散らかった部屋と整えた心
「おい、颯。いい加減片付けろよ」
シェアハウスのリビングでコーヒーを飲みながら、高宮慎一が呆れた声を出す。ソファの前のローテーブルには、鳴渡颯の持ち物が散乱していた。ノート、ペン、イヤホン、コンビニの袋、飲みかけのペットボトル。慎一が片付けを促しても、颯は気の抜けた顔で「あとでやるってー」と言って動こうとしない。
「お前の『あとで』って、一生来ねぇよな」
「ひどっ! ちゃんとやるってば!」
「……で、いつ?」
「……気が向いたら?」
「ほらな」
慎一がジト目で睨むと、颯は「うっ」と口ごもった。そのとき、キッチンのほうからクスッと笑い声が聞こえてくる。振り向くと、井田晴也が腕を組みながらこちらを見ていた。
「颯の部屋、相変わらずなのか?」
「え? えーっと、まぁ、ちょっとね?」
「ちょっと、じゃなくて、普通にやばいぞ。さっき見たら、床が見えなくなりかけてたからな」
「慎一、それは……その、たまたま!」
「たまたま、が日常なんだろ」
言い訳を試みる颯だったが、晴也と慎一のダブルの視線に耐えきれず、顔を背ける。晴也は小さくため息をついた。
「片付け苦手なら、せめて習慣にするしかないぞ」
「晴也はめちゃくちゃ綺麗好きだよね……何かコツあるの?」
颯が期待を込めて尋ねると、晴也は「コツか……」と少し考え込んだ。
「まず、使ったものを元の場所に戻す。これが基本」
「うっ……」
「難しいなら、『出したらしまう』を意識するだけでも違う。机の上にモノを置いたら、使い終わった瞬間に片付ける。慣れれば、それが当たり前になる」
「そ、それができたら苦労しないってー」
「できるぞ。意識の問題だ」
きっぱりと言われて、颯は反論できない。晴也はさらに続ける。
「あと、無駄なモノを増やさないこと。部屋が散らかる原因は、大抵『必要ないものが多い』せいだからな」
「それ、耳が痛い……」
「もしかして、お前、昔のプリントとかレシートとかずっと取ってるタイプか?」
「うっ……」
図星だったらしい。颯は目をそらしながら「でも、なんか捨てるのもったいなくて……」とボソボソ言う。
「思い出系は写真に撮るとか、スキャンするとかすればいい。物理的なモノを減らせば、管理も楽になる」
「なるほど……」
颯が神妙に頷くのを見て、慎一は「お前はほんと、晴也に指導してもらわないとダメだな」と笑った。
しかし、その慎一に向かって、晴也がじっと視線を向ける。
「……慎一、お前も最近ちょっと部屋が荒れてるよな?」
「え?」
「俺、この前ちょっとお前の部屋の前通ったけど、床に服が散らかってたぞ」
「……あー」
慎一はバツが悪そうに後頭部を掻いた。颯が驚いたように身を乗り出す。
「えっ!? 慎一って、基本は綺麗好きじゃなかった?」
「まぁ。でも、忙しくなると、つい……」
「慎一は余裕がなくなると片付けが後回しになるタイプなんだろうな」
「……否定はしない」
珍しく弱気な慎一に、颯がにやりと笑う。
「やっぱり晴也に片付けレッスンしてもらいなよ!」
「お前が言うな」
バシッと颯の額をはたいてから、慎一は小さくため息をついた。
「……確かにな。出張続きで帰ってきたら、片付ける気力がなくなることはある」
「それなら、帰った瞬間に『とりあえずの定位置』を決めるといい」
「定位置?」
「ああ。荷物を仮置きする場所を決めておくんだ。リビングに放置しないように、専用のカゴを置いて、そこに一旦まとめる。で、気力があるときに整理する」
「なるほどな……」
慎一が顎に手を当て、納得したように頷く。颯も「それならできそう」と目を輝かせた。
「よし、じゃあ俺もやってみるか! とりあえず、床に散らかってるやつをまとめればいいんだよね!」
「違うぞ」
「えっ?」
「まとめるだけじゃなくて、必要ないものは処分しろ」
「うっ……」
晴也の鋭い指摘に、颯はまたしても沈黙。慎一はそんな二人のやり取りを見ながら、小さく笑った。
「……ま、確かに片付けると気持ちもスッキリするしな。やってみるか」
「お、慎ちゃんがやるなら俺も頑張る!」
「そもそもお前のほうが先にやるべきだろ」
そんなふうに言い合いながらも、二人はそれぞれの部屋へ向かった。晴也は彼らの後ろ姿を見送ると、小さく頷く。
「……まずは意識を変えることから、だな」
そう呟いて、晴也はコーヒーを一口飲んだ。
シェアハウスの廊下に、見慣れないモノが転がっているのを発見したのは、慎一だった。
「……なんだこれ?」
床に無造作に置かれたカバン、山積みになった雑誌、折りたたまれていない洗濯物。その奥には、靴の箱やらコンビニの袋やらが積み重なっている。慎一は眉をひそめて、それをまたいで通ろうとしたが、さすがに放置できずに立ち止まる。
「……おい、凌生」
慎一が廊下の先にある部屋の扉をノックすると、中から「うーん?」という寝ぼけたような声が返ってきた。しばらくして、ドアが少しだけ開き、安堂凌生が顔を覗かせる。
「なに、慎一……あれ、もう夜?」
「いや朝だ。てか、お前の部屋から物が溢れ出してるんだが?」
「えっ……あー……やべ」
凌生が扉を開けた瞬間、慎一はその光景に絶句した。部屋の床は、散乱した服や紙類で埋め尽くされ、デスクの上には空き缶と書類が積み重なっている。
「……これはひどいな」
「…そう?」
他人事のように言いながら、凌生は頭を掻いた。
「忙しくなると、片付ける暇なくて……気づいたらこうなってるんだって」
「いや、これは暇とかそういう問題じゃねぇだろ。廊下まで侵食してるんだぞ」
慎一が呆れたように言うと、凌生は「いやー、ちょっとだけ置くつもりが……」と苦笑いを浮かべた。その時、廊下の奥から足音が聞こえてくる。
「また凌生の部屋が爆発したのか?」
現れたのは井田晴也だった。彼は凌生の部屋を覗き込むと、腕を組んで深く息を吐く。
「凌生、お前さ……定期的に不用品は出してるんだろ?」
「ええ、一応。でも、気づいたらまた増えてるんだよな」
「それ、根本的な解決になってないぞ」
「……だから困ってんだよ」
晴也はじっと凌生を見つめた後、部屋の中へと足を踏み入れる。そして、本棚の前で立ち止まり、積み重なった書類の束を指差した。
「これは?」
「課題用の資料」
「で、これは?」
「うーん……昔のテスト?」
「これは?」
「……何かの説明書?」
晴也が次々とモノの用途を聞いていくと、凌生は次第に答えに詰まるようになった。そして、ついに「いや、わかんない」と白旗を上げた。
「つまり、お前の部屋が散らかる原因は、『何を持っているのか分からなくなる』ことだな」
「そ、そうなの?」
「そうだ。持ち物を把握できていないから、整理もできないし、不用品も適切に処分できない」
「なるほど……」
「だからまず、整理整頓のルールを決めろ。例えば、1年以上使っていないものは処分する、とか」
「うっ、それキツい……」
「そうしないと、同じことの繰り返しだぞ」
凌生は難しい顔をしながら、自分の部屋を見渡した。確かに、どれも「とりあえず取っておいた」ものばかりだ。使うかもしれないと思って保管していたが、実際に手に取ることはほとんどなかった。
「……よし、分かった、分かりました。やってみる」
「まずはいるものといらないものの仕分けからだな」
「え、てか手伝ってくれるの?」
「当たり前だろ。このままじゃ、シェアハウスの廊下が凌生の倉庫になっちまう」
晴也が当然のように答えると、慎一も「俺も手伝うわ」と言って部屋に入ってきた。
「本当? ありがとう」
こうして、凌生の部屋の大整理が始まった。晴也のアドバイスを受けながら、「1年以上使っていないもの」「必要なもの」「捨てるもの」に分類していく。
「この服、もう着てないんじゃないか?」
「うっ、確かに……でも高かったし……」
「じゃあ売れ」
「そ、そうか!」
「この書類、もう不要だろ」
「あ、確かに……」
「じゃあ捨てろ」
「は、はい!」
晴也の的確な指摘により、凌生の不要なモノはどんどん処分されていった。慎一も「これ、いるのか?」と問いかけながら、整理を手伝う。
「すげぇ……めっちゃスッキリしてきた……!」
「これを維持できればな」
「そ、それなんだよな……」
凌生がしょんぼりすると、晴也は「習慣にするしかないな」と言った。
「例えば、毎日5分だけ片付けの時間を作る。寝る前にデスクの上だけでも整頓する。それだけで、かなり違うぞ」
「5分なら、できるかも……」
「いや、やれよ」
「う、はーい」
こうして、凌生は片付け迷子から一歩前進することになった。とはいえ、まだまだ油断は禁物だ。慎一が小さく笑いながら、こう言う。
「とりあえず、今回の片付けが無駄にならないようにしろよ」
「おう、任せろ!」
自信満々に言う凌生を見て、慎一と晴也は顔を見合わせる。
「本当に大丈夫か?」
「……多分?」
二人の不安げな視線を受けながらも、凌生は新たな決意を胸に、散らからない生活を目指すのだった。