恋の矢① 夜々の邑珠姫Side
春の桜の蕾は雪に隠れたようだ。
私は侍女2人が私の支度をしているのに身を任せて考えていた。
どこかに消えてしまいたいと思う……。
惨め。
生きてはいられない……。
誰にも話せない、傷ついた気持ちをひた隠してきた。
長く美しい髪を靡かせて、今世最高美女である自負心を胸に、つんとすました顔の奥で耐えがたい思いを隠してきたが、美梨の君の存在に気づいた時から、世界は耐えられる環境に変わった。
涙が密かに溢れ出てしまう。そういう夜は密かに続いたものの、美梨の君の存在が心の支えになっていたのだと思う。
だが、今は…。
暸寿にせき立てられるように支度をしてもらいながら、私の心の中は花武と名乗った美しい若君のことでいっぱいだった。
暸寿と汐乃は私の支度をしている間、ずっと涙目だった。時折り涙を拭きながら支度をしてくれていた。
前宮から出てしまったことを咎められ、私が選抜の儀を失格になることを恐れて泣いているらしい。
でも、ごめんなさい。
今や、もはやそんなことはどうでもいいのよ……。
鷹宮さまをお慕い申し上げた年月が長かったから、そっくりな若君に惹かれてしまうのかしら?
そうなの、私?
でも、もうそうであってもいいわ……。
私は開き直った。
お化粧もされ、髪も綺麗に結いあげられて衣も贅沢なあつらえの衣装に着替えた。朝食も食べた。
「落ち着きましら、一体何があったのかお話してくださいませんか」
私が食べ終わった途端に、ジリジリとにじり寄るようにして汐乃と暸寿が迫ってきたが、私は首を振った。
「まだ話せないわ」
花蓮姫は赤い竜の主だ。あの様子ではきっと激奈龍を成敗しに行ったはずだ。
法術は花蓮姫には効かないはずよ。だから、大丈夫。だから……。
少しでいいから秦野谷国の皇子であると思われる花武皇子のことを考えさせてちょうだい……。
私のことを『私の妻になる人』と呼んでくれた唯一のお方なのだから。
切なくて胸が痛くなったが、私は滲む涙を拭った。私の心は振り子のように揺れていた。
だめよ、だめ。
どうせまた裏切られるなんて思ってはダメ。
でも、鷹宮さまは私をお選びにならなかった……。
舞い上がっってはだめよ。
花武さまに私が心を寄せても、きっと無駄……。
すぐに惨めな思いが私の心をよぎるのだが、私は頑なにそれを認めまいと思い直した。
だって、まだ分からないわ。
どういう経緯で私を助けてくれたのかも分からないのだし。
絶体絶命だと思った瞬間、美梨の君と花武さまがご一緒に現れた瞬間を思い出して、私は身がすくむ思いだった。
なぜ、あのお二人は私の居場所が分かったのだろうか。
天井から飛び降りてきて私を守ってくださったけれど、あの部屋に最初からいたわけではないと思いわ。
「そういえば、枕元に置かれていた秦の術が書かれていた文は……ここにあの若君が来たということ?」
ハッとして思わず口にだして言ってしまっていた。
私は美梨の君を思って密かに暗闇で泣いていたのを花武と名乗る若君に見られたのかと思って、胸を抑えた。
そんな。
恥ずかしい。
真っ赤になったり、青くなったり忙しい私の手を侍女の暸寿は自分の温かい手でしっかりと包むように握った。
「邑珠姫さま。落ち着いてくださいませ。若君がいらしたとはどういうことでしょうか。どこぞの若君が青桃菊棟の邑珠姫の元に、枕元までいらしたということでしょうか」
暸寿の瞳は真剣だ。隠しているが、かなり動揺しているのが見て取れる。
「気が動転して、おかしなことを言ってしまっているのかもしれないわ。その……夢の話よ」
暸寿と汐乃が目配せをして、心配そうな表情で私を見つめているのが分かり、私はなんとか話題を変えようと知恵を絞った。
そういえばだ。
あの五色の兵は激奈龍の回し者だったのだと思った。となると、激奈龍の者が宮中まで入り込んでいた事実にハッとして、立ち上がった。
青桃菊棟の冥々の家の茉莉姫の部屋だった所で私は縛り上げられたのだ。そのまま私は部屋を飛び出した。
「お待ちくださいっ!姫さま」
暸寿と汐野が驚いて後を追ってきたが、私は構わなかった。