さよならの季節① 夜々の家の邑珠姫Side
真っ白い雪が薄く積もる極華禁城は儚げでとても美しかった。
私は長年ずっと頑張ってきたことを台無しにしようとしていた。
鷹宮さまの妻になりたいと懸命に精進してきた年月を何もかも全て捨て去ろうとしていた。
バカな事をしている自覚はあるわ。
手が震えてくるじゃない。
私の生まれ育った御咲の国が、このままひっくり返されるのを見ていられないのよ……。
だって、私は隠法術使だから。
私の本質の姿は醜いだろう。目に見える姿形は今世最高美女かもしれない。
だが、私の本性は気味の悪い得体の知れない法術にのめり込んだ娘……。
父上、母上、本当にごめんなさい。
「清宮に向かっているわ!」
爛々の優琳姫が指差す先には五色の兵が皇帝の居住である清宮に向かっている姿があった。
私は清宮に先回りしようと急いだ。
法術で空を飛ぶことを一目にさらすのは初めてだ。
「邑珠姫、薄餅は食べてくれたか?」
花武皇子が私の耳元で囁いた言葉に、私はハッとした。
「あの文はやはりあなたが!?」
うなずく花武皇子に私は言葉を失った。
「だ、だ……だってあの文と薄餅は昨夜、私の寝室の枕元に」
「そうだ」
あぁ、私の寝室に昨夜いらしたということね?
他の姫がいるのでうまく言えない。
私は言葉にならない思いが胸につかえてきて無言になった。言葉が出ない。
「そうだ。邑珠は泣いていたな?だが、可愛かった」
私に寄り添うように近づき、誰にも聞こえないほどの声で囁かれた。彼の胸板は広くて逞しくてクラっとくるような男性の香りがした。
包み込まれそうな引力を私が感じてしまう彼は、私の顔を覗き込んでいる。
あぁ、このお方は私を揶揄っていらっしゃるのね?
きっとそうだわ。
美梨の君を想って泣いていた私が可愛いわけがない……。
私は胸が震える想いだった。
だって……鷹宮さまに選ばれず、想うことも許されない美梨の君に1人片想いして。
暗い夜の闇の寝床で、殿方を慕って泣いていたのを見られていたなんて。
辛すぎる。
「薄餅を食べてくれたなら大丈夫だ。君は今世最高美女だが、同時に今世最高に勇ましい姫だ。あの薄餅は君が雅羅減鹿の餌食にならないために差し入れしたんだ。君の美しさを見た敵が邪な想いを抱いて君を食い物にする可能性があったんだ。文は見ての通り、秦の術を仕込んで君を守るようにしてあった」
私は身が縮こまるような思いを抱いた。
「あ、ありがとう。でも。勇ましいって法術のことなら、これは恥ずべき姿だから。高貴な姫は……鷹宮さまのお相手に選ばれるような姫としては……妃としては許されない資質だから」
私は歯を食いしばって溢れる想いに耐えた。
泣くな。
みっともないわ、邑珠。
「でも、だからって時鷹さまや皇帝や鷹宮さまが敵に襲撃されるのを黙って見ていることなんて出来ないの」
私はきっと花武皇子を見た。
「これは、私が妃に相応しくないと国中の者に証明する行為なのよっ!揶揄わないで」
私は思わず愛おしいと言った表情で頭を撫でられた。苦いような悲しいような嬉しいような優しい眼差しで私を見つめる花武皇子は、黙ってうなずいた。
「うん。分かっているよ」
私の頬に触れるほどに近寄った?
あの暗闇で私のすぐそばにいたのはこのお方?
私が美梨の君に恋焦がれて泣いて悶えていたのを、見ていらしたの?
さぞ、醜いみっともない女だと思ったでしょう?
私が『みり……』と言って暗闇に手を伸ばして、美梨の君を恋しがって泣いていたのを見られていた。
今世最高美女の私は無駄に気位が高い。
胸につっかえてくる思いが涙に変わって溢れた。
うぅっ。
情けない。
「泣くな。私がいるではないか」
私の頬を伝った涙をそっと指先で拭ってくれた花武皇子は鷹宮さまそっくりの透き通るような瞳で、だがより大人っぽい声音で私に囁いた。
っ!!
「慰めていらっしゃるの?」
私は睨むように花武皇子を見た。
「おぉ、そんな怖い顔をするなよ。私は邑珠が好きだ。君の全てを愛おしく想う。そんな気持ちは初めてだ。本気だ」
私は煌めく銀髪と凛々しく美しい顔を見つめた。
なんなの?
本気で言っているの?
「薄餅なら食べたわ。懐かしい落ち着く優しい味がしたわ」
私の言葉に花武皇子はこの世の何よりも美しいものを見たような表情で笑った。
き、きれい……。
胸の奥がキュンとした。
お腹の奥も。
彼はなぜこんなにも私を愛おしそうに見つめるの?
私はみっともない姫よ。
私は唇を噛み締めて清宮を見据えてまっしぐらに降りた。
先帝は普段は宮廷に住んでいないが、今日は現皇帝の誕生日なので清宮か養宮のいずれかにいらっしゃることであろう。
まずは皇帝の無事を確かめよう。
松羽宮から柳武皇子と見られる人が、お付きの者たちと急いで清宮の方向に向かっているのが見えた。
「柳武、遅いな。柳武は秦術の権威なんだよ」
私たちは清宮にほんのわずかに早くに着いたと思った。五色の兵はすぐそこまで迫っているはずだが、まだ辿り着いてはいないはずだ。
「あちらよっ!」
優琳姫と呵楪姫が清宮の中にまっしぐらに突進した。私は清宮の門を守る衛兵に声をかけた。
「私は西一番の夜々の家の邑珠!激奈龍の襲撃よ!皆構えなさい!今日は五色の兵は敵よ!」
清宮の入り口にあるはずの緊急を告げる狼煙を一気に法術で上げた。これで極華禁城は清宮に上がった紫色の鮮やかな狼煙を見て、敵の襲撃を察知したはずだ。
ただ、鷹宮の兵である五色の兵が敵の法術にかかっているとは、どう知らせるべきだろうか。
方法がないわ。
私は皇帝に知らせなければと、優琳姫と呵楪姫の後を追って清宮に入った。既にあちこちに倒れている宦官が5人ほどいたが、彼らは既に息絶えていた。
まずいわ!
走って進むと、倒れた者の弓矢を手に取った優琳姫と呵楪姫が襲いかかる敵に矢を放っているところだった。
だが、優琳姫と呵楪姫は馬乗りされ、床に押さえつけられた。
2人の姫の悲鳴がこだました。人生で初めて襲われる恐怖を味わっただろう。
「きゃっぁっんっ」
「やめなさいっ!」
「乱暴狼藉はやめなさいっ!」
後ろからやってきた花武皇子から立体文字が放たれて、姫たちを押さえつけていた輩を払い退けた。
私は走った。
ひたすら走った。
永鷹さまと時鷹さまはどこ?
白玉のように体格の良くて体の丸い優琳姫は自分の衣を裂いた敵に平手打ちをした。呵楪姫は自分の衣を引き裂いた敵の急所を蹴り上げた。
だが、その時だ。
「みんな襲われれば良かったのに。男を知らないでしょ」
それは、清宮にいるのがあり得ない姫だった。
美貌と気立の塩梅が絶妙で最高だと謳われた、妃選抜の儀第二位の茉莉姫が、私たちの目の前に姿を現した。
冥々の茉莉姫!?
茉莉姫は遊郭の遊女にしか見えなかった。宝石をふんだんにつけているのに輝きがない。
「ま、あり……?」
「えぇ、ゆじゅ。久しぶり」
私に艶っぽく微笑んだ彼女は小さく頷いた。優しい眼差しで私を見つめた。
人を狂わせてしまうほどの恋というものがこの世には存在する。
茉莉姫は白魚のような手を空中に漂わせて、見えない琴を弾き始めた。
その途端、私の体の中で何かが踊り狂うような感覚に陥った。
「うぅっおぉっんあぁん」
私は苦しみ、もがいて床に四つん這いで思わず倒れた。
「やめろっ!彼女に何をしたっ!」
隣で花武皇子が茉莉姫に向かって飛びかかったが、跳ね除けられた。茉莉姫は花武皇子の方をよく見ていない。
「あなたは美梨が好きなの?ふふっ……私が殺し損ねた美梨があなたは好きなのね?」
茉莉姫は美しい笑みを浮かべて、私を踏みつけた。
私の入内は予期せぬ展開になった。




