【第15話】 静寂、そして
あいりゃが最後の敵を切り伏せたとき、街はすすり泣く声と警報で満ちていた。
街には敵機の追撃も、爆発音もない。
焼け焦げた風が、どこか遠くで地面を撫でているだけ。
半壊したビルのガラスが、風に揺れてカランと鳴った。
ひび割れたアスファルトの上を、赤い水が細く流れていく。
それは、血の川とも呼べるほどに、美しく穏やかだった。
破壊の直後にしか訪れない、絶対的な静寂。
それは、死がもたらした平穏だった。
あいりゃは、瓦礫の上に立っていた。
服の裾は裂け、全身が敵の返り血で染まっている。
だが、彼女の顔は微動だにせず、心拍すら感じさせない。
無言のまま、ゆっくりと顔を上げる。
高台から、全壊した街の地平を見渡す。
白煙が街のあちこちでくすぶり、 倒壊した建物の間からは、わずかな光が差していた。
潰れた商店街の裏路地。
あいりゃの視線が、瓦礫の間にいる小さな人影をとらえる。
灰をかぶった身体を、誰かが抱えて運んでいる。
そこに—— 海千留がいた。
そして、彼らのそばに跪く少年の姿も。
血に染まった服。 左腕は垂れ、息は浅く、意識はほとんどない。
介助していたのは、見覚えのある少年だった。
あいりゃが、近づくことはない。 彼女の足は動かない。
戦闘はまだ終わっていない。
風の中、瓦礫の隙間から響く音。
誰かのすすり泣き。瓦礫が崩れる微かな音。
人間の世界の音だ。 その中心に、あの少女がいる。
高台の上から、その光景を見ていたあいりゃの足元に、 ひとひらの灰が降った。
それを手に取り、指先で潰す。
すでに“何か”を感じる心はない。だが——。
その指の力は、ほんの一瞬だけ、緩んだ。
あいりゃは、ゆっくりと背を向けた。 街の向こうに、かすかに見える炎
──敵の本拠地が、まだ息づいている。
彼女は、再び跳躍する。
爆風で抉れたビルの残骸を、まるで重力のないような軽さで蹴って。
空へ──孤独な光となって消えていった。
“airya”は、兵器である。
戦うために生まれ、殺すために存在する。
その“定義”に、今さら反論の余地などない。
けれど、かつて猫だった自分が、 彼女のぬくもりのそばにいた記憶だけが、
まだ身体のどこかに焼き付いている。
人間になった自分が、 どこか彼女に似てしまったこの顔が、 その記憶を無視しきれずにいる。
あいりゃは、もう一度、海千留の姿を見つめる。
一歩も動かず、何も言わず。 ただ——確認する。
少女は、生きていた。
それだけで、十分だった。
次の目標は、敵の本拠地。
復讐でも、怒りでもない。 ただ、そこに“情報”があり、“敵”がいるから。
任務に戻る。兵器として。
風を切って、あいりゃは跳躍する。
焼けた鉄骨の山を越え、 遠くに見える山影の向こうへと、重力を切り裂いて消えていく。
その背中に、名前を呼ぶ人はいない。
ただ、静寂の街に、風の音だけが残った。
彼女の姿が消えた空に、 一羽のカラスが、ゆっくりと羽ばたいていった。