ぬるま湯と知識欲と、それから
「で、足湯ってさ」
帰り道、土産物屋の並ぶ通りを抜けながら、凌生がぽつりと切り出した。それはもう、「語るぞ」という雰囲気をまとった声だった。普段はそんなに口数が多い方ではないし、前に出ていくようなキャラは隼哉や大翔が担っている。つまり、それだけ語りたかったのだ。
「きたな」と、颯が即座に反応する。
「予想してたけど、帰り道に始まるとは思わなかった」
「いや、ほら。さっきは皆まったりしてたし、静かにしてた方がいいかなって思って」
凌生は、珍しく少し照れたような笑みを浮かべた。
「言いたくてしょうがなかったんだろ?」
晴也が笑う。
「さっきの湯の温度メモってたもんな、スマホで」
「そう。あれ、40〜42度くらいだったと思う。足湯としては最適温。交感神経をあまり刺激せず、リラックス系の副交感神経を優位にしてくれるんだよ」
「出た、交感神経」
隼哉が口を挟む。
「でも、足だけ温めるってそんなにすごいの?」
大翔が興味半分で尋ねた。
凌生は、待ってましたとばかりにうなずいた。頷きの音が聞こえてくるかと思った。実際、耳の良い晴也は聞こえていた。
「すごいよ。足ってさ、全身の血液の“端っこ”みたいなもんでさ。末端を温めることで、血液の循環がぐるっとよくなるわけ。で、それが内臓や脳にもいい影響を与える」
「ふーん」
慎一が歩きながら、ぽつりと相槌を打つ。
「さっき、眠くなったのもそのせい?」
「まさにそれ。足が温まる→血流改善→副交感神経オン→眠気、の黄金ルート」
凌生は得意げに指を折ってみせる。
「あと、内臓冷えてる人にもおすすめ。腸の働きもよくなるし、女性とか冷え性の人には特に」
「お前さぁ、いつから足湯研究家になったの?」
颯があきれつつ笑った。
「いや、もともと興味あってさ。温活って言葉あるじゃん。それ調べてるうちに、足湯が一番コスパよくて手軽って気づいて」
「たしかに、ちょっと入るだけで身体ぽかぽかしてた」
晴也がうなずいた。
「今も、足だけあったかい感じ残ってるし」
「それも大事なこと。身体に“あったかい記憶”が残るって、ストレス緩和につながるんだって」
「いいな、その表現」
慎一がふとつぶやく。
「“あったかい記憶”って、ちょっと詩っぽい」
「今、サラッと褒めたよね?慎一、今俺のことちょっと褒めたよね?」
凌生が振り向きざまに食いついた。
「うるさい、調子に乗るな」
と、颯が肩を小突く。
「でもさ、足湯で得られる効能って、物理的な温かさだけじゃない気もする」
大翔がぽつりとつぶやく。
「なんか、みんなで静かに並んで座ってる時間って、それだけで良かった」
「それも“効能”の一つだと思う」
凌生がすぐに返す。
「“共温感”って言葉がある。誰かといっしょに温かいものに触れてるって、心理的な安心感や親密さにつながるんだって」
「共温感?共感みたいなもんか」
隼哉が言った。
「近い。あったかさの共有って、すごく原始的で本能的な安心なんだよね。だから、足湯とかこたつとか、鍋とかもその範疇に入る」
「じゃあ、俺らのあの足湯も、立派な心理療法だったってこと?」
颯が茶化すように言う。
「そう、まさに!」
凌生は満足げにうなずいた。
「じゃあ、おれたち今日、すごく健康的だったわけか」
晴也が笑う。
「足ぬくぬくで、心まであったかいってことか」
「しかも、語りすぎて熱くなってるのは凌生の頭だけっていう」
隼哉が肩をすくめると、皆が笑った。
「いいの!おれは健康布教に燃えてるだけだから」
「おれ、あれがいいな」
大翔が思い出したように言う。
「将来じいさんになっても、あの足湯集まるって話。まだ覚えてる?」
「もちろん」
慎一が静かに笑った。
「おじいさんになっても、凌生がずっとそうやって語ってるの、なんか想像できる」
颯が言うと、
「その頃にはたぶん、温泉の効能を本にしてるね」
と、晴也がつけ加えた。
「いや、もう温泉博士になっててもいいでしょ。その頃なら」
「全国温泉めぐりブロガーとか、みたいな?」
「なんか微妙な肩書きだな……」
けらけらと笑い合いながら、六人はゆるやかな坂を下っていく。
温泉街の外れ、小さな駐車場の先には、のどかなバス停があった。
湯の記憶はまだ足の奥に、ぽうっと残っていて、それが何か、日常とは少し違う世界に触れた証のように思えた。
凌生は黙って空を見上げる。
湯気はもうないけれど、
言葉の余熱が、まだ胸の中にくすぶっている。
「……次はこたつの効能について話すね」
「やめろ、冬まで黙ってろ」
再び、笑いが湧いた。