くじら餅、食べてみない?
高宮慎一が「くじら餅」という名前を初めて聞いたのは、職場の先輩との何気ない会話の中だった。
「山形の郷土菓子なんだけどな、くじらの肉は入ってないんだよ」
「えっ?」
名前のインパクトに、一瞬言葉を失った。
「もち米とうるち米を混ぜた生地を蒸して作る、モチモチしたお菓子のことをそう言うんだよ。黒糖の風味が効いてて、素朴な甘さがクセになるんだ」
「へぇ、面白そうですね」
「小さい頃は、祖母がよく作ってくれたなぁ……今は買うことが多いけど、自分で作ることもできるぞ」
慎一はその初めて聞くお菓子にとても興味を持った。
(シェアハウスの皆にも食べさせてみたいな)
すぐに先輩にレシピを教えてもらい、仕事帰りに材料を買い込んだ。
そして翌日、休日、いい天気、絶好の二度寝日和——そのため、二度寝中の隼哉と大翔はまだ夢の中
「くじら餅を作るぞ」
「くじら餅……?」
シェアハウスのキッチンに集まった仲間たちは、慎一の一声に、一様に不思議そうな顔をした。
「慎一、それはまさか……本当にくじらの肉が入ってるわけじゃないよな?」
颯が恐る恐る尋ねる。
「入ってないよ、まあ、確かにそう思っちゃうよな」
慎一は即座に否定し、材料をテーブルに並べた。
「くじら餅って言うのは山形の郷土菓子で、もち米とうるち米の粉を使ったモチモチのおやつのこと、せっかくだから、みんなが好きそうなアレンジを加えて作ろうと思って」
「くじら餅、か、俺でも聞いたことないかも」
凌生が頷きながら材料を確認する。
「どんな味になるんだ?」
晴也が腕を組みながら、興味深そうに材料を見つめる。
「黒糖の優しい甘さが基本だけど、ここにちょっとアレンジを加えようと思うんだ」
慎一はニヤリと笑い、それぞれの好みに合わせたアレンジを提案した。
颯用にはチョコレート&ナッツ。おしゃれなものが好きな颯には、チョコレートとナッツを練り込んだアレンジ。カカオの香りと黒糖のコクが絶妙にマッチするんじゃないかな。
凌生にはきなこ&黒蜜。素朴な味が好きな凌生には、仕上げにたっぷりのきなこと黒蜜をかける。香ばしさが加わり、食感も楽しくなるよ。
晴也用はあんこ入り。甘いもの好きな晴也には、餅生地の中にこしあんを包み込むアレンジ。黒糖の甘さとあんこの優しい風味が相性抜群だよ。
俺用にはラムレーズンを入れてみるよ。ラム酒に漬けたレーズンを混ぜ込んで、ほんのり洋風な味わいが楽しめるんだ。
さあ、完成!
それぞれのアレンジを加えたくじら餅を蒸し、部屋いっぱいに黒糖の甘い香りが広がる。慎一が包丁を入れると、モチモチと弾力のある生地が、しっとりとした断面を見せた。
きなこの香ばしさ、チョコのコク、あんこの甘み、ラムレーズンの芳醇な香り——それぞれの個性が加わった「くじら餅」が完成した。
「……なぁ、改めて思うんだけど」
颯がぼそっと呟く。
「やっぱり『くじら餅』ってネーミングのインパクトが強すぎる」
「確かに……」
凌生が頷く。
「名前だけ聞くと、未知の食べ物すぎてちょっと萎縮するかも」
「おいおい、名前でビビってないで。ほら、食べてみて」
慎一が小皿に取り分けると、皆は恐る恐る口に運んだ。
「うまっ!」
最初に声を上げたのは晴也だった。
「なんだこれ、モチモチでめっちゃうまい」
「チョコ入り、すごく合う!」
颯が驚いたように目を丸くする。
「きなこ&黒蜜、最高……!」
凌生は幸せそうに目を細めた。
「くじら餅、すげぇじゃん!」
口々に感想を言いながら、皆の手が次々と伸びる。
「名前のインパクトにビビったけど、味は抜群にうまいな」
そう言って、颯が慎一に親指を立てる。
「だろ? 郷土菓子って、意外と奥が深いんだ」
慎一は満足そうに微笑んだ。
こうして、山形の郷土菓子「くじら餅」は、シェアハウスの新たなおやつレパートリーに加わったのだった。
数時間後、やっと起きてきた隼哉と大翔が、くじら餅の話を聞いて羨ましがったのは言うまでもなくて、そんな二人のために、取っておいた分がちゃんとある慎一の優しさが身にしみるのであった。