嫉妬と新たな想い 夜々の家の邑珠姫Side
昨年の秋。
金木犀の香りと赤い紅葉の季節から、私が心中穏やかであるはずがなかった。
なぜ、わたくしでなくあの地味姫と影口を叩かれている姫をお選びになるの?
わたくしに何が足りないの?
なぜ、鷹宮さまはわたくしには目も向けてはくれないの?
なぜ、美しいことこの上ないと讃えられる私を鷹宮さまは選んではくれないの?
私の心が醜いのかしら?
そうなの?
いえ。きっと私の心に問題はないわ。
選ばれなかった私がこのように思い悩んで苦しむのは、至極当たり前のことよ……。
人としては煩悩にまみれてもがく瞬間はあっても当然なのだから、私の心が問題なのでは……ない。
でも、夜は涙が止まらない……。
私は穏やかに祝福する思いを抱けず、泣くような思いを抱えこんで苦しんできた。
慣れないことだった。
人に好かれないことには慣れていないのだ。
しかし、美梨の君に恋をしたと思うこの春、突然のこの誘拐騒ぎが、私に一つの解をくれた。
鷹宮さまには花蓮姫が相応しい。
私はそう腑に落ちたのだ。
絹の寝巻きを翻して、裸足の白い足をふとももまで晒し、髪を風に靡かせて颯爽と都中を馬で疾走する中で、私は突然悟ったのだ。
私は鷹宮さまには相応しくない。
そして鷹宮さまも私に相応しくない。
鷹宮さまに相応しいのは花蓮姫だ。
このような国を揺るがすような陰謀に巻き込まれても、先帝である時鷹さまを救ったり、美梨の君を救ったり、赤い竜の主だったり。
とにかく大活躍する姫なのだから。
私はただただ、妃候補としては失格な姫だ。
嗜んではならないとされる法術に長けてのめり込み、しかも選抜の儀の途中で不覚にも美梨の君に会えるという嘘の誘いに惑わされて誘拐され、鷹宮さまをかどわかして殺害する法術をかけられる寸前まで陥ってしまった。
私は妃に相応しくないわ……。
美梨の君が恋しいばかりに、妃に選ばれなければ良いと思った自分が情け無い。
そもそも妃に相応しくないのに……。
「姫様っ!」
私は必死の形相で私を呼ぶ人々に気づいて我に返った。
私を姫と呼ぶのは夜々の家の者?
ここに私が邑珠姫だと知っている者がいる?
私は民の中に、夜々の家の者たちを見つけた。手に薄餅を持って私をぽかんと見つめている者もいれば、私の乗る馬まですごい形相で走り寄ってきた男衆もいた。
「よくぞご無事でっ!」
「姫を宮中までお守りしろっ!」
後ろから私を守るように走ってきていた美梨の君の声で、夜々の家の物たちはハッとして我に返り、急いで馬の周りを取り囲んで走り始めた。
夜々の家の馬に乗って、私の周りを守るように並走してくれている。道にいる者たちは驚いて傍に飛び退き、私たちを通してくれた。
道には屋台が沢山出ていた。
都の天蝶節は賑やかなのね。
来年の天蝶節は、私も殿方と……。
美梨の君でもなく、鷹宮でもなく、一緒に走ってくれている銀髪の若君のことが私の心によぎった。そのことに、私は思わずハッとして手綱を引いてしまった。
「どうした?」
すぐ横から気遣わしそうに鷹宮さまそっくりの若君に尋ねられて、私は思わず赤面して俯いた。
あなたのことが不意に心に浮かんだので、びっくりしたのです……。
私は真っ赤になって小さな声で答えた。
「なんでもございませんわ」
「邑珠、もう少しだ。君はよく頑張っているから。大丈夫だ。もうすぐ宮廷の門だから」
若君の透き通るような瞳が私を優しく包むように見つめて、低い声で囁いてくれた。
私は黙ってただうなずくだけだった。
なぜか胸が熱いわ……。
私たちは賑わう都の街を駆け抜けて、あっという間に宮廷の門の前に着いた。
私はせき立てられるように美梨の君に馬から降ろされ、近くの茶館に誘い込まれた。美梨の君に渡された衣装に物陰で着替えるように言われて、なんとか1人で着替えた。
侍女の格好……?
今朝見た梅香の格好にそっくりだけれど……。
靴も履いていなかった私は、美梨の君の履いている靴を貸してもらうしかなかった。美梨の君は侍女風の女物のびしょ濡れの靴を履くしかなかったが、平気な表情で私を見てニヤッと笑った。
「今世最高美女なのに侍女の格好で悪いな」
「いいえ、とんでもございませんわ」
私は恐れ入って、首を振ってモゴモゴと謝った。
こうして侍女の格好をさせられた私は、美梨の君に連れられて門の前に再び連れて行かれた。
「邑珠姫、よく頑張った」
私は鷹宮さま似の銀髪の若君に頭を撫でられて褒められた。
えぇっ!?
私は思わず頬を赤らめた。
「鷹宮さ……まではないですよね?」
私が小さな声で聞くと、違うと首を振った若君は名前を教えてくれた。
「私の名は花武だ。花の武士と書く。また会おう」
髪の毛を頭巾で覆った若君は私を透き通るような瞳で見つめて、美しい花が開いたような微笑みを浮かべた。そして、くるりと向きを変えて馬で去って行った。
「さあ、戻るぞ」
40歳前後の立派な衣装を着た男性がどこからか姿を現して私の横に立って囁いた。
「あなたの名前は侍女の梅香だ。これが通行札だ」
私は美梨の君に通行札を押し付けられて、立派な衣装を着た男性の後ろに立たされた。私はその男性が誰だか知らない。
「これはこれは柳武皇子」
門のところで平身低頭で恭しく迎え入れられた男性の後ろに立っていた私は驚愕した。
このお方が秦野谷国の皇子さま?
もしかして、先ほどの花武さまは秦野谷国の世継ぎの花武皇子のこと?
鷹宮さまそっくりだったけれど……。
「梅香、ほら、進んで」
小声で美梨の君に促されて、私は慌てて門番に梅香の通行札を見せた。
「よし、通れ」
門番は厳しい顔で私をじろりと見て通してくれた。
私は無事に侍女として門を通過したのだ。
門を通過した私は、すぐ門のそばに泣きながら暸寿が佇む姿を見つけた。
「姫様っ!」
美梨の君にそっと肩を抱えられて、私は暸寿に引き合わされた。
「姫は何もされていないから」
美梨の君は暸寿に囁き、早く青桃菊棟に戻るようにと言った。
うぁっ!
赤い竜!
頭上高くを赤い煌めく竜が飛翔して行き、都の人々がどよめく声を聞いたのはその時だ。花蓮姫が激奈龍の赤劉虎将軍と雅羅減鹿を締め上げようとしているのだろう。
「花蓮、大丈夫か?」
美梨の君が空翔ける赤い竜を見て心配そうに呟き、身を翻してまた貞門に向かったのを私は呆然と見つめた。
美梨の君のお心には花蓮姫がいらっしゃるようだ……。
「さあ、姫さま、前宮の青桃菊棟に戻りましょう」
私は駆けつけてきた車に暸寿にせき立てられるようにして乗り、前宮に向かった。夜々の家の者たちが後をついてきてくれている。
「貞門から極華禁城の外に出られたのですね……その衣は侍女の衣を借りましたか?」
暸寿は泣きはらした顔で私に言った。
私はその声にうなずきながらも、呆然と車の外を見つめた。
あの門が貞門なのね。
雪がうっすらと残る宮中はとても美しかった。満開の黄色いレンギョウの花の上の雪はキラキラと輝き、ピンク色の桃の花が雪をかぶるさまは、私の心を表しているようで、ときめいた。
極華禁城は広大だ。
花武とは、銀髪の深野谷国の世継ぎと同じ名前だ。
私は彼と美梨の君に救われた。
赤劉虎将軍は、花武を鷹宮さまと間違えていた。
でも、私には分かる……。
あのお方は鷹宮さまではない。
彼は『私の妻になる人』と、確かにそう言った。
あの言葉は敵に自分を鷹宮に思わせるための芝居?
それとも……。
私の胸のうちがカッと熱くなった。
期待してはダメよ。
鷹宮さまは、選抜の儀1位の私を選ばなかったじゃないの。
でも、胸の奥が熱い。
美梨の君に感じたのと近い、でももっと強烈な何かにとらわれて、私は息を弾ませた。
「姫様?いかがなされました?」
「いいえ、ちょっとこの車は暑くないかしら?」
「えぇ?寒いぐらいでございますが。また、そんな夜衣で都に出たとは、私は旦那さまと奥様に顔向けできませんっ!」
暸寿は泣き始めた。
「でも、結果何もなかったのよ。大丈夫よ」
私は暸寿を慰めた。
「ね、あの薄餅ある?」
泣きながら暸寿が袂から出した、綺麗な紙に包まれた薄餅を私は見つめた。私は包み紙を開けて、その薄餅を食べたのだ。
それは、不思議に懐かしいような味のする薄餅だった。
確信があるわ。
これは、秦野谷国の薄餅だ。
私を敵から守ってくれた文には、秦の術が仕込まれていたから。
雪の残る幻想的な宮廷の景色を眺めながら、私は今宵の花火を誰と見たいか自分の胸に聞いた。
朝は美梨の君をお慕い申し上げていた。
でも、今は自分を救い出してくれた銀髪の花武の笑顔が心に浮かび、私は動揺した。
この想いは……?
私の入内は、予期せぬ展開になったようだ。




