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潮の核域 -Few remaining seas-  作者: 梯子
兵器の逃亡
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【第23話】生きるものとして

扉を開けた瞬間、少年は言葉を失った。

無造作に伸びた前髪の下から、驚愕と困惑に揺れる瞳が覗いている。

その瞳が、目の前の“少女”に釘付けになった。


そこにいたのは——彼女に似た“何か”だった。


部屋の窓から差し込む光が、少女の輪郭を淡く照らしていた。


髪の色、瞳の揺れ、指の形。

確かに、似ている。


「……お前、誰だ」


声は自然と低くなっていた。

警戒心というより、混乱だった。

人間とは少し違う。

でも、海千留と、重なって見える。


「あいりゃ」


……あいりゃ?

海千留が飼っていたあの猫の名前。



静かな声だった。

けれど、人間にはない滑らかさと機械のような整い方が混ざっていた。



彼女の顔。

彼女の声。

彼女の空気。

ここにはいないはずの“海千留”が目の前に立っているようだった。



「ふざけるな……そんな事、起きるはずが……ない」


少年の声は震えていた。 恐怖ではなかった。

ただ、圧倒的な現実に追いつけなかった。

あいりゃは少し黙ってから、ゆっくりと口を開いた。



「うん、そうだよね。普通は、こんなこと起きない。

でも、私は確かに“ここ”にいる。

——この部屋にいた彼女の、延長線上に」


「お前、何言って——」


あいりゃはそう言って、部屋の隅にあった古びた机を指さした。



「ここで、よく絵を描いてた。

鉛筆の削りカスを捨てるのを、よく忘れてたよね。

あと、窓際の植木鉢は三度も枯らしたのに、なぜか捨てなかった」


少年の目が、一瞬だけ動いた。


「幼い頃に、海千留は四葉のクローバーを欲しがった。

碧と探しにいったけど、1日中、どこを探しても見つからなくて。

諦めて帰ってきたら

数日後に、碧が四葉のクローバーを見つけてきてくれたって」



「……なんで、それを」


「そこにある標本は、あなたがプレゼントしたものでしょう」


「あの頃、俺は、四葉のクローバーが見つかれば

 海千留の病気が治るって、本気で信じてたんだ...」



「……この部屋は寒いのに、あの子はいつも膝掛けを忘れてた。

 手が冷たくなると、毛布の中で猫みたいに丸くなって……

 よく、私の上に手を乗せてきたんだ。

 “あいりゃ、あったか〜い”って、笑ってた。私は……嫌いじゃなかった」



少年は、その言葉に息を呑む。



「……彼女は配信を大事にしてた。

 学校に行けなくても、

 外に出られなくても、

 ここは私の居場所なんだって。」


声には抑揚がなかった。 でも、そこに嘘はなかった。

淡々とした機械の発音の奥に、確かに“記憶”が宿っている。


「彼女の手、細かった。だけど、強かった。

 何かを諦めるときは、いつも私を撫でてくれた。



 海千留は自分を誤魔化さない人だった。

 だから私も、彼女が帰ってくるまで、いつも玄関で待ってた。

……それが、日常だった」



海千留と瓜二つの少女。

けれど、どこかが違う。 似ている。 でも、決定的に違う。


あいりゃの視線が、ふと、部屋の隅へ向けられる。

あいりゃがいつも寝ていた場所だ。




「お前......あいりゃなのか?」




「ここに、絵の具の染みがあった。

拭いても取れなかったやつ。  

……でもあの子、あれを見るたびに笑ってた。


“この部屋、私の歴史が詰まってきた”って。

私も、それが好きだった」



語られる記憶のひとつひとつが、碧の中にある彼女とぴたりと重なっていく。

些細で、取るに足らないような断片ばかりだ。

けれどそれが、“生きていた海千留”の本物の輪郭を、確かにかたどっていた。


「お前本当にあの猫なのか」


あいりゃは、最後にこう言った。


「……私は、彼女の全部を知ってるわけじゃない。

 でも、彼女が私を大切にしてくれたこと、それだけは忘れられない。」


「あぁ...」



少年の瞳から、止まらない涙が溢れる。



「私はあの子と過ごした日々の上に、こうして立っている。

 だから私は、これからも——生きる」


その声には、何の躊躇もなかった。

決意だけがあった。

まるで、“生きる”ということが、この世界に対する彼女の宣戦布告であるかのように。

あいりゃには、人間にはない滑らかさと機械のような整い方が混ざっていた。



少年はしばらく黙っていた。


胸の奥に、かつて海千留と交わした笑い声が浮かんだ。



校舎の裏で、落ち葉を蹴って笑っていた横顔。


絵の具で汚れた指を見せながら、照れ笑いしていた放課後。


あの日々が、なぜか、この目の前の存在を通して

——すこし、近くに感じた。


海千留じゃない。 けれど、完全に他人でもない。

少年は目を伏せ、深く息を吐いた。



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