【第14話】戦果なき英雄
少女の胸に手を当て、微かな脈動を確かめながら。
それでも、あいりゃは、今、この瞬間、守るべきもののために、確かな一歩を踏み出した。
あいりゃは背後の気配に目を向けた。
黒く重い影が、瓦礫の上をゆっくりと近づいてくる。
その存在は、人間の形をしていたが、明らかに異質だった。
巨大なパワードアーマーを纏い、全身から放射される圧倒的な殺気。
背中には複数のドローンを従え、まるで指揮官のようだ。
あいりゃの瞳が鋭く光る。
彼女はまだ完全に覚醒しきってはいなかったが、戦闘本能は明確に目覚めていた。
踏み出した一歩で、周囲の空間がわずかに歪む。 超重力バーストが再び発動する予感を察知し、追跡者も攻撃態勢に入った。
闇夜に響く銃声と爆発音。
次の瞬間。
——あいりゃの姿が、一瞬で目の前に現れた。
重力の法則も、空気の震えも伴わない。
音も、空気も、時さえも置き去りにするような“出現”。
ただ**“そこにいた”**という既成事実だけが、空間に残った。
兵士が銃口を向けるよりも早く、視神経に“恐怖”が焼きついていた。
その存在を視界に収めた瞬間、兵士たちの脳内は無意識に緊急警報を鳴らす。
「あれは……生きてるのか……?」
黒のワンピース。血の気のない肌。
動かない髪、焦点の合っていない目。
少女の形をした“兵器”が、まっすぐ彼らを見ていた。
直後、敵機の通信が空に割れる。
「はっ、なんだあのガキ。
……おい、見ろよ、あいつの後ろにまだ人間がいるぞ。」
「人質か?生き残りか?——どっちにしても殺してやるよ、目の前でなァ!!」
次の瞬間、ミサイルポッドが開き、街の生き残りたちがいた避難ラインへとロックオンされる。
赤子を抱いた母親。
老人を支える少女。 倒れたまま立てない傷病者。
その誰一人にも、彼らはためらいなく照準を合わせた。
「死ねェ!!全員、消し炭になれッ!」
火花と煙、閃光が地表に走る。
——あいりゃは動かない。何も言わない。
だが次の瞬間、敵機の弾道はことごとく、空間の“ねじれ”によって弾かれた。
爆風は発生せず、爆心の軌道は“存在ごと否定された”。
敵兵が驚愕に叫ぶ。
「防がれた!?馬鹿な……物理的に、そんな——」
——だが、次の瞬間には一機が“消えていた”。
切断でも、爆破でもない。
「存在そのものが、座標から除去された」ような死。
地に足が着く前に、兵士たちは叫ぶ。
「なんだ?何が起こったんだ?」
街の生き残りたちがいた避難ラインへとロックオンされる。
崩れたビルの陰に潜む母と子。 駅構内に取り残された高齢者と介護者。 防災シェルターを目前に、逃げ遅れた負傷者たち。
そのひとつひとつに、ミサイルポッドが火を噴いた。
「市街地に反応確認。人間の残党。——殲滅する。」
赤い照準光が、少女の頭上に走った。
——その瞬間。
風が、裂けた。
金属音とともに、あいりゃの体が割り込む。
信じられない速度。人間の眼には「瞬間移動」にすら見える。
右手で砲弾を受け止め、左手で切り裂く。
光学弾が衝突する寸前に、空間ごと捻じ曲げ、歪め、逸らす。
大地に足をつけたまま、彼女は“全方位”から来る攻撃を正確に処理する。
まるで人間を守ることが、プログラムされた命令のように。
しかし、その目には命令ではない“何か”が宿っていた。
市民は、ただ呆然と見ていた。
爆音が止み、熱風が抜けた瞬間。 母親が子を胸に抱いたまま泣き崩れた。
「た、助かった……?どうして、私たち、生きてるの……?」
高齢の男性が、ふらふらとあいりゃの方へ近づこうとして、 その“異様さ”に気づいて足を止めた。
「あれは……人間じゃ、ない…………」
あいりゃは何も言わない。
だが、傷ついた人間たちの“列”と、自身の立ち位置を計算し、 二手、三手、確実に前へと詰めていく。
逃げる暇もない敵兵を一人ひとり、無言で解体していく。
銃を持った手ごと、砲台を構えた首ごと、感情のない速度で。
人間たちの中には、感謝をつぶやく者もいた。
「ありがとう……あんたが、来てくれなかったら……」
だが同時に、震える声で誰かがつぶやく。
「……違う。あれは、“こっち側”の生き物じゃない……」
ひとりの少女が、血まみれのあいりゃを見ていた。
あいりゃの長い髪、冷たい瞳。 その人間離れした無表情。
「ありがとう」と言おうとして、 言葉が喉に詰まった。
目が合った。
少女の中で、“理解”と“本能”がぶつかり合った。
——この存在は、私を助けた。
——この存在は、私たちとは違う。
その衝突の中で、少女は何も言えなかった。
静寂が落ちた。
瓦礫の街で、少女のような兵器は立っていた。
誰からも名前を呼ばれることなく、感謝の言葉も向けられず。
ただ、“救った”という事実だけが、そこにあった。
敵兵たちは錯乱し、銃を乱射し始める。
市民を巻き添えに、逃げ惑う者を躊躇なく撃ち抜く。
弾丸が母親の胸を貫き、赤子が泣き叫ぶ。
少女の足元で、血の海がゆっくりと広がっていく。
あいりゃは何も言わない。 だが、歩き始めた。
滑るような足取りで、破壊の中心へ。
銃弾がその体に当たるたび、空間が歪む。 彼女は物理の外側にいた。
一人、また一人。
敵機「な、なんだあれは……」
彼女に触れようとした兵士は、何かに掴まれたように引き裂かれた。
肉体が無音で破断し、血飛沫が空中で凍りつく。
通信機が音を立てる。
「退避!退避ィ!この戦場は制御不能だァ!!」
誰も逃げられない。 逃げる先ごと“消される”のだから。
あいりゃは、座標に従って殺す。 順番に。確実に。躊躇なく。
あいりゃはただ静かに歩み寄り、無言で兵士の喉を潰した。
——骨が軋む音。
——気道が潰れる濁音。
——血液が逆流する音。
他の兵士たちが助けようとする暇もなく、一人、また一人と倒れていく。
声を上げる間もなく、あいりゃの指先が皮膚を裂き、腱を切り、命を“停止”させた。
そして、一人だけが残された。
まだ生きている者。
“敵の本拠地の座標” を知っていると見られた者。
あいりゃはその男の前にしゃがみ込む。
機械のように、目を見開いたまま、感情のない声を放つ。
「本拠地はどこ?」
「だ、誰が貴様なんかに……っ!」
あいりゃはその言葉に応えず、男の手首を握りつぶした。
関節が逆に曲がり、骨が皮膚を突き破って飛び出す。
男の絶叫が宙に飛び、あいりゃの耳には届かない。
「本拠地の位置は?」
次に潰されたのは、眼球だった。
悲鳴も崩れ、絶望が喉元で泡立つ。
「殺すぞ、にんげん」
男は泣きながら座標を口にした。
「東経……一三七度……北緯……三五度……!
頼む、助けてくれ……!」
——その瞬間、あいりゃの瞳が色を失った。
完全な、兵器モード。
彼女は、静かに首を傾げた。 まるでそれが“処理済みの音声”であるかのように。
そして、男の胸を一閃。 心臓が破裂し、赤が地に落ちる。
彼女は男の両腕を同時に引き裂き、腹部を抉った。
赤い臓器が音を立てて床に落ち、男は自分の死体を見ながら息絶えた。
——その直後。
頭上に、低空飛行の轟音。
機械兵の一機が空から降り立ち、砲身をあいりゃではなく、その背後の難民たちに向けた。
「抵抗不能対象を排除する」
放たれる粒子砲。
爆風。悲鳴。
骨が焼け、皮膚が炭化し、子供の小さな腕が空を舞った。
母親の瞳は焼かれ、叫びは肺の中で蒸発した。
次の市民に向けて、機体の銃口が再び光る。
だが。
——その銃口が熱を帯びる前に、あいりゃの姿が機体の真上にいた。
無言。
重力を無視した跳躍。
両脚が機体の肩部関節を打ち抜き、関節が崩壊。
落下する機体の胴体にあいりゃの腕が突き刺さり、内部の冷却機構を引きちぎる。
機体が反撃に出るよりも早く。
装甲を剥ぎ取り、駆動源を手で握りつぶし、冷却剤と血のような液体を散らす。
一機目、沈黙。
だが二機目、三機目が市街に着地し、民間人の群れを囲むように展開。
「殲滅開始——」
音声が終わるより早く、二機目の胴体が真っ二つに裂けた。
あいりゃの蹴りが空間を曲げて届いた。
三機目の機体が民間人に向けてミサイルを撃とうとする——その発射口の内部に、すでにあいりゃの指が差し込まれていた。
炸裂。
ミサイルの信管が起爆する前に、あいりゃが内部から爆薬ごと破壊し、機体が内側から弾ける。
部品が火花を散らしながら空に飛び散る。
反応時間は、3機全てで 11秒未満。
残骸が煙を上げる中、あいりゃは立っていた。
民間人たちの視線は、その後ろ姿に釘付けになった。
誰も声を上げない。
何かを感じ取るには、あまりにも非人間的な動きだった。
あいりゃは空を見た。
その瞳には、もはや“地上の倫理”という項目はなかった。
——この地で、最初の“報復”が始まる。
後に“閃光”と名付けられる、それはただの核爆発ではない。
“生きてしまった者すべてへの、神の黙殺”だった。
ただ、
子供の泣き声が静かに残る中、
あいりゃは誰も見ず、誰の声にも応じず、ひとり歩き出す。
人々の中に焼きついたのは──
「あれは、“兵器”だった」
「俺たちは、あの“兵器に生かされた”んだ」
そんな呪いにも似た“記憶”だった。
人間ではない。 猫ですらない。 それは“存在してはならなかった”兵器。
この時から、軍部は彼女のコードネームを「airya」ではなく、「閃光」と呼び始めた。
世界を焦がす、その一歩が始まったのだった。




