急転直下、藪から蛇
公僕なので制限速度はきっちり守りつつ、それでも最速で萌木さんの寮に向かう。
ハンズフリーで携帯はつなぎっぱなし。
その向こうから、情報がドンドン伝わってくる。
曰く、萌木さんが受けていた資格取得のための職業訓練講座の人数が合わないとか。
各種名簿にマミヤリツコという名はなく、人数も入っていない。けれど講師が作成した資料や提出された課題プリントは人数が名簿より一名分多いというのだ。
それも「一名おかしな人物が紛れ込んでいるのでは?」という指摘を受けるまで、その一名分多い状態であることに誰も疑問を持たなかったそうで。
オマケに萌木さん以外のクラスメイトも、たしかにマミヤリツコという人物がいたという記憶があるのに、その人物がどんな顔だったかを覚えていないという。
ここまでそう時間が経っていないというのに、ボロボロとおかしな点が出てくる。そして誰もが口を揃えて、そのおかしな状況を認知していなかった。
認識できたのはうちの課が総出で確認作業を始めた、その時からなのだ。
『相手は強力な認識阻害系能力の持ち主だと推測されます』
「了解です」
『君の役目は解っていますね?』
「萌木さんの保護です。それ以外は警察にお任せします」
『よろしい』
きゅっとバイクのタイヤが鳴って、景色が動きを止める。
場合によっては転移魔術を使うことも考えて、マーテル姐さんにはドラゴンに戻って僕の影に潜んでもらう。
寮の入り口はオートロックだ。
萌木さんの部屋番号を押してチャイムを鳴らせば、二回目のピンポーンが終わる前にかちゃりと反応があって。
『はい!』
「萌木さん、僕です! 染谷です!」
『あ、はい! 今、開けますね!』
扉の向こうから聞こえてきた萌木さんの声に安心する。
オートロックの扉を潜って、確実にそれが閉じて施錠されるのも確認。
ほんの少し進んだ先にエレベーターと階段が階段があるのが見えた。
萌木さんが住んでるのは三階、エレベーターのすぐそばの部屋だとか。昨夜帰りつつ彼女が教えてくれた。
けど、エレベーターは生憎最上階の七階で止まってる。
それならと、強化した足に力を込めて階段を。
三段どころかちょっと駆ければ、すぐに三階に辿り着いた。エレベーターはまだ七階だ。
すぐ近くのドアのひょうさつ表札には「萌木」とある。
チャイムを押すために手を伸ばすと、その前にドアがばっと勢いよく開いた。
「染谷さん!」
「萌木さん!? ダメですよ、確認前に開けちゃ……」
「あ、や、だって、染谷さんの気配がしたから」
萌木さんはちょっとバツが悪そうに頬を染める。その姿に僕の中の張り詰めたものが、少し弛んだ。
とりあえず、萌木さんに何事もなくて良かった。まあ昨日の今日でいきなり動き出すとか、流石にないだろうけど。
とはいえ、油断は禁物。
改めて気を引き締めていると、萌木さんが不安そうに僕を見上げているのに気が付いた。
「あの、課長さんから連絡があって」
「はい。信じられないでしょうが……」
「あ、いえ。大丈夫です、っていうか、私も連絡を受けてから間宮さんの顔を思い出そうとしたんです。でも思い出せないし、それに……」
どこか困惑した顔で、可愛いらしいキャラクターの描かれた手帳を僕にみせてくれる。
示されたそこには「address」や「tel」という文字が書かれているあたり、住所や連絡先を書くページなんだろう。そこには薄っすらと何か書いた跡はあれど、何も文字らしいものはなく。
「間宮さん、携帯電話お持ちじゃないって言ってて。それで固定電話ならあるって話だったから、電話番号を教えてもらって、それを書いたはずなんです。だけど、何にもなくて……!」
「そうなんですね。そのノート、後でもしかしたら警察に提供していただくことになるかもしれませんけど、大丈夫ですか?」
「はい、それは……」
萌木さんが小さく頷く。その表情は段々と固くなっていく。
怯えとか、困惑とかそういう。
握り込んだ手が微かに震えているのをみると、もう駄目だった。
手を伸ばして、萌木さんの握り込んだ手に触れる。
「萌木さん、僕が必ず貴方を守ります」
「え?」
「任せてください。僕、一応これでも四季島市域包括不可思議現象対策課の希望のルーキーなんで。逃げ足には自信があります」
一瞬、萌木さんがきょとんとする。
それから、徐々に表情が解れてクスっと笑った。
「なんでそこは『強いんで』じゃないんですか?」
「犯罪者と戦うことが僕の仕事じゃありません。僕の仕事は市民の皆さんを守ることです」
穏やかに言えば、ほんの少し萌木さんの眉が下がる。
それから「お仕事ですもんね」と呟くと、そっと手を引こうとした。でもそれを押しとどめる。
「だって本来萌木さんは僕に守られなきゃいけないほど、弱い人じゃない。僕が貴方を守れるのは、僕の職責の範囲内だけだ。なので守らせてください。こういうときでもなきゃ、貴方を守るなんて言えないんだから」
「え? あ? え?」
「さ、行きましょう」
強引かも知れないけれど、萌木さんの手を握ったままにする。
聞けばもう課長から連絡を受けて、しばらく避難できるだけの準備を持って玄関先にいたそうだ。
だから彼女の手を引いて歩き出そうとした時だった。
「遥、結界に干渉してるヤツがいる」
マーテル姐さんが影からそっと声をかけてくる。
偶然か、或いは……。
考えていると、エレベーターが動き出した。屋上から下がっていくあたり、下から誰かが呼んだんだろう。
それなら三階を通って下に行くはずだから、移動はエレベーターにしようか。
ボタンを押せば、エレベーターは間に合わなかったのか三階を素通りして一階へ。
なら待つよりも、階段でいこうか? 萌木さんを抱えて降りるくらい、魔術で強化すれば屁でもないし。
そう思って萌木さんに声を掛けようとした刹那、いきなりエレベーターの扉が開いた。
そして中から女性が一人出てくる。
「あら、お出かけですか?」
「あ、は……い?」
声をかけられた萌木さんの表情が凍る。
どうしたのかと思う前に、萌木さんに声をかけた人の顔が見えた。
血の気のない、けれど赤い頬。どこという特徴はないのに、その精気の無さだけはやたらと印象に残る女—―。
「まみや、さん?」
萌木さんの唇が動いた瞬間、彼女の肩を引いて僕の後ろに咄嗟に庇う。
そして、後ろ手に彼女の手を僕の腰に触れさせると、空いた手に微かに魔力を集中させて。
萌木さんに「間宮」と呼ばれた女が、ニヤッと唇を歪ませた。
「おや? 認識阻害が切れているのか……」
「マミヤリツコさんというのは偽名ですね? 本名は?」
「聞かれて素直に名乗ると思うか?」
「いえ、全く。形式に従っただけです」
まさか昨日の今日で来やがった。
睨み合う形になってはいるが、相手は「ふむ」と首を傾げる。
「この星の連中は認識阻害が効きやすく破れにくいはずなんだが……?」
自分の能力に自身があるタイプか。こういうタイプって、自分の能力が破られると激昂するのが多いんだ。面倒くせぇ。
でも油断もしているのか重要な情報も与えてくれた。
「なるほど。異星の来訪者でしたか。星間旅券はお持ちですか?」
「そんなことを聞いてどうする?」
「色々と手続きがありますから。貴方に四季島市内で起こった殺人事件に関して、重要参考人として出頭要請が近々あるでしょうし」
「私が関わっている証拠が?」
「さあ? それを見つけるか、貴方の関与がないと証明するのは警察の仕事であって、僕の仕事じゃありませんので」
にこやかにしていると、あちらが鼻で笑う。
「マニュアルに載っている仕事しか出来ないヤツは出世できないぞ?」
「現行犯罪を犯して出世も何もない状態の方に言われましても」
お返しに鼻で笑ってやると、あちらの表情ががらっと変わった。
うーん、地雷でも踏んだかな?
お読みいただいてありがとうございました。
感想などなどいただけましたら幸いです。
来週はちょっとお休みをいただきます。




