風邪っぴき
三月のある日、シェアハウスの一室で沢弥隼哉が高熱にうなされていた。
「バカは風邪引かないんじゃなかったのかよ……」
ベッドの傍らで鳴渡颯が呆れたように呟く。だが、その表情には明らかに焦りが混じっている。彼の隣では、桜間大翔も腕を組んで難しい顔をしている。
「……うーん、隼哉、結構しんどそうだな」
「だろ? さっき測ったら38度超えてた」
颯が持っていた体温計を見せると、大翔が「おお……」と眉をひそめる。その反応に、颯も動揺を隠せない。
「いや、こんなに弱るタイプだったんだな。もっと『風邪とか気合で治す』とか言うと思ってた」
「うん、だからこそ逆に怖いんだよ……」
二人がオロオロしていると、背後からぱたぱたと足音が近づいてきた。
「はいはい、どいたどいた。病人に必要なのは看病する人間であって、狼狽える奴じゃないから」
その声と共に、安堂凌生と高宮慎一が手際よく部屋に入ってきた。凌生は手にスポーツドリンクとタオルを持ち、慎一は冷えピタと替えの寝間着を抱えている。
「凌生、慎一……」
颯と大翔はほっとした表情で道を開けた。
「よし、まずは水分補給だな。隼哉、起きられるか?」
凌生が優しく声をかけると、隼哉が薄く目を開けた。額には汗が滲んでおり、息遣いも荒い。
「……ん……」
弱々しく頷くのを確認し、慎一が隼哉の肩を支えてゆっくりと上体を起こす。その間に凌生がストロー付きのボトルを口元へ運んだ。
「ゆっくりでいいから、少しずつ飲め」
隼哉は言われるままに、喉を潤すようにゆっくりと水分を摂る。
「よし。汗かいてるし、替えの服もあるから着替えよう」
「タオルも用意したから」
二人は息の合った手つきで隼哉をケアしていく。颯と大翔はその様子を見守りながら、ひそひそと会話を交わした。
「すげぇな、あの二人……」
「うん、なんかもう病院の人みたい……」
そんな二人の背後を、無言で通り過ぎる影があった。
井田晴也だった。
彼は手に何かを持っていたが、それを悟られないようにそっと隼哉の枕元へ置き、何事もなかったかのように部屋を出て行った。
「え、何か置いていったな。なんだろう?」
颯が気づいて尋ねたが、大翔が首をかしげる。
「んー、よく見えなかった……」
そうこうしているうちに、隼哉は再び深い眠りに落ちた。
―――――
翌朝。
熱が少し下がった隼哉は、ようやく意識をはっきりと取り戻した。
「……ん……」
ぼんやりとした視界の中、枕元に何かがあるのが見えた。
「……これ、なんだ……?」
手を伸ばし、そっと拾い上げる。
それは、コンビニの袋だった。
中を覗くと、隼哉の好きなフルーツゼリーと栄養ドリンクが保冷剤で包まれていた。そして「早く治せよ」と雑に書かれたメモが入っていた。
メモの筆跡は見覚えがある。
「……晴也、か……」
隼也は小さく笑った。
普段ぶっきらぼうな男が、わざわざこんなものを用意するなんて、よほど心配してくれたのだろう。
「……ありがと……」
隼也は静かに呟き、手の中のゼリーをぎゅっと握りしめた。
風邪で寝込んでいた隼哉がようやく完全に回復したのは、3月の終わりが近づいた頃だった。最初は高熱にうなされて、シェアハウスの仲間たちに心配をかけていたが、今ではすっかり元気を取り戻していた。
「元気になってよかった」と、凌生がにこやかに声をかけると、隼哉は軽く頷きながら笑った。
「おかげさまでな。ありがとう、みんな」そう言って、隼哉は改めて自分の回復を祝うように、手を広げてぐーっと伸びをした。
「なあ、晴也!今日はお前にお礼をしようと思うんだけど」
大学に向かう道すがら、準哉は晴也に言った。
晴也は少し驚いたように振り返り、「お礼? 何だよ、急に。」
「お前、あのゼリーくれただろ。あれ、ほんとに助かったんだ。だから、ランチ奢らせてくれ」と、隼哉はやや照れくさそうに言った。
「ランチ?」
「いいから、いいから。素直に受け取れって。」
隼也は軽く肩をすくめながら、晴也に向かって手をひらひらと振った。
学食に到着すると、隼哉は迷うことなくカウンターへ向かい、食券機で食べたいものを選んでいた。
「何にする?」隼哉が質問すると、晴也は少しだけ悩んだ後に、「カツ丼。」と言った。
隼哉は、少し誇らしげに「おお、いい選択ー。」と言いながら、カツ丼の食券を二枚購入した。
待つ間、2人は席に着き、食事を待った。しばらくして番号が呼び出され、熱々のカツ丼がテーブルに運んだ。ふわふわのご飯に、サクサクのカツが乗り、上から特製の甘辛いタレがたっぷりとかけられている。ほんのりと香ばしい香りが食欲をそそる。
「いただきます!」と、隼哉は元気よく箸を取った。
一口食べて、隼哉は満足そうにうなずいた。
「うん、やっぱりここのカツ丼は最高だな。」
晴也もその味に頷きながら、「確かに、うまいな」と微笑んだ。
二人は無言で食べ進めながら、お互いに時々視線を交わし、軽く会話をする。
「……お前、あのゼリー、ありがとうな。すごく嬉しかった。」
隼哉は、箸を持ちながら少し照れくさそうに言った。
晴也はその言葉を聞いて、ほんの少しだけ頬を赤くした。
「別に、気にすんな。ただのゼリーだし。」
「でも、あれでだいぶ元気出たんだよ。実際、あの時お前がくれたやつで、夜はちゃんと眠れたし、朝も食欲が出てきた」
隼哉は目を輝かせながら続けた。
「だから、感謝の気持ちを込めて、今日のカツ丼があるっていうことだ」
晴也はその言葉を聞いて、少しだけ考え込むような表情を見せたが、やがて微笑んで頷いた。
二人はそれから、楽しくランチを食べ続けた。カツ丼のボリュームはなかなかのもので、晴也も隼哉もお腹いっぱいになるまで食べ続けた。




