雨宿りのベンチ
「……降ってきたな」
颯がそうつぶやいたときには、もうすでにぽつ、ぽつ、と靴先が濡れていた。
「え、マジかよ、天気予報晴れだっただろ」
大翔が空を見上げる。どんよりした雲の端から、いかにも「これから本降りです」と言わんばかりの灰色のかたまりがにじり寄ってくる。
「おーい、こっち!屋根、ある!」
小走りで向こうのバス停のような簡易ベンチに駆け込んだのは、凌生だ。木製のベンチに申し訳程度の屋根、ぎゅうぎゅう詰めで6人なんとか入れるかどうか。
「ギリだな、これ。いや、ギリっていうか、ぎゅうぎゅうすぎん?」
「凌生、もうちょい詰めて!ほら、隼哉、そっち肩寄せろ」
「おま、肩幅広いのに人を詰めさせんなよ……」
最終的に、慎一が真ん中で傘をたたみながら、肩をすくめるようにして座り、全員が濡れずにどうにかおさまった。
「くっそ、晴也が公園抜け道にしようとか言うから……」
「え、俺のせい?俺、あの道の雰囲気が好きって言っただけじゃん。決めたの颯でしょ」
「いや、俺はそれに乗っただけだし」
「全員で歩いたんだから、連帯責任ってことでよくない?」
凌生がぼそりと言うと、一瞬の沈黙の後、みんな吹き出した。湿気った空気が、少しだけ軽くなる。
「……でも、こういう雨、悪くないよな」
ふと、慎一がそう言った。窓ガラスもない屋根の下、風が吹き抜けて、木々の葉を濡らす音がリズムのように耳に届く。
「なんか、音が優しい」
颯がぽつりとつぶやくと、誰もがその言葉に頷いた。
「優しいっていうか、包まれる感じするよね。うちの屋根よりこのベンチの方が落ち着くかも」
「それ、家の屋根がやばいってことじゃん」
「えっ、まじで雨漏りしてんの?」
「してないってば!」凌生がむっとする。
「けど、こうやって雨宿りするの、久しぶりかもなあ」
大翔が空を見上げるように顔をあげる。もう視界は白くけぶり、雨粒が連なってカーテンのようになっていた。
「昔、母さんと手つないで、商店街の軒先で雨宿りしたな」
「懐かしいな、その感じ。俺、ランドセルの中のプリントびしょ濡れにして怒られた記憶あるわ」
「晴也、それ今でもやりそう」
「え、それ今朝じゃないの?」
そう言ってみんなが笑う。風が少し強くなって、さらさらと雨が足元に吹き込んできた。
「こういうのさ、『予定外の時間』ってやつだよね」
凌生がポケットから飴玉を取り出して、慎一に渡した。
「お、なんか深いこと言いそうな顔だな」
「違う違う。予定外の時間って、記憶に残りやすいって話。だからさ、雨宿りって意外といい思い出になるよ」
「それ、めっちゃ分かる」
大翔がぱんと手を叩いた。
「中学生のときさ、好きだった子と二人で屋根の下入って、喋ることなくてずっと無言だったけど、忘れられないんだよなー」
「……いいな、それ。俺、そういうのないや」
颯がぽつりと言って、空を見た。
「今、あるじゃん」
慎一が言った。全員が、慎一の方を見た。
「この時間も、その思い出になるんじゃね。6人でぎゅうぎゅうのベンチに詰まってさ、誰かの傘、誰かの腕、あったかいけどちょっと窮屈で。たぶん、あとから思い出すと、いい時間になる」
「……慎一、今日キメてくるね」
「ねえ、今日何の日?ポエムの日?」
「うるさい、真面目に言ってんだよ」
そう言って笑う慎一の声が、雨音にまぎれて遠くまで響いた。
しばらくして、雲の向こうにうっすらと光が差した。雨脚は徐々に細くなって、ベンチの屋根を打つ音も柔らかくなっていく。
「そろそろ、行くか」
隼哉が立ち上がる。膝についた草をはたくようにして伸びをすると、他の皆もぞろぞろと立ち上がった。
「次に降られるとしたら、どの辺かな」
「おい、やめろ。そういうフラグ立てるな」
「じゃあさ、次に雨宿りするときは、喫茶店とかでしない?」
「それはもう雨宿りじゃなくて、ただの寄り道だな」
また笑い声が、降り止んだ空へとほどけていった。