小腹と誘惑
昼下がりの大学のカフェテリア。窓際の席で、安堂凌生は静かに本を読んでいた。
目の前のテーブルには、飲みかけのカフェラテ。ぬるくなってしまったけれど、少し甘めのミルクとエスプレッソの香りが心地いい。次の講義まで、まだ20分ほど時間があった。
穏やかな時間——のはずだったが、ページをめくる手がふと止まる。
(……ちょっと、小腹空いた)
思い返せば、今日の昼食は軽めだった。朝もあまり食欲がなく、適当に済ませたせいか、じわじわと空腹を感じる。
カフェテリアにはスイーツや軽食もあるが、今日は売店のラインナップを確認したい気分だった。読んでいた本を閉じ、カフェラテを一口飲み干す。
「よし……」
席を立ち、売店へ向かう。
大学の売店は、カフェテリアのすぐそばにある。パンやおにぎり、スナック菓子からヨーグルト、ちょっとした総菜まで、種類が豊富で選ぶ楽しみがある。
凌生は陳列棚の前で立ち止まり、ひとつひとつじっくり眺めた。
(何にしよう……)
選択肢は多いが、小腹を満たすには何が最適か。
甘いものか、しょっぱいものか。軽めか、しっかりめか。
まず目についたのは、大学オリジナルの焼き菓子シリーズ。素朴なバタークッキー、黒糖フィナンシェ、そしてレモンマドレーヌ。どれも美味しそうだが、フィナンシェの香ばしい風味に惹かれて、ひとつカゴに入れた。
(甘いのを食べたら、塩気のあるものもほしくなるか……?)
隣の棚には、ミニサイズのチーズおかきや、ナッツ入りのクラッカーが並んでいる。迷った末、チーズおかきを追加。
さらに、冷蔵コーナーをチェックすると、大学生協オリジナルの手作りプリンが目に入った。なめらかで優しい甘さが特徴のこのプリンは、ひそかにお気に入りだし、何より人気商品ですぐに売り切れてしまうのがたまたま残っていたのだ。
(今日はもう甘いものを選んでるし……いや、でもこれは別枠だ)
結局、プリンもカゴに入れた。
気づけば手元には、フィナンシェ、チーズおかき、プリンの三点セット。おやつにしては少し多い気もするが、どれも魅力的で削れなかった。
「さて、会計するか」
そう思い、レジへ向かおうとした瞬間——
「凌生?」
ふいに後ろから声をかけられた。振り向くと、大学の友人である杉本が立っている。
「お前、何してんの?」
「見ての通り、買い物。」
そう言ってカゴを見せると、杉本は一瞬驚き、次の瞬間、吹き出した。
「凌生にしては、なんか、多いな。」
「別に多くないだろ」
「多いって。お菓子ばっかりじゃん!」
凌生は少し考えたあと、冷静に言い返す。
「いや、バランスは取ってる。甘いのと、しょっぱいのと、デザートと」
「全部おやつじゃん。」
「おやつだが?」
「えぇ……」
杉本は呆れつつも笑いながら、凌生のカゴの中を覗き込む。
「フィナンシェ、チーズおかき、プリン……お前、どんだけ食べる気だよ。」
「次の講義までに全部食べるとは言ってない。ゆっくり味わう予定だ。」
「いや、そんなに味わうほどの量でもないだろ。」
「でも、お前も迷ったことないか? 甘いのにするか、しょっぱいのにするかで。」
「そりゃあるけど……だからって両方買うか?」
「迷うなら両方選べばいい。どちらかを諦めるより、満足度は高い。」
凌生が淡々と持論を展開すると、杉本は「なるほど……」と妙に納得したような顔をした。
「お前、食べ物の選び方にはブレないよな。」
「そうか?」
「ま、でも、確かにここのプリンは美味いよな。」
「そうだろ? お前も買えばいい。」
「うーん……じゃあ、俺も買おうかな。」
そう言って杉本はプリンを手に取った。
結局、二人ともそれぞれ買い物を済ませ、売店を出た。
「で、結局どこで食べるんだ?」
「俺はカフェテリアに戻るつもりだけど。」
「じゃあ、俺も付き合うわ。」
そんな軽いやり取りを交わしながら、二人はまたカフェテリアへ戻っていく。
カフェテリアへ戻った二人は、窓際の席に座った。
凌生は買ったばかりのプリンの蓋を剥がし、スプーンですくう。トロリとしたカスタードの滑らかさと、ほんのり苦みのあるカラメルの香りが立ち上る。
「はー……やっぱり、ここのプリンはいいな。」
一口食べると、自然とそんな言葉が漏れた。
向かいの席で杉本もプリンを開けながら、苦笑いする。
「お前さ、さっきは色々買ってたけど、結局最初に手をつけるのはプリンなんだな。」
「甘いものから食べたい気分だった。」
「やっぱり即決だよな、お前。」
「ん?」
「いや、ほら。お前って優柔不断なようで、妙に決断が早いときあるじゃん。」
杉本はそう言いながら、プリンを一口食べた。
「優柔不断……?」
凌生は眉をひそめる。
「お前、売店でめっちゃ悩んでたけど、結局『両方買う』って即決してたじゃん。普通はどっちか選ぶだろ。」
「いや、迷った末に結論を出しただけだ。」
「それがすげえんだよ。」
杉本は半ば感心したように首を振る。
「普通のやつは、どっちかを諦めるか、ずっと迷って決められないかのどっちかだ。でも、お前は『迷うなら両方』っていう選択肢を即決できる。」
「……別に、そんな特別なことか?」
「特別っていうか、面白いんだよな、お前。」
「面白い?」
「うん。即決ができるようで、逆に優柔不断でもあるし、優柔不断なようでいて、実は決断が早い。」
「どっちなんだよ。」
「言ってる俺も分からん。」
杉本は苦笑しながら、スプーンをくるくると回した。
「ただ、お前のそういうとこ、見てて面白いなって思う。」
「……そうか。」
そう言って、凌生はフィナンシェを手に取った。
「甘いものの流れを優先してチーズおかきは後回しにする。」
「やっぱりお前は即決できるやつなんだよな。」
杉本は呆れたように笑いながら、残りのプリンを口に運んだ。
こうして、のんびりとしたカフェテリアの時間は過ぎていく。