食べ物の恨み
シェアハウスのリビングには、気まずい沈黙が流れていた。
隼哉と大翔が向かい合って座り、どちらも口を開かない。いつもは軽口を叩き合う二人の間に、今は冷たい空気が流れている。
「え、珍しくケンカ?」
様子を見ていた颯が、驚いたように尋ねる。
「どうせゲームの順番抜かしとか、大翔がボコボコに負かされてキレたとか、そんなんだろ?」
「違う」
珍しく即答する大翔。
「え、違うの?」
「……隼哉が、俺の楽しみにしてたお菓子を食べた」
「……は?」
拍子抜けした颯が思わず聞き返す。
「だから、俺が買っておいたお菓子を、こいつが勝手に食べたんだよ」
「うーわ、……食べ物の恨みは怖いぞ?」
颯が冗談めかして言ったが、大翔の表情は冗談では済まされないほど険しかった。
「いや、俺だって腹減ってたんだからしょうがないじゃん!」
「お前、それ、火に油を注いでるじゃん」
「同じの買ってくるから、それでいいだろ!」
「もう売ってないよ。期間限定だったから」
「……え?」
隼哉の動きが止まる。
「いやいや、だって最近見た気が……」
「一昨日で販売終了だったんだから」
頬を膨らませながら言った大翔に決定的な事実を突きつけられ、隼哉は呆然とした。
「……マジで?」
「マジ」
「……うわ、やっべ」
さすがに申し訳なさそうな顔をする隼哉だったが、大翔はまだ不機嫌なままだった。空気が悪くなり、颯はそろそろこの場を退散しようかと考え始めた。
そのとき——
「ただいま」
玄関の扉が開き、晴也が帰ってきた。
颯は心の中でガッツポーズをした。救世主登場である。
晴也は手にビニール袋を持っていた。どうやらランニング帰りらしい。
「お前ら、何してんの?」
「いや、ちょっと……」
隼哉が言いかけたその瞬間、颯の視線が晴也の手元に留まった。
「……待って、それ!」
「ん?」
晴也が袋の中を覗き込む。
「公園でたまに一緒になるランニング仲間の人が、よかったらってくれたんだけど……」
袋から出てきたのは——
「これ……!!」
大翔が立ち上がり、隼哉が食べてしまった“期間限定のお菓子”を指さした。
「え、マジで?」
隼哉も目を丸くする。
「なに、お前らこれ知ってるやつ? 有名なのか?」
事情を知らない晴也が首をかしげると、隼哉が勢いよく晴也に飛びついた。
「お前はやっぱり俺の救世主だー!!」
「えー、気持ち悪い」
一瞬で引き剥がす晴也。
「いや、でもマジで助かった! 大翔、これ食べろよ!」
晴也が袋ごと大翔に渡そうとするが、大翔は受け取らなかった。
「……皆で食べよう」
「え?」
「俺、皆で食べたかったんだよ。でも、隼哉が一人で食べちゃったから……それが許せなかった」
ぽつりと呟く大翔に、隼哉は少し気まずそうに頭をかいた。
「……悪かった、ごめん」
「いいよ。だから、今度は皆で食べよう」
「……ああ」
隼哉が頷き、晴也と颯も一緒にテーブルを囲む。
袋の中には、小さなパイ生地の焼き菓子がたくさん入っている。バターの香りがふわりと広がり、外側はさっくり、中はほろほろとほどけるような口当たり。上には粉砂糖がまぶされており、甘さと香ばしさが絶妙に調和していた。
「……うまっ」
口に入れた瞬間、皆がほぼ同時に呟く。
「これ、本当に期間限定? ……もったいねぇ」
「来年も出るといいな」
「そのときは、俺が先に買い占める」
「やめろ」
いつものように笑い合いながら、彼らはそのお菓子を分け合った。
シェアハウスのリビングには、甘くて優しい時間が流れていた。




