桜の花が舞うころ
春の陽気な日差しが、シェアハウスの近くの公園に降り注いでいた。桜の花が満開になり、風に揺れる花びらが空を舞う中、安堂凌生は一人ベンチに座り、ぼんやりと桜を眺めていた。
「凌生。何してんだ?」
突然、井田晴也の声が背後から響く。振り向くと、晴也が軽く手を挙げて歩いてきていた。
「あ、晴也。別に、特に何もしちゃないよ。桜がきれいだなって思ってさ」
凌生はちょっと照れたように笑いながら答える。晴也もその笑顔を見て、自然に隣に座った。
「ほんと、きれいだ。春って感じがする」
晴也は桜の花びらを軽く手で払いながら、空を見上げた。少しの間、2人は言葉を交わさず、ただ花が舞うのを眺めていた。
「晴也、なんで桜ってこんなに日本人が好きなんだろう」
凌生がふと口にしたその言葉に、晴也は肩をすくめる。
「なんか、春の象徴みたいなもんじゃん? 桜って毎年ちゃんと咲くし、散るのも早いけど、それがまたいい、みたいな。潔くてさ、ちょっと切ないけど」
晴也はそう言って、桜の花びらを指で触れた。
「それで、その潔さってのが、逆に心に残るんだよ。あっという間に散っちゃうからこそ、余計にきれいに見えるというか」
「うーん、なるほどな」
凌生は少し黙った後、また晴也に目を向けた。
「俺、桜見てるなんか落ち着くんだよ。なんかほっとするというか…子供の頃のこと思い出すからかな」
晴也は少し驚いたように凌生を見た。
「へぇ、凌生がそんなこと言うなんて意外だな。何かあったの?」
「別に、大したことじゃないけど…子供の頃、家の近くに大きな桜の木があって、毎年そこで母親と一緒に桜を見てたんだ。あの時の光景とか匂いが今でも残ってる」
「それ、めっちゃいい思い出じゃん」
晴也は穏やかに笑う。その笑顔に、凌生は少しだけ安心したように肩の力を抜いた。
「まぁ。でも、もうあの頃とは全然違うし」
「でも、毎年桜が咲くたびに思い出せるって、なんか嬉しいことじゃないのか」
晴也が言ったその言葉に、凌生はうん、と軽く頷く。
「うん、そうだな。でも、桜ってやっぱどこか切ない。咲いてもすぐに散って、そんでまた来年って感じで」
「それが桜の魅力じゃないかな。散っている時の儚さがまたいいんだよな」
晴也は桜の花びらを指で摘み取り、少しだけ微笑んだ。
「まぁ、そうだな。でも…それにしても、毎年こうして桜を見に来ちゃうってのもそういうことなんだろうな」
「うん。だから、来年もその次も、また桜を見に来よう」
凌生は少し照れたように言った。それに、晴也も自然と笑顔を浮かべた。
「うん、絶対な」
その後も2人は桜の下で静かな時間を過ごした。花びらが舞い散るたびに、ふたりの間には穏やかな空気が流れ、何も言わなくてもお互いの存在を感じていた。
春の桜が、また一つの大切な思い出として、二人の心に刻まれるのだった。