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six socks  作者: AI子
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今年こそは

 三月——それは、シェアハウスにとって試練の季節だ。


 春の訪れとともにやってくるのは、あの忌まわしき花粉。毎年、住人たちはこれに苦しめられ、涙と鼻水にまみれることになる。テッシュケースの取り合い、目薬の争奪戦、テッシュの山ができるゴミ箱の片付けに、冷蔵庫の中のヨーグルト。なにもかもが花粉症仕様になっていた。


「……はぁ」


 リビングのソファに沈み込んだ鳴渡颯は、憂鬱そうにため息をついた。


 目は赤く充血し、鼻は真っ赤。マスク越しにぼそぼそと呟く。


「今年も花粉の季節が来ちまった……」


 その隣では、ルーズリーフに何かを書き込んでいた沢弥隼哉が、ティッシュで鼻をかみながら言った。


「どうにかならねぇのかね、これ……。毎年『今年こそは対策するぞ』って言ってるのに、結局やられてんじゃん」


「マジでな……。薬も飲んでるけど、効いてるんだか効いてないんだか……」


 と、そこへキッチンからコーヒーを淹れて戻ってきたのは高宮慎一。彼もまた、目を赤く腫らし、しきりに鼻をすすっていた。


「花粉のせいでコーヒーの香りが分かんねぇ……最悪だ」


 慎一の隣に座っていた桜間大翔も、同じく涙目でうつむく。


「外出ると一瞬でダメになるよね……。さっきも買い物行っただけで、鼻水止まらなくなっちゃった……」


「大翔、鼻声になってる」


「凌生も同じでしょ?」


 リビングの片隅で本を読んでいた安堂凌生は、ティッシュを片手にぼそりと呟く。


「……花粉症って、いつになったら人類は克服できるんだ?」


「ほんとにな……」


 そこに、ダイニングテーブルで何やらパソコンを開いていた井田晴也が顔を上げた。


「毎年これじゃキリがないからさ、今年こそは何か対策を考えるぞ」


「でも、どうするんだよー」


「うーん、たとえば家の中の環境を改善するとか?」


 颯と大翔が考えるが、なかなかに難しい。


 その言葉に、凌生がノートパソコンを覗き込みながら呟いた。


「それなら、空気清浄機をフル稼働させるのはもちろん、換気のタイミングも考えた方がいいかもな」


「なるほど、花粉が少ない時間帯を狙うってことか」


「そう。あと、加湿器も活用すれば、花粉が舞いにくくなるらしい」


「おお、ちょっと希望が見えてきた……」


 だが、皆の表情はまだどこか頼りなげだった。


「でもさ、毎年それなりに対策はしてるんだよな……。結局、なんだかんだでやられちゃうんだよ」


「そうなんだよ……どこかで妥協しちゃうというか、面倒くさくなっちゃうんだよね」


「だからこそ!」


 そのとき、立ち上がったのは晴也だった。


 彼は拳を握りしめ、真剣な表情で言い放つ。


「今年こそは、本気でやる。俺が花粉症対策委員長になって、徹底的に管理する」


 一瞬、リビングが静まり返る。


「……え?」


 颯が目を瞬かせる。


「晴也が……対策委員長?」


「うん」


 晴也は真面目な顔のまま頷いた。


「もうこんな生活は嫌だ。今年こそ、花粉に勝つ」


「……いや、お前、そんなキャラだったか?」


「俺だって毎年苦しんでるんだ。特に、甘いものを食べても味が分からなくなるのが一番つらい」


 晴也の言葉に、皆は「ああ……」と納得した。彼は甘党で、スイーツを楽しみにしていることが多い。花粉症で味覚が鈍るのは、確かに彼にとって大問題だろう。


「だから、俺が率先して対策を進める。花粉を持ち込まないために、帰宅時のルールを徹底する。服を払ってから入る、すぐに手を洗う、うがいをする。これを義務化する」


「……なんか、すごい本気だ」


「加湿器と空気清浄機は、常にベストな状態にする。掃除の頻度も増やして、花粉が室内に溜まらないようにする」


「そこまで……」


「そして、俺が毎日、花粉飛散量のチェックをする」


「え、そんなことまで……」


 凌生が呆れ半分に言うと、晴也は真剣な顔で頷いた。


「情報戦は大事だ。花粉の多い日は、外出時の装備を完璧にする。マスク、メガネ、花粉カットスプレー……。これらをしっかり整える」


 晴也の気迫に、皆は完全に圧倒されていた。


「……お前、本気でやる気なんだな」


「もちろんだ。今年こそ、俺たちは花粉に負けない」


 その力強い言葉に、最初は戸惑っていたメンバーも、次第にその熱意に引き込まれていった。


「よし……じゃあ、俺もちゃんと対策するわ」


「うん、ここまで言われたら協力しないとだな」


「せっかくなら、徹底的にやってみるか」


 こうして、シェアハウスの「花粉症対策プロジェクト」が始動することになった。


 果たして、今年こそ彼らは花粉に勝てるのか——?




 三月下旬——。


 シェアハウスの「花粉症対策プロジェクト」が始動してから、約三週間が経過した。


 井田晴也を筆頭に、住人たちは徹底的な花粉対策を実施。帰宅時のルールを守り、空気清浄機と加湿器の管理を徹底し、日々の掃除を強化する——そんな日々を送ってきた。


 そして迎えた今日、全員がリビングに集まり、この三週間の成果を振り返ることになった。


「……では、報告を始める」


 テーブルの上に資料を広げた晴也が、真剣な表情で口を開く。


「まず、今回の対策で最も効果があったと思われるのは、帰宅時のルールの徹底だ」


 彼の言葉に、メンバーたちは一斉に頷く。


「確かに、服を払ったり、手洗いうがいを徹底したのは、意外と効果があった気がするな」


 慎一が腕を組みながら言うと、颯も同意した。


「俺、去年まで部屋に帰ったらすぐソファにダイブしてたけど、それがダメだったんだな……今年はそれやめたら、去年よりマシな気がする」


「そう、それが大事なんだ」


 晴也が満足げに頷く。


「特に、お前らはすぐ床にゴロンとする癖があるからな。服に付いた花粉を撒き散らしてたんだ」


「それ、俺のこと言ってる?」


 大翔が苦笑しながら尋ねると、隼哉が「お前もだろ」と突っ込んだ。


「でもさ、それなりに効果はあったと思うけど、完全に花粉から逃れられたかっていうと……」


 凌生がティッシュで鼻をかみながらぼそりと呟く。


「結局、みんなまだ鼻声だよな」


 その言葉に、一瞬シーンとなる。


「……確かに」


 メンバーたちはお互いの顔を見渡した。


 目は充血しているし、鼻は詰まっている。くしゃみは減った気がするが、それでもティッシュの減りは相変わらず早い。


「うーん……完全勝利とは言えないな」


「むしろ、善戦したけど結局押し切られたって感じ?」


「なんだそれ、普通に負けてるじゃん」


「負けてはない! でも勝ってもいない……」


 エルが難しい顔をしながら言うと、司が苦笑する。


「でも、去年よりはマシだろ?」


「そうだな……俺、去年はもっと酷かった気がする」


「去年は花粉のピークの時、全員で地獄みたいな顔してたもんな……」


「それ考えたら、今年はまだギリギリ人間の形を保ってる」


 しみじみと語るメンバーたち。


 だが、その様子を見ていた晴也は、やや悔しそうに腕を組む。


「……ふむ、やはり完全勝利は難しかったか」


 彼の言葉に、慎一が肩をすくめる。


「まあ、そう簡単に花粉に勝てるわけないってことだな」


「でも、やるだけのことはやったじゃん。来年はもっと強化すれば、もう少し勝率上がるかも?」


「そうだな……来年は食生活の改善も取り入れるか」


「いや、そこまでやる?」


 颯がびっくりしたように言うと、晴也は真剣な顔で頷いた。


「免疫力を上げれば、多少は症状が軽くなる可能性がある。腸内環境を整える食品とか、花粉症に効果があると言われている食材を取り入れていく」


「うわ、どんどん本格的になってきたな……」


「でも、今年よりマシになるなら、やる価値はあるかもな」


「じゃあさ、来年も晴也が花粉症対策委員長ってことで」


「……え?」


 颯の軽い冗談のつもりだった発言に、なぜか全員が「それいいな」という顔をしている。


「いやいや、俺は今年だけのつもりだったんだが」


「いや、リーダーシップ発揮してたし、やるならやっぱりお前が適任だろ」


「そうそう、こういうのって継続が大事だから」


「そうだよ、来年も頼むよ、委員長」


「おい待て、勝手に決めるな」


「じゃあ、次の委員長を決めるために投票するか?」


「いや、お前らのノリだと絶対俺になる流れだろ!」


 晴也がツッコミを入れるが、もはや誰も彼が委員長以外の未来を想像していない。


「よし、来年も花粉症対策プロジェクト、頑張ろうな!」


「おー!」


「だから勝手に決めるな!」


 こうして、今年の花粉症対策プロジェクトは一応の成功を収めた。


 そして来年、さらなる戦いが待っていることが確定したのであった——。


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