プロローグ(1):推しがいる世界に、転生しました!?
あの日、私は人生最大の絶望を味わった。
推しの限定グッズを買い逃すという、オタクにとって死にも等しい悲劇を。
それがまさか、大好きな『魔法使いの王ルシアンと四人の勇者の物語』の世界に転生する序章だったなんて、夢にも思わなかったから……
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私の名前は、佐倉花。
ごく普通の日本のオタク女子高生、……のはずだった。
私の魂の全ては、ただ一つの異世界ファンタジー物語に捧げられている。全身全霊で、その世界を愛していた!
特に、私の最推し!
物語の主人公で、五光の勇者を率いる魔法使いの王ルシアン様には、もう言葉にならないほど。
彼の冷静な判断力と、時に見せる人間らしい葛藤、そして何よりもその指先から放たれる圧倒的な魔法の輝きは、私の心を鷲掴みにし、日々の生活の全て。
彼のノベル、コミック、ゲーム……全てを追いかけ、グッズはコンプリート、イベントは皆勤賞!
私の部屋には、ルシアン様のグッズで埋め尽くされた、愛と情熱の結晶たる祭壇がある。毎晩、そこで祈りを捧げるのが日課だったんだ。
「あぁ! ルシアン様! なんて尊いの! 願わくば、私のルシアン様の明日が、いい日でありますように……。そして、ルシアン様の世界がずっとずっと平和でありますように……。」
私が熱狂していたのは、悪魔ヴェクスを五光の勇者たちが倒し、世界の平和を護る王道ファンタジー「魔法使いの王ルシアンと四人の勇者の物語」。
創造神ガイア様によって創られたこの世界は、悪魔ヴェクスという存在によって滅亡の危機に瀕する。そこに立ち上がるのが、ガイア様が世界の守護者として選んだ五人の勇者。
光の勇者たる魔法使いの王ルシアン様を筆頭に、聖剣の使い手、大賢者、大僧侶、大魔導士。
彼らが、ガイア様の忠実な騎士としてヴェクスに立ち向かう。
それが、私が愛してやまなかった物語の骨子だ。
五光の勇者たち……それぞれの個性が光り、魅力的すぎるんだ!
まずは、何といっても!
私の尊い推し! 魔法使いの王、ルシアン様!
彼の魅力は底知れない。
フワリと揺れる銀白色の髪はまるで月明かりのように美しく、透き通る蒼い瞳には深遠な知識が宿っている。細身で優雅な立ち姿は絵になるけれど、その指先から放たれる魔法は桁違いの破壊力。
普段は冷静で、何でも知っている頼れるリーダー……ああ、どこを取っても完璧すぎる!
彼の神聖なる美しさと強さに、私の語彙力は常に崩壊してしまうんだ。
ああ、ルシアン様……。
尊い……。
次に、聖剣の使い手、セラフィナ。
燃えるような紅いポニーテールが、情熱と真っ直ぐさを表している。凛とした緑の瞳には、嘘や不正を許さない強い意志が見えると言われている。聖剣ヴォーパルブレードを振るう姿は、絵になる美しさだ。
そして、大賢者、アルドロン。
白く長い豊かな髭と髪は、彼が積み重ねた知恵の深さを物語る。穏やかな顔立ちと深い茶色の瞳は、世界の隠された真実を見通すかのよう。いつも静かに本を読んだり、難しい顔で何か考え事をしたり……いかにも賢者!って感じ。
四人目は、大僧侶、ローゼリア。
サンゴのような柔らかなピンクのロングヘアはふわふわで、海を閉じ込めたような青い瞳は、見ているだけで心が洗われるみたいだ。可憐な容姿で、いつも優しく微笑んでいる。彼女の癒やしの魔法は、体の傷だけでなく、心の傷も癒やす力を持っているんだ。
天使かな? 天使だ。
最後は、大魔導士、カスパール。
肩で綺麗に切りそろえられた黒髪に、全てを見透かすような鋭い紫色の瞳。お金持ちの御曹司らしい洗練された服装で、口を開けば少し皮肉っぽいことを言ったりするけれど、魔法の腕はルシアン様に次ぐ天才中の天才だ。特にルシアン様のことは、尊敬していて、いつか必ず超えたい目標にしている。
ツンデレなところもまた良いんだ。
あー! どのキャラクターも最高すぎる!
私はこの物語の世界そのものが大好きなんだ!
私は、いつものごとく、教祖ルシアン様の祭壇に祈りをささげたあと、ベッドに入った。
そして、一番お気に入りのルシアン様のアクスタを手に取り、眺めていた。
***
……その日はアニメイベントがあった。
推しのルシアン様限定グッズが販売される予定だったので、私は気合を入れて、朝4時に起きて、6時には会場の列に並んでたんだ。
すでに何人か並んではいたけれど、皆のお目当ては、おそらく私のとは違うだろう……と、内心ひっそり思っていた。
実は、私の愛する「魔法使いの王ルシアンと四人の勇者の物語」は、悪魔ヴェクス討伐編が出版されたのが5年前。
それから物語は更新されていない。
今でも一部の熱狂的なファン(私を含む!)の中で根強い人気だけれど、正直、5年前よりファンは減っていると思う。
そんな中、ルシアン様グッズを制作してくださる貴重な作家様……本当に、そういう方の存在が、私の人生の楽しみを失わせずに済ませてくれていたんだ。
会場が開場した瞬間、私の心臓は高鳴った。
事前にリサーチ済みの「魔法使いの王ルシアンと四人の勇者の物語」のブースへ一目散に突進する。
いつものように、当たり前にルシアン様限定グッズが買えると信じていた。
しかし、目の前に広がる光景は、あまりにも残酷だった。
ブースに誰もいない。
その時、スマホがけたたましい音を立てた。
ツイッテーには、「急遽欠席」の文字。
全身から血の気が引くのが分かった。
まさか、この日のために早朝から並んだ努力が、こんな形で無に帰すなんて。
私のルシアン様グッズが、買えない……?
完全に思考停止。
しばらくその場から動けなかったけれど、作家さんが来れないなら仕方ない。
また、機会はきっとある……! そう自分に言い聞かせ、今日は仕方なく諦めることにした。
生気のない、まるで廃人のような足取りでヨロヨロと歩いていると、突然、甘く響く声が耳に届く。
「ちょっと、そこのお嬢さん。ルシアン様グッズはいりませんか~?」
「ルシアン様?!」
ドヨーンとした顔を上げると、そこに立っていたのは、まるで本物の女神が降臨したかのような、信じられないほど美しいお姉さん。
お姉さんは優しく言った。
「あ、よかったら、このアクスタもらってくれる?」
彼女が差し出したルシアン様のアクスタは、今まで見たどんなグッズよりも精巧で、吸い込まれるような蒼い瞳と銀色の髪は、まるでルシアン様本人が目の前にいるかのようだ。
「え? すごい! 素敵ですね! 買います! これ、売ってください!!」
私は食い気味に前のめりで言ったけれど、女神のお姉さんは首を横に振る。
「私が作ったものだから、お代はいらないわ~。ただ、もらってほしいの。」
私は困ってしまった。
「でも、材料費とか、手間とか、かかってますよね?」
すると、女神のお姉さんは、困ったような顔で……いや、少し悪戯っぽくウインクしながら言った。
「も~、いらないなら、捨ててしまうけど……。それは困るでしょ?」
「ええっ!?」
ルシアン様のアクスタを捨てるなんて、そんなことあってたまるか!
私は大慌てで叫んだ。
「ありがとうございます! お言葉に甘えて、頂きます! 大切にします!」
アクスタを受け取った。
ひんやりとしていて、手に馴染む。
ああ、なんて素敵なのだろう!
この、お姉さまお手製ルシアン様のアクスタは、この世界で唯一のオリジナルなんだ!
万が一無くしたら、もう二度と手に入れることはできないだろう。
ホクホク顔で家に帰った私は、この大切なアクスタを肌身離さず持ち歩くため、お守り袋を作ることにした。
ルシアン様のカラーの黒い袋を選び、不器用ながらも、ルシアン様への愛の力で「ルシアン様」という文字とハートマークを刺繍した。
歪だけど、愛だけはたっぷり詰まっている!
これで、いつも一緒にいられる。
それからは、このお守り袋に入れたアクスタを肌身離さず持ち歩き、夜には、部屋の祭壇に飾って毎日お祈りするようになった。
「なぜか、このルシアン様のアクスタ、特別な感じがするんだよね……。」
不思議な感覚だった。
ただのアクスタではないような……何か、特別な力が宿っているような……。
***
私はベッドに入り、今日も散々眺めた、大切なルシアン様のアクスタをお守り袋にいれて、枕元に置く。
ああ、ルシアン様……。
心の底から、叶うはずのない、けれど心の底から願ってしまう唯一の願い。
もし、もしも生まれ変われるなら……。
ルシアン様が生きる、あの物語の世界に行きたい。
遠くからでいい、彼の活躍を見守りたい。
ほんの少しでもいいから、彼の力になりたい……!
その切なる願いを胸に、私は深い眠りにつく。
しばらくすると、視界がぐにゃりと歪み、枕元のアクスタが、まるで意思を持ったかのように、ふわりと宙を漂い始める。
それは現実か、夢か……境界線が曖昧になる中で、私の意識はゆっくりと、光の中へと溶けていった。