Heat Vs Cold
三月もそろそろ終わりかけ。春の足音は聞こえているはずなのに、まだ冬の冷たさが残る季節。朝晩は気温がぐっと下がる。特にこのシェアハウスのリビングは広いせいか、なかなか暖まらない。
「……寒っ……」
ソファに座り込んだ安堂凌生は、小さく震えながら毛布にくるまっていた。彼の周りにはすでに電気ストーブが二台、フル稼働している。リモコンを握る手が動くと、エアコンの温度設定がまた一度、上げられた。
リビングに響く「ピッ」という音。その瞬間、キッチンの方から明らかに不満そうな声が飛んできた。
「おい、また温度上げただろ」
コップに水を注いでいた井田晴也が、じろりと凌生を睨む。彼はすでにTシャツ一枚で、手には団扇。明らかに暑そうだ。
「だって寒いんだから仕方ないだろ。まだ冬だぞ?」
「いや、もう三月。外は陽が出てりゃ春の気温だし、部屋の中でそんなに着込むから余計寒く感じるんだよ」
「はぁ? この薄着で寒くない方がどうかしてるんだよ」
凌生は文句を言いながら、さらに毛布を巻き付けた。その姿はまるでミノムシのようで、むしろ少し暑そうにさえ見える。
「なんでお前みたいな暑がりがいるんだよ……俺は凍え死にそうなのに……」
「なんでお前みたいな寒がりがいるんだよ……俺は熱中症になりそうだわ……」
二人は睨み合ったまま沈黙した。エアコンの温風がふわりと流れ、凌生はほっと息をつく。一方で晴也は、耐えられないとばかりに団扇で勢いよく仰いだ。
リビングのソファやダイニングテーブルには、他の住人たちが集まり、息をのんでこの攻防を見守っている。
「……始まったな」
沢弥隼哉が、コーヒーを片手に呟いた。隣に座る高宮慎一が小さく頷く。
「どっちも譲らねぇもんなぁ……」
その隣では、鳴渡颯が少し身を乗り出している。
「俺、晴也に氷持ってこようか?」
「いや、凌生の電気毛布のコンセント抜いた方が早いだろ」
二人が小声で作戦会議をしている。慎一は苦笑しながらも、どちらかが倒れたらすぐに助けるつもりなのか、手元にスポーツドリンクとブランケットを用意していた。
「……マジで無理」
晴也はそう言うと、ずかずかとエアコンのリモコンを奪い、容赦なく温度を下げた。
「ちょっ、お前!」
「うるせぇ、俺が死ぬ!」
ピッ、ピッ、ピッ。
温度は下がる。
「やめろおおおおおお!!」
凌生は絶叫しながらリモコンを取り戻し、再び温度を上げる。
ピッ、ピッ、ピッ。
「ふざけんな、俺がやられる!!」
また晴也がリモコンを奪う。
ピッ、ピッ、ピッ。
「さーむーいー!!」
その瞬間、颯が「やば、行くか?」と立ち上がろうとしたが、隼哉が「まだいける」と手を挙げて制した。慎一も「今助けに入ると火に油を注ぐことになる」と冷静な分析をしている。
お互いに譲れない戦いが続く中、ついに凌生が新たな武器を持ち出した。
「……もういい、俺はこれで対抗する!」
そう言って凌生が持ち出したのは、電気毛布。コンセントを差し込んで、最高温度にセットする。
一方、晴也はキッチンへ向かい、冷凍庫から氷を取り出した。そして、グラスに氷を入れた水を一気に飲む。
「ぷはぁ……涼しい……」
「おい、見せつけるな!」
「お前こそ、そんなにくるまってると動けなくなるぞ?」
「それでもいい……俺は暖かさを手放さない……!」
凌生はさらに毛布に潜り込む。しかし、その様子を見ていた隼也がついに重い腰を上げた。
「もういいだろ、凌生。熱中症になるぞ」
「でも……」
「晴也、お前もだ」
そう言われて改めて自分の状態を確認すると、サブいぼが立っていた。一方、凌生も毛布の中で暑さにやられつつあった。
「……わかった。じゃあ、せめて二十三度にしよう」
晴也が少し考えるような仕草をし、渋々頷く。
「……まあ、それなら」
こうしてようやく、エアコンの温度は中間の二十三度で落ち着いた。
「決着か……」
颯がポツリと呟き、隼哉が「いや、次の季節になったらまたやるだろ」と肩をすくめる。大翔も「だろうね」と小さく笑った。
リビングには静寂が戻る。
しばらくして、キッチンの方から慎一の呟きが聞こえた。
「最初からそうすればいいのに……」
だが、二人の耳には届かなかった。