ふたり
〈何処を見て云ふか春寒寒くあり 涙次〉
【ⅰ】
カンテラは外殻(=カンテラ)の中。夢を見てゐた。
鞍田文造の情婦・日々木斎子は遊郭の格子の奥から、男たちを誘つてゐた。(死んで、若い頃に戻ったんだな...)カンテラは夢の中、さう思ふ。そこは私娼窟、玉の井だつた。
ふと、例の死に切れぬ【魔】、田螺谷末吉が通りかゝる。(おいおい、江戸の昔には玉の井の揚屋なんて、なかつたのだぜ!)我々も夢の時間軸・空間軸のずれには、時々驚かされる。カンテラはそれを味はつてゐるところである。
(それにしても遊郭通ひとは、彼奴は重傷を負つて、再起不能なのではなかつたつけ)とカンテラは一人ごちる。自分が何処からその模様を眺めてゐるのかなんて、彼の知つた事ではない。やがて、田螺谷は、斎子の誘ひに乘り、その揚屋に入廊した...
【ⅱ】
俺が斬つた者同士だ... カンテラとしては、そつとして置きたかつた。だが、田螺谷がもし恢復したのなら、斬らねばならぬ。奴つて、俺のそんなライヴァルだつたつけ? 兎に角、カンテラが斬つた者の中では、拔群に腕が立つ、のは確かだつた。
そんなところ迄夢を見ると、カンテラは寢汗をびつしより掻いて、目醒めた。その寢汗は、或ひは冷や汗であつたかも知れぬ。「南無Flame out!!」呪文と共に實體化する。何故に、「冷や汗」なのか? その答へを特に知りたい譯ではなかつた。然しこの夢の事は、口外してはならぬ。カンテラはすやすや眠つてゐる悦美を、その時初めて、抱擁したくなつた...
【ⅲ】
男と女。作者の永遠の命題である。そこには、他のマターにはない、特殊な磁場が働いてゐる。云ひ替へれば、男と女の間には昏い河が流れて(野坂づいてゐるな・笑)ゐる、と云ふ事だ。斎子と自分の間には、そんな河は流れてゐなかつた。カンテラは無理にさう思はうとした。
が、無理なものは、無理。カンテラ誕生の秘密を知る、數尠ない者の一人、と云ふ以上に、自分に或る戀情を抱いた女を斬つたのだ。この夢は差し詰め「祟り」と云ふ譯か。
そして... 朝が來た。その日はカンテラにとつて、或る種の感慨を抱かせ、忘れる事の出來ぬ日になつた。まさかの、田螺谷の子孫、來訪があつたのだ!
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〈蜷の道つけて蜷行く平凡よ 涙次〉
【ⅳ】
その男、田螺谷累吉と云つた。事務所の「相談室」の中で、カンテラは驚愕しなければならなかつた。どすん、と刀、末吉の差し料、大小の物を机の上に投げ出し、「あんた、俺の祖先を斬つたつてね」
隠し立てをしたつて仕方ない。「はあ、斬るには斬つたが、致命には至らなかつたやうですよ、私の夢ではさうなつてゐる」あの夢の話を口外してしまつた...
「夢? 夢なんてもんぢやないぜ、カンテラさんよ」「?」「あんたの事は、俺の一族代々の者らが、敵と狙つてゐる。俺は、先日家督を継いだ。その際、その件、親父から聞いたのだ」こゝで、更に吃驚させられた事に、累吉は、長い方の刀を、拔き放つた。
「やめて置きなさい。あんたには俺は斬れぬよ」努めて、平靜を装つたカンテラだつたが... 結果として、カンテラは累吉を斬る羽目になつた。「しええええええいつ!!」失敗した仇討ち。無殘な末路。この一族は、俺と云ふ者の事を、忘れはしないのだらうな、決して...
【ⅴ】
また、夢。玉の井を今度訪れたのは、田螺谷ではなく、カンテラ自身であつた。(田螺谷は遂に死んだか...)カンテラ、抱くともなく、たゞ斎子を買つた。(これも、飛んだ末路だな。田螺谷一族の事は、俺にはとやかく云へん。)
【ⅵ】
と云ふ譯で、「女難篇」第四彈をお送りした。ちとニヒルなカンテラ。これもカンテラの本質の一つなのだ。彼は冷血漢である。人造の心身を享けた事を、何とも思つてゐない。彼が成すのは正義、ではない何か、なのだ。
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〈ヒーローよきみ何処へ行く何処だらうちと人斬りにちよつとそこまで 平手みき〉
ニヒルなのは作者の氣分なのではないか。←しつこいね。お仕舞ひ。