて何気ない通学路だったはずのその道は、今や無数の記憶を呼び起こす。


瓦礫の山。半壊したビル。

焦げた標識に、ひび割れた歩道。

あいりゃの足音が、乾いた路面に、ぽつり、ぽつりと落ちていく。


若い母親が、子どもの手を引いて壊れかけた塀に絵を描かせている。 商店の前では、ガラスを割られた店主が、棚を直しながら苦笑していた。


土埃にまみれた作業服を着た中年の男が、潰れた自転車を拾い上げている。

商店街は壊れた店がまだ並び、鉄骨がむき出しになった屋根の下では、住民たちが手作業で瓦礫を片づけていた。


誰も文句は言わない。誰も泣いていない。

その手は確かに、失われたものを“元に戻そう”としていた。


生き延びた者が、喪失を抱えながらも前を向いて歩いている。

花を供え、瓦礫を片付け、子どもを育て、屋根を直し、看板を立て直す。



あいりゃは足を止めた。

海千留が倒れた場所。

瓦礫は除去されていたが、そこだけは他と違い、誰も足を踏み入れていない。

白い花。赤い花。青い折り鶴。子供の描いた絵。

すべてが、命を悼んでいた。


あいりゃは、祈り方は知らない。

でも、あの子がここにいたという事実が、胸の奥を熱くした。


やがて、見慣れた坂道にたどり着く。

海千留の家――いや、“私たちの家”は、そこにあった。


ドアの前には、私服に見せかけた監視官が立っている。

目が合った瞬間、彼らの肩に走る緊張。

だが、あいりゃは小さく呟いた。



「……私の家は、ここだと思ってる」

しばしの沈黙ののち、監視官は無言で道を空けた。


あいりゃが玄関に手をかけたとき、不意に背後から声がした。


「……あいりゃ?」


振り返ると、碧がいた。

ゆっくりと、歩いてくる。


その顔には、安堵と戸惑いと、言葉にならない感情が入り混じっていた。


「いつ戻ってきたの……?」

「今、帰ってきた。ちょっとだけ」


玄関の前に並んで立つ。

あいりゃがそっと扉を開けると、かつての匂いが胸を満たした。


「中で話そう」


鍵はかかっていなかった。

扉を開けると、あの空気が流れ込んできた。

海千留のぬくもりと、生活の匂い。

二人で入るリビングには、海千留が使っていた毛布がそのまま置かれていた。


「……ここ、全然変わってないね」

「なんだか、安心するな」


碧はキッチンに向かい、湯を沸かす。

いつものように、ふたり分のマグカップを並べた。

まるで、あの日常が戻ってきたかのようだった。

でも――。


「……あいりゃが背負ってるカバン……軍用?」

「うん。」

「何があった?」

「しばらく帰れないかもしれない」

「え?」


碧の顔が凍りついた。 手にしたマグカップが、わずかに震える。


「どこに行くんだ……?」

「戦場。旧国家が報復を始める。私は、それを止めに行く」

「報復って...。なんでお前が戦場にいくんだよ」


碧の言葉が止まる。

あいりゃは、答えない。


「お前が戦うのかよ!?」


あいりゃは、ただ静かにうなずいた。


「どうしてお前が……!」


碧の声が詰まった。


「……海千留と過ごしたこの街を、私が守る」


碧は唇を噛み締めた。


「何、言って......」


子どもである自分には、何もできない。そう分かっていても、叫ばずにはいられなかった。


「そんなの、お前が死んだら意味ないだろ……!」

「私は大丈夫、強いから。

私の命は……あの子がくれた命。

だから私は、ここを守るの」


誰に向けてでもないその言葉が、あいりゃの心に刻まれる。

人間の街。人間の命。

かつて憎んだその存在が、たったひとりの人間の存在が、守りたいものになっていた。


「絶対に、帰ってくる。……だから、待ってて」


その言葉に、碧は声も出せなかった。


海千留にそっくりな――海千留と瓜二つの顔をしたあいりゃ。

俺は海千留の事が好きなんだ。

――俺は、家族のようなこの存在を、二度も失うのか?




あいりゃは、くるりと背を向け、玄関を出た。

その背に「行くな」と叫ぶことはできなかった。


あいりゃは振り返らなかった。


そして、数日後。

戦場の映像が、碧の前に突きつけられた。

ニュースで流れた映像の中、


――戦場の中央に立つ、光のような存在。


静かに光をまとい、空を見上げるその姿は、まさに「新たな兵器」と報道されていた。


炎。灰。崩れる戦闘機。崩壊する地表。

その中心で、真っ白な閃光を纏い、破壊の只中に立つ少女の姿。

あいりゃだった。



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