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潮の核域 -Few remaining seas-  作者: 梯子
兵器の逃亡
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【第9話】海からの、警告


──現代、新国家軍事圏、第十一生体兵器研究棟。


海上の空は、赤黒く錆びた空に覆われていた。

突如として観測不能な重力波干渉が発生する。


「地震じゃない。これは空間が……軋んでいる……?」


重力場、磁場、深層回線、あらゆるデータが破損。

衛星リンクも沈黙し、通信ネットワークが自動遮断された。


「警告音! 海洋です!」

「なんだ!」

「海洋から、攻撃を受けています!」



それは、破壊ではない。「黙示」のようなものだった。

そして、中央電算機に浮かぶ謎の文字列:

「領域への浸透行為を確認した。これ以上の接触は、絶滅の引き金となる」







発信元:特定不能。 波長構造:未知。


だがその文は、どこまでも冷徹で、どこか人間的でない何かを感じさせた。



──新国家軍事圏 中央司令塔


郷田「始まったか」






──新国家軍事圏 グラン=アルク(Grand Arc)地区。

ビルの巨大なモニターに「速報」の赤文字が点滅する。



「本日午前3時21分、

我が新国家軍事圏の海洋再生施設“デルファ”が、海洋の異種種族と思われる生命体群の襲撃を受けました」


報道官の声は冷静だった。

だが、背後の将校たちの表情は硬い。


「これにより、我々は再び海洋異種との限定交戦状態に入ったことを正式に宣言いたします。

なお、戦域は太平洋第13警戒ラインを中心に現在も拡大中──」


背後のスクリーンには、海中でうごめく正体不明の有機構造体が映し出されていた。

異常な神経伝達パターンと放射性の熱反応を持つその群体は、既存の生物分類では判定不能。

だが確実に、人類文明に敵意を示していた。


映像が切り替わる。


「そしてこの危機に乗じ、旧国家軍事圏が我々の領空に無人偵察機を侵入させる事案が多発しております。

彼らは表向きには“平和維持”を掲げながら、我々の核防衛体制に疑義を呈し続けてきた。

これは明確な内乱行為であり、我々は国家防衛権に基づく対応を強化します」


報道官の声が、一瞬だけ鋭くなった。


「そしてこの危機に際し、旧国家軍事圏は『異種との核戦闘は回避すべき』との声明を発表しました。

彼らは自軍の兵器による武力行使は行うものの、核兵器の使用は固く禁じており、

『必要なのは統制と秩序だ』として、民間および他勢力の武力行使も厳しく禁止しております」


報道官の声は穏やかだが、言葉の裏に緊張が滲んでいた。


「新国家軍事圏は異種の動きに強い危機感を抱き、直ちに前線兵を動員。

『動かねば人類が滅ぶ』とのスローガンを掲げ、沿岸の要塞に展開しております」


記者のひとりが挙手する。


「つまり──現在、我が国は海洋異種との戦争と、

旧国家軍事圏との対立を同時に抱えている、という理解でよろしいでしょうか?」


「はい。あくまで現時点では限定的な防衛対応に留まっておりますが、必要とあらば限定核戦略の行使も辞さない方針です」


その瞬間、会場の空気が一瞬凍りついた。


その下に並ぶ市民たちは、一瞬ざわめいたが、誰一人として立ち止まる者はいなかった。

それは、日常のノイズとして処理される「現代の洗脳」の表れだった。


けれども、今回は違った。

モニターに映し出されたのは、「海洋より現れた異種による沿岸部施設への攻撃」という、かつてない声明だった。




新国家軍事圏は、かつて「地球統合管理連合」から分裂した超統治国家である。

かつての統一政府「地球統合管理連合」


環境危機・感染症・国家破綻・核小規模衝突が同時多発し、 世界は「国家という単位では生存不可能」と判断された。

こうして人類は初の地球規模の超国家統合体制──


地球統合管理連合(United Earth Administrative Concord)を発足させた。

発足当初は、飢餓や気候問題を劇的に改善するなど人類の再起に貢献した。


しかし──

問題は、「危機にどう備えるか」だった。

新国家軍事圏の保有する核兵器と遺伝子兵器の使用方針を巡って、深刻な亀裂があった。







◆海千留とあいりゃ ― 朝の静かな部屋


 薄い朝の光が、カーテンの隙間から細く差し込んでいた。

 布団の端で丸まって眠っていた小さな黒猫――あいりゃは、ぱちりと目を開ける。


 その耳は、部屋の物音よりずっと先へ伸びる。

 遠い海の向こう。地平線のさらに奥で、金属が軋む音。水圧で潰れる外殻。爆ぜる音。

 誰も知らない“戦場”の音が、細い糸みたいに脳の奥まで流れ込んでくる。


 ――また、やってる。


 あいりゃは心の中でぼそりと呟く。

 けれど身体は猫のままで、返せる声は「にゃ…」だけだ。


 その時、布団が揺れた。


「…ゴホッ……ゴホッ……」


 隣で起き上がったのは、昨日あいりゃを拾ってきた小学生の少女――海千留だった。

 咳を手で覆いながら、まだ眠そうに目をこする。


「おはよ、あいりゃ。寒くなかった?」


 あいりゃは返事の代わりに尻尾をゆっくり揺らす。

 (言葉は分かる。でも返せない。いや、返せる仕組みがまだ“ 起 動 し て な い ” 。)


 海千留は笑って、布団から降りるとテレビをつけた。

 画面には朝のニュース。海面の地図、赤い点滅、記者の切迫した声。


『昨夜遅く、海上でまた紛争が――』


 その瞬間、あいりゃの耳がぴくりと跳ねる。

 心の奥がずんと冷たくなる。

 画面の向こうで燃えている戦場は、あいりゃが元いた場所に近い。


「こわいニュースだよね……」



海千留が小さく呟き、あいりゃを抱き上げる。


 あいりゃは胸の鼓動を聞きながら思う。

 ――お前が知らないだけだ。これはもっとずっと、深いところで続いてる。


 海千留はぎゅっと抱きしめて、ぽつりと言った。


「大丈夫、ここは安全だからね。

 ずっとここにいていいよ」


(私は守られる側じゃないのに…)


あいりゃは思う。

むしろ、自分は“滅ぼすために作られた側”なのに。



 けれどその腕は温かくて、

 遠くの戦場の音が、ほんの少しだけ薄れていった。




海千留はあいりゃを抱いたまま、ぐらりと身体を揺らし、机に手をついた。


「……ちょっと、目が回る……」


 あいりゃはその変化を、体温と呼吸の揺れで瞬時に察知していた。

 (今日も学校は無理だ。)

 海千留の体温は上昇している。



 そう理解した瞬間――


 耳が、遠い方向へ反応した。


 部屋の空気とは違う、塩を含んだ圧力。

 海の深層で金属が擦れる甲高い振動。

 核融合炉が無理に起動する時の重低音。

 そして、海洋の小型艇が沈む“水の崩れる音”。


 あいりゃだけに届く、海洋と新国家が交戦する“あの音”。


 人間には聞こえない。

 けれど、兵器として改造された耳は、地平線の彼方の衝突さえ感知してしまう。


 ――また始まってる。今日は南側か。




 そう心の中で呟いた瞬間、部屋のチャイムが鳴った。


「碧……かな」

 海千留が布団に潜り込みながら言う。


「入るよ」


 廊下の足音が近づき、扉が開く。


「プリント持ってきた。」


 現れたのは、学校の同級生 碧。

 碧の目が一瞬あいりゃに向く。

 猫を観察するというより、“警戒”に近い視線。

 その視線の質にあいりゃは気づく。



碧のポケットには、昼の速報を映したスマホ。

“異国で海洋勢力の大型影が観測された”

そんなニュースを見た直後。


あいりゃの耳には、その“影”が実際に引き起こしている戦場音がまだ微かに響いている。


「プリント……ここ置いとく。……あんま無理すんなよ」

 碧は素っ気なく言いながらも、手が少し震えていた。


 海千留が小さな声で笑う。



「ありがとう。……ごめんね、また休んじゃって。」


「……別に」


 そんな2人を見つめながら、あいりゃは静かに尻尾を揺らした。


「おばさん、今日は帰ってくんの?」

碧は荷物を下ろしながらスマホを取り出した。


「帰ってこないと思う」

「そうか...忙しいんだな」


海千留は「あはは……」と笑ってはぐらかす。


「プリント……ありがとうね。」

「別に……俺がやりたいだけだし。」


 ぼそっと言ったあと、顔を赤くして目をそらす。

 海千留も気づいたのか、少しだけ照れた顔をした。

 ただ、この二人の間には、自分の知らない“結び目”がある。


そのとき——

 海の向こうで、また遠くで爆ぜる音がした。


 空気の振動に近い、重たい衝突音。

 深海で金属が削れ、核反応の余波が揺らぐような轟音。


(……まただ。)


 あいりゃの耳がかすかに震えた。

 碧が気づく。


「どうした、猫?」


 その瞬間、遠い戦場の反響がふっと止む。

 海千留の胸の痛みも治まったのか、彼女はまた笑ってみせた。


「あいりゃはよく外をじっと見てるんだよね」

「本当はこの家嫌なんじゃねえの」

「違うもん、多分…。あいりゃは、賢い子なの。」



碧は海千留の枕を直したり、毛布をかけ直したりする。

 その手つきは、まるで誰にも見せたくないくらい丁寧だ。


「明日は学校行けるかなぁ?」

「来なくていい」

「えっ」

「……学校なんか来なくていいって言ってんだよ」

「え……なにそれ。」

「具合悪いんだろ? 治るまで黙って休んでろ」

「私も学校行きたいのに」

 海千留がゆっくり顔を上げる。

 その表情は、涙をこらえた後のように柔らかい。


「碧ばっかり学校いけてずるい」

 拗ねたように笑う海千留の笑顔は、まるで、健康なひとりの少女のようだった。


「外は今大変なことになってる。...誰もお前ほど笑えねぇんだよ。」



碧が握りしめたスマホに、またひとつ、ニュース警報の通知が届いている。




「ねえ碧。明日の朝、またうちに来てもらえないかな」

「なんで?」

「たまには外を歩きたいなって」





 空は薄く雲が広がるだけの朝。

 海千留はまだ少し顔色が悪いけれど、ベッドから這い出し、厚手のカーディガンを羽織る。


「外に……出るの、久しぶりだね。」

 小さな声で呟く。


 碧はリュックを背負い、プリントや教科書を整理しながら微笑む。


 「俺が付き添う。転ばないように。」


 あいりゃは足元で、いつもの丸い姿勢から伸び上がる。

 耳がぴく、と一瞬動いた。

 遠く、海の向こうで戦闘が起きる音がかすかに聞こえた。

 あいりゃだけに届く、金属と水圧の交錯する低い唸り。


 碧には聞こえない。

 でも、あいりゃは本能で知っていた。

 “今、この子たちは平和な世界にいる”ということを。





玄関を出ると、街路樹の葉がかすかに揺れる音、風の匂い、通りを行き交う人々の足音。

 海千留は深く息を吸った。


「あ……空気って、こんなに、冷たかったんだ。」


 碧は笑いながら手を貸す。


「無理はするなよ。」

「大丈夫!」


 海千留の手と碧の手が触れる瞬間、両方の頬が赤くなる。

 気まずくもあり、落ち着きもあり、互いの距離を確かめる感覚。


 あいりゃも二人の間をすり抜け、前を歩く。

 街の雑踏の中で、風に揺れる自分の耳に、戦場の残響が混ざる。

 けれど今は、碧と海千留の声だけが、耳に心地よく届いた。


 公園に着くと、三人はベンチに腰掛ける。

 あいりゃは海千留の膝に乗り、顔を上げて空を見上げる。

 碧は海千留の隣に座り、軽く肩を寄せる。



「……碧、そろそろお兄さんの命日だよね」

「あぁ……もう、何年経ったんだろうな」碧は低くつぶやく。

 海千留は優しく微笑む。


「今年も灯台にいくの?」

「俺は毎年灯台にいくよ。例え政府に禁止されてもな!」



 海千留はそっと手を伸ばし、碧の肩に触れる。

 強くは握らず、そっと、確かめるように。


 あいりゃはその間も耳を動かし、遠く海洋と新国家の戦場の低い轟音を感知していた。

 海千留にも、碧にも聞こえない。

 でも、あいりゃは知っている。

 “ここにいる二人は、今だけは守られるべき存在”だと。


 碧は言葉を飲み込み、波音に耳を澄ませる。

 小さく、けれど確かに、兄の記憶が砂の匂いと潮風に溶けていく。



 海千留はそっと碧の手を取る。

 言葉はなくても、二人の間にある想いが伝わるような気がした。

 碧の背中に感じる小さな緊張と安心。

 あいりゃの耳が微かに揺れ、遠くの戦場を監視するかのように鋭く反応する。


 その瞬間、三人は同じ海を感じ、同じ時間を生きていた。

 遠くに聞こえる波の音、風の匂い、そして、今は亡き兄の記憶も、碧に静かに寄り添っていた。




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