天蝶節で賑わう都へ② 蓬々の家の璃音姫Side
洗濯場には湯気が立ち込めていた。前宮の侍女たちが大勢来ている。今日は夜々の家の汐乃の姿が見えない。あの気位の高い今世最高美女邑珠姫に何かを申しつけられていて、遅れているのだろう。
先に来て既に洗濯を始めていた慈丹に急いで駆け寄り、私は洗い桶を渡した。中から美梨の君の衣装を包んだ包みをさりげなく取り出して胸元に抱えた。そして慈丹に言った。
「お薬よ。終わったらちゃんと塗ってね。私は姫に頼まれて今日の天蝶節で配られるというお酒とお茶を見てくるわ」
周りの侍女たちが、私の言葉を聞きつけて反応した。湯気の立ちこめる中で沢山の上気して頬が赤くなった顔が一斉に私を見つめる。
「えぇ?梅香、今日は何か特別な振る舞いがあるの?」
「えぇ、来る途中にあの新しい警護の奏山にあったのよ。今日は特別にお酒とお茶が酒蔵と茶蔵から振る舞われるらしいわ」
「素敵!」
「銀子蔵も開かないかしら?」
「都の屋台で何か花火を見ながら食べてみたいのよ……」
「あぁ、茶館から見る景色も素敵らしいわね」
「あたしらは、特別な前宮で雪景色の夜空に広がる花火を見れるんだから、贅沢言わないの!」
「まぁ、それもそうだわね!」
「そうそう、お酒も姫さまたちがわけて下さるだろうし」
侍女たちが湯気が立ち込める中で洗濯物を叩きながら笑い合って話しているのを聞いていて、私はムラムラと都の屋台に行きたくなった。
だめだ。
だめだ、だめだ。
あんな事件に巻き込まれたばかりじゃないか。
私は自分に喝を入れて、にっこり微笑んで皆に笑った。
「そうそう、わたしらは、数十年に一度しか開かない前宮で雪景色の花火を見れるのだもの。幸運よ」
「そうね、梅香」
侍女たちは幸せそうに笑顔になった。一瞬、ここで噂話に興じながら、皆と一緒に洗濯をしていた方がいいのかなという気分になった。温かい湯気が立ち込める洗濯場は居心地が良かったのだ。
しかし、私は察子の跡をつける方を選んだ。
慈丹の肩を軽く叩いて合図をして、洗濯場を後にした私は、雪のうっすらと積もる前宮の道のりを歩いて行った。
低木の満開のレンギョウの黄色い花の上にも雪が積もり、これまた満開の濃いピンクの桃の花の上にも雪が積もっていて、なんとも言えない風情があった。
既に誰かが歩いた雪の上を私は足早に歩いた。雪で靴底がとっくに濡れてきていて、早くも後悔しそうになったが、腕の中の荷物の中には美梨の君の靴も持ってきている。
いざとなれば履き替えよう。
私は松羽宮の湯殿にいるであろう柳武皇子のことを考えた。深野谷国の次の皇帝は、柳武皇子ではない。彼は深野谷国の世継ぎの花武皇子の従兄弟だ。
世継ぎとされる花武皇子は24歳で鷹宮より2つ上だ。私も彼をまだ見たことはない。だが、噂では、御咲の国の先の皇帝である時鷹と現皇帝である永鷹皇帝と同じく、銀髪だという噂だった。
柳武皇子は既に40歳だ。皇子と言うには憚れるが、未だ未婚で独身貴族を謳歌している。まぁ、花武皇子がお子を作ればいいだけなので、周囲も放任しているらしい。
深野谷国からの来賓は非常に珍しく、しかもしばらく松羽宮に滞在するという。
これはもしや「敵状視察ではないか?」と現皇帝も考えたようだ。そこで察子をつけているらしい。
これは鷹宮情報だ。
私は足をふと止めた。前宮の門のところにさっき私に話しかけた奏山の姿を見かけたからだ。
彼は前屈みで急いで歩いていて、後ろを歩いてきた私に気づいてはいない。私は雪の積もるレンギョウの影に身を潜めて、じっと彼の動きを見つめていた。前宮から私は出ることはできる。だが、松羽宮には簡単には入れない。
頭の中で極華禁城の見取り図を広げた。
前宮の門と松羽宮の門はここ数日行ったりきたりして頭の中に叩き込んでいる。だが、目の前を行く奏山次第では、考えた道筋を変える必要があるかもしれない。
密かに手に入れた松羽宮の侍女の通行許可札も持っている。蓬々の家の璃音姫の資金力を持ってすると、手に入らない物はあまりない。まぁ、蓬々の家から松羽宮に侍女を貸し出しているという体だが。
奏山が門を出たのを見て、私は足早に前宮の門まで進んだ。後宮がある方向の門ではない。極華禁城に食料や衣などを搬入するための門がある貞門がある方向に近い門で、中門と呼ばれている。各家々の侍女たちはこの中門を使って、各家々に文を送ったりするので、蓬々の家の侍女である身分証を見せるとすんなり通れるのだ。
もちろん、侍女と違って姫は通れない。鷹宮の妃に選ばれるために前宮に缶詰の1年を送るのだから。美梨の君も通れる。鷹宮特注の通行証があり、美梨の君は鷹宮の親友として名を馳せているために通れる。まぁ、そうしてくれなければ私が成立しないので、入内する時にそうしてもらった。
なんということもなく前宮の中門を通った私は、周囲を素早く見渡し、奏山が各蔵が立ち並ぶ蔵前地の方に向かったのを見つめてホッとした。
酒蔵と茶蔵に向かったのか?
私は踵を返して反対方向に向かって歩き始めた。門を出て左に奏山が行き、門をでて私は右に進み、さらに私は数十歩歩くと左に曲がった。これで奏山がもし振り向いたとしても、私の姿は彼には見えないだろう。
迷路のような宮中の道は、子供の頃から遊びに来ていたので頭の中にしっかり入っている。
難なく松羽宮の門を侍女として潜り抜けた私は、松羽宮の湯殿の近くで待ち伏せした。
しばらくすると、柳武皇子とお付きの者たちが姿を現した。そしてそこから少し離れてさりげなく察子らしき者が続くのをじっと見つめた。
雪を踏み締めてさりげなく歩く。
だが、松羽宮から一行は出て、さらに柳武皇子はお供の者を2人だけ連れて、城外に出て行ってしまった。察子はもちろんそれに続いた。
貞門を彼らはいとも簡単に通過して行ったのだ。
私はしばらく極華禁城の城外に出ることを躊躇して立ち止まっていた。
ここで、今日は諦めるべきよ!
前回、美梨の君として城外に出た時は死にかけたでしょう?
花蓮が助けてくれたから良かったものの、危うかった。そして反省したのだ。
私は大きくため息をついて、頬を膨らませて不服の表情に思わずなってしまったが、貞門にあっさり背を向けようとした。しかし、その瞬間、ある物が私の目に留まった。
つい目の前を行く荷車から、碧く煌めく物が落ちた。雪の上でそれは太陽の光を受けて眩しく煌めいた。五色の兵がその荷車を後ろから押して歩いていた。
私は思わず駆け寄って碧く煌めく物を見つめた。碧い宝石のついた櫛だった。
私がかつて失くしてしまった櫛にとても似ていた。先に拾い上げたのは、荷車を後ろから押していた五色の兵だった。彼は黒装束に色鮮やかな五色の帯をつけていた。一目で鷹宮専属の兵だと分かる装束だ。
五色の兵と私はしっかり目が合った。
彼は驚くほど見目麗しかった。
光基に彼のことを聞いたら知っているだろうか……?
私は見たこともない立派な五色の兵をじっと見つめた。
彼は私を見つめると、拾った櫛を黒装束の袂にしまった。
その櫛は、五色の兵にはおよそ似つかわしくない立派で貴重な品だ。
櫛に装飾された碧い石の値段を私は知っている。なぜならそれは私の父上が特注で作らせた物だからだ。石も特注だが、石の配置はもっと特注だ。それは私の誕生日を祝うために作らせた、ある形を想定して配置した特注の宝石飾りだった。
五色の兵は黙って私を睨むように一瞥すると、そのまま荷車の後を追って貞門を抜けた。
私の耳はすごくいい。
今、声にならない女の悲鳴を聞いたような気がしたのは、気のせいだろうか?
一気に体が熱くなった。
何かがおかしい……。
私が後を追うつもりだった柳武皇子も宮中を出た。そして、今、明らかに私の物であった櫛を持った五色の兵も宮中を出た。何より、貞門を潜り抜けようとする荷車から女の悲鳴が聞こえた。
私はそのまま小走りに走った。
考える前に体が動いた。あの五色の兵の黒装束を着た美青年は只者ではなさそうだ。
あの荷車を見失うなっ!
梅香である侍女の衣装を着た私は、そのまま極華禁城の貞門を出た。
それは雪が美しくうっすらと降り積もった春が間近に近づく天蝶節の日、都が祝いの日に湧き立つ朝のことであった。
私の入内は、またもや波乱を含んだ展開となった。