【第8話】再現不能の奇跡
──新国家軍事圏・深層実験庁地下第七区画。
実験室は静まり返っていた。
光を通さぬ金属の壁に囲まれ、空気は冷蔵庫のように冷たい。
ガラス越しに、苦しげに痙攣する猫型の個体が見える。
首輪には、No.102の文字。
白い毛並みは薬剤によってまだらに染まり、瞳はすでに焦点を失っていた。
「被験体C-14、死亡確認。内臓破裂。脳組織の膨張あり」
冷静な報告とは裏腹に、モニター室には焦燥が充満していた。
これで今月の“失敗”は36体目──
No.101が失踪したあの日以来、24時間稼働して、テストが繰り返されている。
用意された実験体は、
No.101の模倣体として用意された動物ベースの試作個体だった。
「やはり、ベースが猫では限界か。遺伝子負荷に耐えきれん」
「精神伝導系が暴走している。神経系に“反応”は出るが、持続しない。半数は即死だ」
「マウスに与えた数値はどうなんだ?」
博士は顎に手を当てたまま、一つのカプセルの前で立ち止まる。
中には、まだ幼体の猫。毛並みの色や体格は、かつての“airya”に似せてある。
それでも──その目に宿るものは、空虚だった。
中央にあるのは、液体の満ちたカプセル。
楠は、分厚い記録ファイルを乱雑にめくる。
「……第32反応試験、神経負荷指数は前回比マイナス7。
未だに前頭葉とのリンクは不安定」
「記憶挿入プログラムも機能していません。
人格形成が持続せず、毎回リセットが入ります」
補佐官が報告を読み上げるが、楠の眉間の皺は深くなるばかりだった。
「──やはり、“あの個体”の再現は不可能に近いか」
“あの個体”──No.101 airya
唯一、プロトコルEに適応し、精神と遺伝子の同調に成功した存在。
本来ならば、実戦投入も視野に入っていた。
神崎は楠に向かって笑いかけた。
「お前の辞書にも"不可能なこと"なんてあるんだな」
「そんなものたくさんあるわよ」
「理論上は再現可能。理論上はね。
けど、この数値。あれは偶然の産物でしょう」
「偶然か? ……我々の研究の賜物だろ?」
「そして失踪した」
再び、実験室に猫の断末魔のような鳴き声が響いた。
その姿形は、限りなく「No.101=airya」に近い。
外見的な再現には成功していた。
DNA配列の99.82%が一致しており、姿かたちは瓜二つ。
「細胞安定化率、80%を超えました。
次の段階に移ります。脳幹への感覚フィードも開始可能です」
「成長速度は問題ない。No.101と同一の遺伝子構造を持っている」
白衣の研究者が端末に目を落とし、淡々と報告を続ける。
「投薬を止めて!」
「心停止。……また死にました」
それを聞いた誰もが、密かにこう思っていた。
──“本物”には敵わない。
『……No.102の開発を続行しつつ、101の回収を最優先とせよ。
代替が効かない以上、もう一度、あの目を……必ず手に入れる』
『コード:オリジンの再解析。市民登録データ・個人映像・旧首都エリアの通信記録、全て洗い出せ』
神崎は映像を閉じると、モニターの一つに“市民記録検索”を表示させた。
「まったく。上層部は何を考えてんだか」
「それを探るのも"あなたの仕事"でしょ」
「これはこれは...。」
楠は再びファイルに目をやった。
楠「102の兄弟株、103〜106。
いずれも脳組織の異常発達、もしくは神経崩壊で壊死。
数時間しか保たなかった。
“あの猫”と同じ遺伝子を使っているのに、なぜ安定しない……?」
airya(No.101)は、人工的に作られた知性生命体。
ならば同じ工程で、再現できないはずがない。
けれど、何かが違う。
楠「……仕方ない、次は強化型の胎盤環境で行く。もう猶予はないわ」
神崎「まぁ、そう苛つくなって」
神崎は、No.101の記録映像を再生する。
「監視網も衛星追跡も無効。まるで“自ら消えた”ように、痕跡が消えている」
冷たい照明が、培養液の中の胎児の目を照らす。
その目は、開かないまま、微かに震えていた。
神崎「それにしても。あまりに美しすぎた。あの目は」
楠「遺伝子操作の賜物ね」
神崎「あれは生まれ持ったものだったろ。我々が手を加える以前から」
楠「初めから、選ばれた個体だったと?」
神崎は楠の背後から抱きしめた。
楠「回収部隊からの報告は?」
神崎「未だ捜索中」




