花蓮の心は必ず俺に振り向かせるつもりだ
琴の音色が麗しい。
東の冥々の家は、代々音楽に秀でた家系だ。商売が傾きかけているという噂は確かに根強くある。
だが、目の前の茉莉姫の白魚のような手が踊るように弾く琴は、最高級の琴だ。私の目は確かだと思う。赤い紋様の羽織が彼女の肌によく似合っていて、彼女はそれはそれは美しく見えた。
ストールがふわりと舞うほど、茉莉姫の指さばきは速い。確かな鍛錬を積んだようだ。
済々の家は、琴と刺繍の腕次第で姫の価値が決まるという家だった。私は琴の訓練を幼い頃から毎日欠かさず行うことが日課だった。
まあ、傷物になったから……そのぐらいしか魅力を引き立てられる部分がないとして、父と母が躍起になったのかもしれない。
もし、私に父と母が同じ琴をを買ってくれるならば、身に余るような琴だ。それが、茉莉姫が今奏でている琴だった。
福と凶は隣り合わせというのが父と母の口癖だ。副分にも、凶分にも、必ず真逆の要素が含まれているというのだ。
私の誘拐には、必ず副分もあるはずだと教え込まれた。つまり、傷物と噂されるようならば、本物の愛を手繰り寄せる副分もわずかながらあるということらしい。私はそれはないと分かってはいたが。
この琴が茉莉姫の手元にあるということは、彼女の家はこの琴に大枚を叩いたことになる。
東の冥々の家は激奈龍に近く、山を超えれば激奈龍という位置に領地を構える。 西の夜々の家の領地が湖に面しており、漁でも、湖を超えた先にある薇国との貿易でも、両方の商売の利益で栄えているのとは対照的だ。
しかし、御咲の国にとっては、重要な辺境の地の一帯を治めてくれる頼もしい冥々の家なのだ。
その冥々の家の経済が厳しいという噂は根強いが、茉莉姫の出立はそれを微塵も感じさせないものだった。
「まぁ、ようこそ、おいでくださいました」
茉莉姫は私と鷹宮を見るなり、パァっと顔を輝かせて、琴でもてなそうと申し出ててくれたのだ。
私は鷹宮を見た。
目を瞑っている。
そう……。
実に素敵な音色なのだ。
美しさと気立の塩梅がちょうど良いという評判通りだ。
茉莉姫は気立が穏やかで、優しく、落ち着いていて、そして十分に美しい。
邑珠姫が髪を綺麗に結い上げていたのに対して、茉莉姫は長く髪を下ろしていて、それがさらに美女雰囲気を作り上げていた。
普段はまあるい大きな瞳がキラキラとしているが、琴を弾くために目を伏せている様がなんともたおやかで、指の動きにそこはかとない色気が滲む。
庭に鮮やかな菊の花が見え、はらはらと秋の紅葉した葉が舞い降りる様が美しかった。
私には茉莉姫は最高の妃候補に見えた。
鷹宮さま……?
私は一瞬、鷹宮が茉莉姫に心を奪われたように思った。
一陣のそよ風が私たちのいる部屋を吹き抜けたかのように、爽やかで心弾む音色が響き、茉莉姫が演奏をやめた。
「ありがとう」
鷹宮は穏やかにそう言って、彼女を労った。
「ありがとうございます」
微笑みを浮かべている彼女に、鷹宮は何気ない調子で言った。
一瞬、私を見つめる瞳はどこまでも優しかった。
「茉莉姫、私の心には、花蓮しかいない。花蓮に何かあれば、この縁組は残り31人の入内は取り消される。妃候補失格とする。意味がわかりますか。今後、花蓮の身に何かあれば、そなたも疑われる。分かりましたか?」
その言葉に、言葉にならない悲鳴をあげたように思ったのは、冥々の家のお付きの者たちだった。
ひぃっ……!
なんてことっ!?
だが、夜々の家の今世最高美女と違って、表情一つ変えない茉莉姫は微笑んだ。
「承知いたしました」
私は心の中で、あれ?と思った。
茉莉姫は鷹宮に恋をしていないのか?
好きという気持ちを露わにしないというか、なんというか、淡白というか……。
「姫は、私の第2、第3、第4の妃になることは興味がありますか?」
鷹宮は踏み込んだ質問をした。
私は呆気に取られて鷹宮を見つめた。
「ございますわ、もちろんでございますわ」
その瞬間、茉莉姫に恋する乙女の眼差しが一瞬垣間見えた、と思った。
初めて、茉莉姫の本心が見えたような気がする。
「そうか。それは家のためではなく本心か?」
鷹宮の質問に、たじろいだのは、冥々の家のお付きの者たちの方だ。
「冥々の家の者は、わたくしが鷹宮さまの妻になることを望んでおります。わたくし個人はあなたさまに恋焦がれている一人の女ですわ……」
そんなこと、言わせなくてもっ!
私は自分が悪者になったような気持ちでいっぱいになった。
そんな質問は、やめてあげてっ!
私は眉を顰めて鷹宮を見た。
「さようか。わかった。覚えておく」
鷹宮はそういうと、私の方を見つめて言った。
「花蓮は俺の妻で確定だ。花蓮の心は必ず俺に振り向かせるつもりだ。俺が花蓮に惚れているから」
何でそんなことをわざわざ言う必要があるのでしょう?
私は困惑して鷹宮を見つめた。
チラッと茉莉姫を見ると、能面のような表情になっていた。
えっ!?
なに今の?
一瞬で姫の表情は変わり、いじましい表情になった。
「妬けますわね……」
それだけ言うと、鷹宮と私を交互に見つめて微笑んだ。
「お似合いですわ。この度は、合体の儀をつつがなく終えられたとのこと、お祝い申し上げます。私も、仲の良い花蓮さまが選ばれて本当に嬉しいですわ」
私は一瞬の表情の変化に妙に緊張したが、いつものお優しい茉莉姫に戻り、ほっとした。
鷹宮は私の手をサッと取り、指を絡めた。
「さあ、次は蓬々の家の璃音姫だな」
そう囁くように私に言うと、茉莉姫にうなずくと、冥々の家の部屋を出た。
茉莉姫のお付きの侍女は雨明と言う、小袖と同じくらいの年齢の侍女だ。つまり、23歳ぐらいだろうか。25歳手前に見える。
雨明は小袖とも仲が良く、私が入内してすぐに右も左も分からずに呆然としていた時に茉莉姫と共に小袖と私を導いてくれた。
今、雨明は私の顔をチラッと見ると、笑顔で頷いてくれた。
よかった。
雨明も祝福してくれるのかしら?
身に余るような、実力以上の采配について、一人でも祝福してくれる人がいれば、私としてはほっとするところだった。
ただ、西の夜々のお家といい、東の冥々のお家といい、私が鷹宮に愛されるような仕草には、こぞって無言の悲鳴をあげていたと思う。
気のせいだろうか?
いや、気のせいではないだろう。
つまり、どこの家にも私を殺す動機があるのではないか?
ふと私はそう悟って、ゾッとした。
私の入内は、予期せぬ展開になったようだ。




