恋の経緯① 花武皇子Side
あれは昨秋のこと。
金木犀の香りが漂う御咲の国は、爽やかな秋の風が吹いていた。
御咲の国の賭場に私はいた。
私の妃候補の序列が決まったと柳武皇子に耳打ちされたのは、昨年の夏の終わり頃だった。
私は秦野谷国の皇子花武だ。柳武が私に妃候補の序列を囁いたのは、夏の終わりと言っても、ちょうど私が24歳の誕生日を迎えた頃だった。現在40歳で独身を謳歌する柳武皇子は私の従兄弟だ。年齢は離れているが、柳武とは良き親友だ。
世継ぎの私は隣国の全ての動向を把握する必要があり、来る秋に向けて御咲の国への潜行の準備を進めていた頃だった。
昨秋の潜行には、隣国の激奈龍と羅国側に不穏な動きを察知したのもあるし、私自身が御咲の国の鷹宮にそっくりだという噂があり、この目で確かめようと思ったといった目的が元々あった。
数ヶ月前の昨春には羅国への潜行を私は済ませていた。何かと騒がしい劇奈龍への潜行は認められないが、平和で穏やかな御咲の国への潜行は認められていたのだ。
蒸し暑い夜に氷の枕で涼もうとしていた私は、柳武が囁いた私の妃候補の名前に私は驚愕した。
何だって!?
私の妃候補の序列の頂上に君臨するのは、隣国の噂の今世最高美女だった。
私の妃候補であるという事は秦野谷国の未来の皇后候補である。未来の妃選抜の命を受けた宰相があちこちに指令を飛ばしているのは知っていたが、蓋を開けてみれば、隣国である御咲の国の夜々の家の邑珠姫が妃候補の頂点に選ばれていた。
えっ!
あの噂の今世最高美女が!?
なぜ?
どうして私の妻にっ!?
うわずる心とは裏腹に冷静な表情を保とうとする私に、柳武が「どれだけ美しいか此度の潜行で見てこいよ」と囁いた。
私は顔が真っ赤になった。
た、た……確かに気になる……!
だが……彼女に会えるだろうか?
鷹宮妃選抜の儀がとりこなわれている御咲の国を横目に見据えながら、私の国の秦野谷国の妃探しも密かに行われていた。
秦の術という高度な術を操る我が国の極秘情報では、今世最高美女は法術に長けているという。御咲の国は、秦の術はおろか法術を操れるものには妃の資格がないとされている。国政に怪しげな術を持ち込まれたくないという真っ当な理由からだ。
我が国には妃の条件に御咲の国のような法術禁止事項はない。夜々の家の邑珠姫が妃候補失格である極秘情報と、ここにきて決定打となる情報を柳武は私に耳打ちした。
「鷹宮はどうも元々ぞっこん惚れている姫がいるらしい。御咲の皇后も皇帝もそのことに手を焼いているらしいが、鷹宮の方は絶対に譲らず、その姫に本気だ」
鷹宮は他の姫に惚れているだとっ!?
ならば、妃候補失格の情報を伝えずとも、今世最高美女は鷹宮とは距離があるとうことだな……。
こういった妃選抜の裏情報は極秘情報だ。民はおろか各家々にも絶対に降りてこない情報だ。御咲の国ではなく隣国の我が秦野谷国の皇帝一族の方が情報を手にしやい。我が国の察子があちこちに仕込まれているからだ。
この時点で、私は鷹宮がそこまでして夢中になっている姫のことも気になり、いろんな意味で御咲の国への潜行への期待は高まった。劇奈龍、羅国も、御咲の国に潜入して情報を集めていたのは間違いなかった。
巨大な国を巡る思惑は色々ある。
隙あらば自分の手中に収めたいと思う皇帝もいるだろう。
この時、もう一つ重要な情報を柳武は私に囁いていた。
柳武は今回潜行には付き合う事はできない。流石に皇子2人共が他国に潜行するのは決定的な何かがなければ無理だ。認められない。
そういう意味では、御咲の国に仕掛けられた天蝶節の企みは決定的なものであり、私と柳武の御咲の国訪問が認められていたということになる。
潜行を前にして、今世最高美女が私の妻になる可能性に密かに胸の高まりを抑えきれない私に、柳武は激奈龍の愚息の噂を囁いた。隣国で危ない思想を持つ皇帝とその世継ぎについて、彼は自分の自説を私に説いたのだ。我が祖国を守るためには大切なことではある。
「隙あれば隣国を攻め落とそうとするあやつを蹴落として、もっとましな奴を激奈龍の皇帝に据えるべきだ。力はあるが、闇雲に隣国に攻め入りるような愚かな思考は持たない者が良い。そういう者が激奈龍にいるならば、我が祖国を守るために皇帝の座に誘導するのも手だ。楊飛は絶対にダメだ。いずれとんでもない騒ぎに我が国も巻き込まれる。この際、やつを引きずり落とそう」
そうだ。
私と柳武から、我が父である秦野谷国の皇帝に伝えられた激奈龍への皇帝引き下ろし計画であり、これは大筋で承認されていた。
ただその時は、方法も新たな皇帝候補も見つかってはいなかったが。
そんな中、金木犀の香りが芳しい御咲の国で、秋風に吹かれる秋桜の花を愛でながら私はあちこち歩き回っていた。
そして秋の気持ちの良い夜、私は友の者を従えて御咲の国の賭場にきていた。
賭場にはありとあらゆる国から流れ着いた者たちがたむろしている。
潜行したとて、御咲の極華禁城に入れるわけもなく、夜々の家の邑珠姫の顔を見る事は愚か、一目会うことも叶わなかった。
認めよう。
やけ酒を飲みたい気分でもあった。
彼女に一目でも会いたい気持ちが日に日に大きくなっていたのだ。
その日の夜は、隣の席にイカサマ師にぼったくられている若者がいた。
品は良い。だが、そこまで賭け事は得意ではないのに、恵まれた資産家の家に生まれたらしく、自信過剰に思い切った札を繰り出しては、イカサマ師の思うがままにぼったくられていた。
隣でぼったくられている秀麗な顔つきの若者は、明らかに高貴な家のものだろうが、よく聞いていると言葉の端々から激奈龍の者だという事は分かった。俺と年齢はあまり変わらないように思った。
酔った若者に名前を聞くと、いささか呂律の回らない様子で答えてくれた。
「蘭飛」
俺についてきていた、激奈龍への潜行経験が豊富な察子である月雲が俺に耳打ちした。
「不遇な蘭飛皇子」
これがあの蘭飛?
激奈龍の皇帝が側室の子で虐げられているという蘭飛皇子か?
側室は既になくなり、出世の道も閉ざされていると聞いている。
今のままではこの哀れな若者は世継ぎには決してなれないはずだ。激奈龍の世継ぎは愚息だという噂が囁かれている、彼の異母兄弟の楊飛皇子なのだから。
横で負け続ける23歳の不幸な生い立ちの蘭飛皇子を私はじっと観察した。
「かなり負けているけど、大丈夫なのか?」
俺は気楽に声をかけた。俺はイカサマ師の餌食にはならない。目的は情報収集なのだ。派手な事はできない。
「あぁ、いっそここで死にたいな」
「なんでそんな」
「あんたには分かんないけど、俺の目の前にはくそムカつく奴がいてな。そいつが生きている限り、俺が報われる道がない」
ははん、愚息と名高い楊飛皇子のことか。
「そいつのどの変が一番許せないのだ?」
「隣の飯に無闇に手を出すのは愚かだろ。相手が許すわけがあるまい」
あぁ、例えば御咲とか?
俺の国である秦野谷国とかな。
分かるよ、それは愚かな事だ。
「俺は争いは嫌いだ。皆が平和に暮らせればそれでいい。集団が徳をしようとしても、別の集団で傷つくだろう。傷ついた方は反逆する。いいことは決してない」
あぁ、柳武、誰を劇奈龍の皇帝に据えるべきか何となく分かった気がする。
こいつは苦労した分、馬鹿ではない。
「お前、義理堅いか?」
「あぁ、一応な」
「死にたいと思うような環境を変えてやる。そのかわり、今世最高美女には手を出すな。そしたら、あんたのそのクソ野郎を何とかしてやろう」
「は?」
「約束だからな。お前が負け続けている銀子は全部払ってやる。ここでこの賭けから降りろ。今後二度と賭場には近づくな。約束は守れよ」
その後、私は蘭飛とは何度か話した。行け好かない所はあるが、隣国に手を出す気は一切無い点で柳武も蘭飛を押すことは了承した。
天蝶節の企みは分かったが、蘭飛ですら計画の全貌は分からないことが多かった。楊飛が宦官として宮廷に潜入したというのは、蘭飛ですら知らない極秘情報だった。
私も宦官の秦山が楊飛とは、最後の最後までまで分からなかった。




