フィナンシェと漫才
カフェで春のスイーツを堪能した帰り道、颯、大翔、凌生の三人は、駅前の焼き菓子専門店に立ち寄った。ショーケースには美しく焼き上げられたフィナンシェやマドレーヌが並び、どれも甘い香りを漂わせている。
「お、桜味のフィナンシェだって」
颯が指さしたのは、薄桃色の生地にほんのり桜の葉の緑が映えるフィナンシェ。小ぶりな焼き菓子の表面はしっとりとしていて、ほんのりと光沢がある。
「せっかくだし、お土産に買って帰るか」
「いいね、みんなで食べたら楽しそう」
三人は人数分より少し多めにフィナンシェを購入し、シェアハウスへと戻った。
***
「おかえり」
リビングのソファでくつろいでいた沢弥隼哉、井田晴也、高宮慎一が顔を上げる。
さあ、残りの三人も、ちゃんと名字がありました。発表できてよかったです。
「お土産あるぞー」
「お、なんだなんだ?」
興味津々の隼哉が袋を覗き込み、桜フィナンシェを見つけて目を輝かせる。
「うわっ、めっちゃいい匂いする!」
「桜味のフィナンシェだよ」
「お、春っぽいな」
晴也が感心したように呟く。
六人は早速、テーブルを囲んで桜フィナンシェを頬張る。
しっとりとした生地に、ほんのり香る桜の風味。バターのコクがふわっと広がり、噛むたびに優しい甘さが舌に残る。桜の塩気が絶妙なアクセントになり、甘さを引き立てていた。
「これ、すっごく美味しい……」
慎一が珍しく感嘆の声を漏らす。
「春って感じがするよなぁ……桜ってだけで、こんなにも春を堪能できるって、なんかいいなぁ」
しみじみとした口調で言う隼哉に、晴也がすかさずツッコミを入れる。
「おじいちゃんかよ」
「いやいや、風情を感じてるだけだから!」
「風情って、お前には似合わない。なんか爺くさい」
「いや、爺くさいってなんだよ!このフィナンシェがあまりにも美味しいってこと!桜の香りがふわっと広がり、口の中に春の風が吹き抜ける、そんな一品……」
隼哉がうっとりと目を閉じて語り始める。
「……」
晴也は黙って、じっと隼哉を見つめる。
「遠くを見れば、満開の桜……桜吹雪の中、ふと立ち止まる俺……そして、静かにフィナンシェを口に運ぶ……」
「どこで食ってんだよ」
「桜の木の下、春の陽気に包まれながらだな」
「今、室内だけど」
「心の中では春爛漫って感じなんだよ」
「なら俺にも見せてくれ、その心の中の風景を」
「いいか? 目を閉じろ、そして、フィナンシェの香りを感じるんだ……ほら、桜の花が風に舞い、春の空気がふわっと……」
「食レポの新境地に行こうとするな」
「俺の中の春を晴也と共有したかったのに!」
「知らねーよ」
周りで見ていた慎一や凌生、颯、大翔が、唖然と二人のやり取りコントを見ていた。噛み合っているんだかいないんだかわからないコントにプッと最初に吹き出したのは慎一だ。
「……お前ら、ほんと漫才みたい」
慎一が苦笑しながら紅茶を啜ると、みんなもつられて笑い出した。大翔はそんな二人を見て、ふと羨ましくなる。
(いいなぁ……ああいう掛け合い、楽しそうだなー、ザ仲良しって感じ)
そんなことを思いながらフィナンシェを頬張ると、向かい側に座っていた凌生が何気なく言った。
「桜ってさ、塩漬けにしても美味しいし、お菓子に入れても美味しいし……改めて考えると、万能な花だよな」
大翔はその言葉にピンときて、意気込んで口を開く。
「花なのに食材扱いかよ!」
よし、ツッコミとしてはいい感じじゃないか? と思った次の瞬間、凌生は特に表情を変えずに、冷静に返した。
「え? 実際、桜って和菓子にも料理にも使われるし、塩漬けはお茶にもなるし、普通に食材じゃない?」
「……」
大翔の口から言葉が消えた。
(え、そう言われると、何も言い返せない……)
しょげてフィナンシェをじっと見つめると、隣で颯が肩を叩いた。
「大翔、お前にはまだ早い」
「うぅ、ツッコミって、難しい……」
「お前の場合、相手が悪かったんだ、凌生はそういうとこあるから」
「そういうとこって……?」
「理論派っていうか、お笑いを分かっていないっていうか」
「大翔、元気出せ、ほら、もう一個」
慎一が残りのフィナンシェを優しく差し出す。
「……ありがとう」
しょげながら口に運んだフィナンシェは、桜の香りがふわっと広がって、とても美味しかった。
「やっぱ桜っていい」
そう呟くと、今度は隼哉がすかさず言った。
「お、今の大翔、おじいちゃんみたいだったぞ!めっちゃジジくさだった」
「は!? 違うし!」
「いや、今のは結構しみじみしてたぞ」
「そんなことないから!」
今度は隼哉と大翔が言い合いを始め、またみんなの笑い声が弾けた。
桜の香りと、春のような賑やかな時間が、シェアハウスの夜をゆったりと満たしていった。
ー慎一のフィナンシェ講座ー
「今日はフィナンシェを作ろうと思う」
そう言った慎一の前には、すでに材料が並んでいた。
「フィナンシェって家で作れるんだな」
キッチンカウンターに寄りかかりながら、颯が感心したように言う。
「意外と簡単だよ。バターを焦がして、あとは混ぜて焼くだけだから」
慎一は手際よく準備を進めながら、大翔と凌生にも声をかけた。
「せっかくだから、みんなで作ろう、バター溶かす係、大翔、やってくれ」
「おう、任せろ!」
「じゃあ、凌生は粉類をふるって」
「了解」
「颯は卵白を混ぜてくれ。滑らかになるまでしっかりな」
「これって力仕事?」
「これは腕力じゃなくて、丁寧さが大事な作業」
「なるほど」
それぞれ役割をこなしながら、慎一が説明を続ける。
「まず、バターを鍋で溶かして焦がす、焦がしバターにすると、フィナンシェの風味がぐっと良くなるんだ」
大翔が鍋を揺らしながら、じっとバターの色を見つめる。
「おお、なんかナッツみたいな香りがする!」
「そう、それが正解」
「なんか料理してる感じするな!」
「いやいや、料理だよ」
慎一はさらりと言いながら、大翔の鍋を確認した。
「いい感じ。火を止めて、こしたら準備完了」
その間に、凌生がふるった粉と、颯が混ぜた卵白をボウルに入れる。慎一がヘラでさっくりと混ぜ、焦がしバターを加えてさらに混ぜると、滑らかな生地が完成した。
「よし、これを型に流し込んで焼こう」
オーブンに入れると、甘い香りが一気に部屋に広がる。
「焼いてる間に、アレンジを仕込むぞ」
「アレンジ?」
大翔が首を傾げると、慎一が追加の材料を取り出した。
「桜フィナンシェ以外にも、色んな味が作れるんだ。例えば、抹茶とかチョコとか」
「お、いいな!」
抹茶フィナンシェの生地には、抹茶パウダーを混ぜる。チョコフィナンシェにはココアパウダーを加え、さらにチョコチップを入れた。
「レモンもあるぞ」
「レモン?」
「レモンの皮をすりおろして、果汁を少し加えると爽やかになる」
「うまそう!」
さらに、コーヒーフィナンシェも作ることに。
「これはインスタントコーヒーを少しお湯で溶かして入れる、大人向けの味」
「おしゃれ〜」
オーブンが鳴り、最初に焼いたプレーンと桜のフィナンシェが焼き上がった。こんがりときつね色で、表面はつやっとしている。
「うわ、いい匂い……!」
カウンターに並べると、ちょうど晴也がリビングから顔を出した。
「お、フィナンシェ? 試食していい?」
「もちろん」
慎一がひとつ渡すと、晴也はさっそくかじる。
「……サクッとしてて、中しっとり、めっちゃうまい」
「でしょ」
「バターの香りがすごくて、甘さもちょうどいい」
幸せそうに食べる晴也を見て、大翔がニヤッとする。
「やっぱ晴也は食べる係だな、食リポも上手」
「一番大事な役割だろ」
「確かに」
笑いながら、それぞれ焼きたてのフィナンシェを味わった。
「これ、また作ろうぜ!」
甘い香りと楽しい時間が、シェアハウスにふんわりと広がっていた。