姫が消えた ③ 蓬々の家の璃音姫Side
「見たでしょう?」
「見た!」
あれは7年ぶりに見たのだ。
赤い美しい竜だ。
桃色と赤と白の鱗が実に美しく、痺れるほどカッコいい竜だ。
一目見て以来、私の心を捉えて離さなくなった凛々しく嫌味で格好良い竜。
「花蓮だよな」
「そう、花蓮……」
私は少し悔しかった。鷹が完全に気づいたからだ。鷹が花蓮の力に気づいてしまった。
「惚れ惚れするなあぁ」
思い出したように頬を上気させて瞳を輝かせている鷹は、恋する乙女の眼差しをしている。
それを横目で見る私は親友がさらに花蓮にのめり込む様子が手に取るように分かり、苛立ちを覚えた。
はぁ……っ。
腹たつわぁ……。
私の花蓮を奪ったくせに、さらに花蓮にのめり込む鷹。花蓮はずっと鷹の存在に気付いていなかった。花蓮は鷹宮と鷹を紐付けてもいなかったし、鷹に恋をしているわけでもなかった。鷹宮に恋をしているわけでもなかった。
それがどうだ。
今や恋する2人を私は止めようもない。
親友が私の恋する姫にのめり込んでいく様をまざまざと見せつけられて、私は心がヒリヒリとした。
「っなんだよっ」
「私が最初に花蓮を見つけたんだけどっ」
「はあ!?」
『一年の計は春にあり』
昔からよくそう言うが、美しい梅の咲く後宮の車乗り場で、私と鷹は小競り合いをするようにして車に乗った。
私の計は、まだ定まらない。
「前宮まで頼む」
鷹宮は車夫にそう言うと、車の中に腕組みをして座った。車の外にはいつの間にか五色の兵が姿を現して一緒に走り始めた。
光基も今日は車の外だ。
「で?何があった?」
鷹宮は本題に切り込むと、真剣な眼差しで私を見つめた。
「前宮から抜け出した。それは謝る」
「やっていいことと、ダメなことがある。いくら俺でも、妃候補3位の蓬々の家の璃音姫が街に出ていたことが発覚すれば、かばいきれない」
「わかっている。ごめん、鷹」
「で?」
鷹宮は先を促した。
「羅国と冥々の家の茉莉姫が手を組んだ。もしくは、冥々の家と羅国が手を組んでいて、茉莉姫は知らぬことかもしれないが」
鷹宮は目を見開いて私を見た。
だよな?
驚くよな?
「鷹と茉莉姫を2人きりにして、鷹に薬を飲ませて既成事実を作るのに協力せよ、だと」
鷹宮は眉をひそめた。
「協力しないと美梨は言ったんだな。だから、美梨が襲われたと。お前が女だとバレたのは分かったが、正体がバレたのか?」
「いや、蓬々の家の璃音姫だとはバレていない。ただ、美梨が女人だとバレただけだ」
「要求は、冥々の家の茉莉姫を第二の妃にすることか……」
「そう。鷹が花蓮にゾッコンで他に見向きもしないようだから、既成事実を作ることに協力しろと強行手段に出たんだと思う。ごめん。私が迂闊だった」
「いや、危ない目に合わせて本当にごめん。美梨、無事でよかった」
鷹は私を抱きしめた。
長年の親友同士の私たち。
「うん、花蓮に助けてもらったからいいよ」
私は心の中でもう一度『一年の計は春にあり』と思った。
今、この人たちから離れる覚悟をするか、この人たちと共に生きるのか、決めなければならないようだ。
「どっちだと思う?」
鷹が私に聞いた。
「どっちって?」
私は心のうちを見透かされたのと思ってドキッとして聞き返した。
「仕組んだのは、茉莉姫本人か、冥々の家だけで仕組んだのか。どっちだと美梨は思った?」
私は鷹に聞かれて黙った。
「茉莉姫はおかしいほど鷹に惚れている、それは前から思っていたよ」
私の言葉に鷹は黙った。
「じゃあ、美梨は姫本人が仕組んだ可能性が高いと思っているんだな?」
「そうだね。彼女には狂ったような愛というのを感じたことがある。執着だ。愛というより執着が勝る感じだ、と思った」
私は愛する花蓮を鷹に取られても、花蓮を無理やりという気持ちには全くなれない。
ただ、愛は報われないと、とてつもない苦しみを与えるのは知っている。
ヒリヒリと心が焼き尽くされて気持ちが沼に沈むのを知っている。
「今日のところは、何もしないでおこう。まずは蓬々の家の璃音姫のアリバイ作りからだな。青桃菊棟では、璃音姫を探しているはずだ。俺と美梨が青桃菊棟を訪れて、美梨が出てこなかったら、おかしいだろ?棟に入る前に姿を姫に戻すんだ。光基に衣を持って待機するよう侍女に言ってもらおう」
鷹は車を止めさせると、光基を呼んで小声で囁いた。
車夫にはゆっくり行くようにと声をかけた。
私は鷹の顔を見つめた。花蓮がこの人に抱かれるのを私は許した。嫉妬で気が狂いそうになるけれど、鷹は私の親友だ。
私は惨めで涙が出てきた。
きっと、花蓮のカッコ良い赤い竜を7年ぶりに見たからだ。私の恋する花蓮は、痺れるほど素敵で皮肉の強い竜使いだ。
私が憧れてやまない花蓮。
私が恋する花蓮。
くっそ……。
「なぜ泣く……?」
鷹が驚いたように聞いた。
「なんでもないっ!」
だが、私の言葉は勝手にほとばしるように飛び出した。
「いちゃいちゃしやがってっ……相思相愛になりやがって……最初に見つけたのは私なのにっ……ぐすっぐふっえっんっ……」
「美梨、鼻水出て……」
「うっさいっ!」
「これから姫になるんだから、もっと……」
「うっっさいっ!」
「悪かったよ。そんなに花蓮のことが好きだとは思わなかった。でも、俺は必ず花蓮を幸せにするから、俺に任せてくれ。俺にくれよ」
鷹は私の顔を見つめて、真剣に言った。
「お前は格好良いっ!お前は宮だ!お前は皇子だっ……お前はいい男だっ……お前は一途だっ!」
だから……。
鷹の欠点を思いつかない……。
私の負け……だ。
あぁ……。
私はとことんダメじゃないか。
「世の中にはままならないこともあるっ!ままなることだけだったら、面白くないからなっ……鷹にもいつかままならないことが出てくるぞっ……覚えておけっ!花蓮のことはまだ諦めないからなっ!」
私は意固地になって、負けを認めたくなくて泣きながら言った。
ポタポタと涙が落ちて、鷹に抱きしめられて泣いた。
「花蓮は幸せにするから。いつかきっと美梨にも相思相愛の相手ができるから……」
「ばかっ!私は花蓮がいいのだっ!」
「知っている」
車が止まった。
「美梨、いいか?お前は蓬々の家の璃音姫だ。光基と侍女が青桃菊棟の前の梅の木の下で待っている。杏の木が沢山あるあの先だ。ちょうど青桃菊棟からは死角になる。そこで戻れ。俺は少ししたら行く。俺と散歩していたことにするんだ。いいな?」
鷹が私を抱きしめたまま、ささやいた。
私の顔の涙を鷹は優しく拭いてくれた。
「璃音姫?いいな?」
私はそっとうなずいて、暗闇の中で車を降りた。松明を掲げてくれている車夫には泣きはらした顔は見られなかったはずだ。
そのまま軽々と走った。
今日、前宮を抜け出したことは秘密だ。私はずっと鷹宮と散歩していたのだ。
花が咲き誇る杏の木の下をくぐり抜け、梅の木の下まで来ると、侍女の魅音が待っていた。衣を手に持っている。
髪を下ろし、眉を描き、紅を塗り、目の際に線を描きたし、人相を変える。大きめの衣をふわりと羽織り、私はふふっと女性の声で笑った。
「やだぁ、光基、鷹宮さまはぁ?」
甘ったるい声で光基に聞いた。
「待たせたな、璃音姫」
鷹宮が後ろからゆっくりと近づいてきて、私におだやかに声をかけた。
「さあ、戻ろうか」
「はい、璃音、今日は楽しかったですぅ」
私はクネクネと身を動かして、笑顔でささやき、鷹宮と仲良く連れ立って歩いた。先を光基がランプを明るくともして歩いてくれた。
青桃菊棟の前には、蓬々の家の者が大勢出てきていた。
「姫さまっ!ご無事でございましたかっ!」
わらわらと駆け寄ってきた家の者に私は甘ったるい声で謝った。
「ごめんなさあぁい。今日の午後は鷹宮さまと花蓮さまと一緒に過ごしておりました。楽しすぎて、遅くなりましたわ。ごめんなさいねぇ」
「すまない、皆のもの。心配かけたな」
鷹宮が穏やかな声で謝ってくれた。
「いえいえっ!」
「鷹宮さまとご一緒でしたかっ!」
「それはそれは花蓮さまとも仲良くさせていただいて、姫さま。何よりでございますっ!」
皆が口々に安堵の表情を浮かべて喜んでくれたのが、後ろめたい気持ちになった。
「あぁ!」
私は大事なことを思い出した。
「20位の柳々の家の翠蘭姫も同罪よ」
私は鷹にだけ聞こえる声で、そっと身を寄せて囁いた。鷹はハッとして私を見つめた。
私はうなずいた。
私の心とは裏腹に、私と鷹宮が目と目で会話していると勘違いした私の家の者たちは、嬉しそうに私たちを見つめて目を輝かせている。
「では、みやさま、おやすみなさいませ」
私は鷹宮にそっと意味ありげに囁いて、鷹宮と別れた。
親友の鷹と花蓮をこの宮廷に残しては去れない。
隙あれば、陥れようと企むものたちの巣窟になってしまうのを阻止せねば……。
私は今宵、男どもに襲われた。
だが、私が恋する花蓮が覚醒して赤い竜を伴って助けてくれた。花蓮自体は自分の力にまだ気づいていない。
私の恋する人は、そういう人だ。
私の恋する人を奪った人は、私の親友だ。
砂漠で見た半月と同じ月が、私のいる前宮を照らしていて、梅の咲く宮中には春が訪れていた。




