本はどこ行った?
洗濯機が回る音は、シェアハウスの生活音のひとつ。ガタゴトと規則的に響くその音は、凌生にとって心地よいBGMになる。今日は自分が洗濯当番。朝食の片付けを終えたあと、洗濯物をまとめて洗濯機に放り込み、スイッチを押した。あとは待つだけ。
彼はリビングのソファに腰を下ろし、今読んでいる小説の続きを開く。最近ハマっているミステリー小説で、ちょうど佳境に入ったところだ。犯人は誰なのか、伏線はどう回収されるのか、ページを捲る指が止まらない。
洗濯機の終了音が鳴ったのは、物語がいよいよ真相に迫ろうとしている瞬間だった。
「……あぁ、ここで止まるのか」
名残惜しく思いながらも、本を閉じて立ち上がる。そのまま本をリビングのテーブルに置いた……はずだった。
洗濯機の蓋を開け、洗濯物をカゴに取り込む。タオル、シャツ、靴下、ズボン──それぞれの持ち主をなんとなく把握しつつ、きちんと整えていく。全員分の洗濯物が混ざっているが、このシェアハウスでは当番制なので、誰が誰のを干すかは特に気にしない。
カゴを持ってベランダに出ると、春の陽気が心地よかった。風が少し強いが、洗濯物を干すにはちょうどいいくらい。凌生は黙々と作業を進め、ピンチハンガーに靴下を吊るしていく。
そのとき、背後でバタンと音がした。
振り返ると、リビングのドアが風で閉まっていた。
「……びっくりした」
呟いてから、再び洗濯物に意識を戻す。シャツやパンツを順番に干し終え、最後に手ぬぐいをピンチに挟んで完了。このてぬぐい、いつも干しているけれど、誰のかよく分かっていないんだよな。キャラものだったら大翔とかってすぐに分かるのに。と思いながら。
「よし」
凌生は満足げに手を叩き、ベランダを後にした。
カゴを片付けてリビングに戻る。
「あれ?」
テーブルの上に置いておいたはずの本がない。
ソファのクッションの間を探してみるが、ない。テーブルの下を覗いても、ない。もしかしてキッチンに持って行ったのかと思い、カウンターの上も確認したが、やはりない。
「……どこやった?」
リビングや自室、廊下までくまなく探した。だが、本は見つからない。
そのまま昼になり、他の住人たちがリビングに集まり始めた。隼哉がダイニングテーブルに座り、パンをかじりながらキョロキョロ探し物をしている凌生に向かって言った。
「なんか探してんの?」
「本、さっきまで読んでたやつ、どこに置いたか忘れた」
「どんな本?」
「ミステリー、黒いカバーのやつ」
「ふーん」
興味なさそうに頷く隼哉の横で、慎一が腕を組んだ。
「さっきまでって、いつのこと?」
「洗濯機回してる間」
「読んでた場所は?」
「ソファ」
「そこにはなかったんだろ?」
「うん」
慎一が少し考え込み、ふと何かを思い出したように言った。
「……ベランダ、確認したか?」
「ベランダ?」
「干す前にどっかに置かなかったか?」
その言葉に、凌生の記憶が蘇る。洗濯物を干す前、両手が塞がるからと、一旦どこかに置いた気がする。
「……まさか」
急いでベランダへ出る。
そして、見つけた。
洗濯カゴの隣、物干し竿の支柱の上に、黒いカバーの本が置かれていた。
風に飛ばされなかったのは奇跡に近い。そっと手に取ると、表紙が少しだけ湿っていた。
「……やっちまった」
凌生が肩を落としながらリビングへ戻ると、慎一が呆れ顔で言った。
「お前のミステリーは、現場検証なしじゃ解決しないな」
「うるさい」
「で、犯人は見つかったのか?」
「俺だったよ」
隼哉がクスクス笑いながら、「オチが弱いな」と言った。
「もっと衝撃的な展開が欲しかった」
「俺は本が見つかればそれでいいんだよ」
凌生はそう言って、ようやく一息つく。
洗濯物はしっかり干した。天気もいい。問題なし。
次にやるべきことは──
「……本の続き読もう」
今度は、ちゃんとテーブルの上に置いたことを確認してから。




