だって心配なものは心配だから
憂う。
そういう言葉が実に似合いそうな表情の萌木さんに、すぐさま頷く。
「何か、ありましたか?」
「その、気のせいかも知れないんですけれど……。
萌木さんが言いにくそうに視線をウロウロとさせるのは、話して信じてもらえるかと迷っているのだろう。
気持ちが落ち着かないとき、人は指を忙しなく動かしたり、袖を弄ったりと動作で不安を訴えるものだ。萌木さんも今、葛藤している。
僕を巻き込むのはどうなのか?
戸惑いなくそれを選べるほどの関係性が、僕と萌木さんの間にはないってこと。でもそれは彼女の社会性と警戒心が高いってことの裏返しだし、非難されるようなことじゃない。
だけど彼女の良心は、僕を疑いつつ頼りたいと思っていること彼女自身を責めるんだろう。
だから、待つ。
面談室はプライバシーの関係上、区切りもあれば扉を閉めることも出来る。それでも女性にあらぬ疑念や心的負荷を与えないために、僅かに扉は空けておくのがセオリー。
廊下から人のざわめきがほんの少し聞こえる。
やれ「いつまで待たせるんだ」とか「もう少し手続きを簡単にしてくれ」とか。
そんな日常の音を耳にしつつ静かにしていると、萌木さんの手が固く握り込まれる。
そして伏せていた目を上げると、きゅっと引き結んでいた唇を解いた。
「誰かに見張られている気がするんです。その……ここ数日なんですけど……」
「見張られている……?」
「はい。それだけじゃなく、郵便受けを触ったような雰囲気があったり、まとわりつくような気配があって」
「それは……気のせいじゃなくて、本当に見張られてるのでは?」
口に出した言葉に重みがあったのか、萌木さんの顔色にほんの少し驚きの色が滲む。
勿論最初から萌木さんを疑ってかかる気持ちはない。
けど、萌木さんには素直に僕が彼女の話を信じることの方が意外だったみたいで。
「あの、信じてくれるんですか?」
「え? 疑う理由ってあります?」
寧ろ驚かれる方が意外だけどな。
きょとんとする彼女に、僕はその方が不思議だ。
そこで、ああと思う。
「あー……カルチャーギャップですね、多分。こっちの日本には、その、お恥ずかしい話なんですけど覗きや盗撮・盗聴に異能を使う人がいてですね。男女問わず、年間かなりの被害が出てまして」
「えー……そうなんですか……」
「はい。なのでもしかしたら萌木さんもそういう異能者に目を付けられたのかもしれません。すぐに警察の方に相談しましょう」
「え? え? 警察? でも、まだ、見張られてる気がするだけで、証拠とかないんですけど……」
「証拠なんか別に必要じゃありません。情報提供だけですから」
目を白黒させる萌木さんに、きちん説明をしないと。
僕ら地域包括不可思議現象対策課の仕事は移住者のフォローもあるけど、異能使用事案に対する注意喚起もある。
萌木さんが見張られていると感じたなら、他にも近隣の移住者の人も同じように感じることがあるかも知れない。いや、普通にこちらの住人にも覗き被害とか出ているかもしれない。
なので犯人を異能者と限定することなく「盗撮ないし覗き被害の可能性」の連絡と情報提供を警察に行うだけだ。
あとは警察が本分を果たせばいい。
「でも、警察って被害が出ないと動いてくれないんじゃ……」
「動かなかったら、次から仕事がしにくくなるだけですよ。うちの課はすぐに相談事案をオープンにして、市民の皆さんに注意喚起して『警察に相談済み』って公報に流すので。それでかつ被害があったら警察へと苦情が行きますし、守ってくれない警察に市民の皆さんが協力なさるかどうか」
「わぁ……」
「最低でも見回りの回数を暫く増やす程度のことはしてくれます」
とはいえ体裁は整えたからって、それ以上は動かない可能性もあるけど。
そこはそれ、うちの課ならではの動き方がある。
そう口にすると、萌木さんはこてっと首を傾げた。
「異能の不正使用や暴走に対して注意勧告や行政指導を行うのも、地域包括不可思議現象対策課の仕事のうちです」
「行政指導……?」
「はい。要は間違って使っちゃったんなら、今度から許可なく使わないで……と圧迫面接、じゃない、注意喚起して、異能の正しい使い方を身に付けてもらえるよう指導します」
「あー……えー……」
まあ、これは裏技といえばそうだ。
明確に罪に当たるか分からない場合には行政指導で僕達の管轄だけど、そこで意図的な異能の不正使用の証拠があがれば警察事案に代わるし。
行政から指導を食らうって自体一般市民の皆さんには馴染みなのない話だろうから、抑止力としては一定使えるかな。
そういう異能の探知に詳しい人を脳内でリストアップしておく。
これからの覗き・盗撮犯出没の注意喚起書類作成と、課長への報告、警察への情報提供などを、キーボードを操作してメモ。
その忙しない手の動きを見ていた萌木さんが、ホッとした、でも何処か申し訳なさそうな上目遣いで僕を見る。
「どうしました?」
「あの……ありがとうございます。こんなに早く手を打ってもらえるなんて、思わなくって」
聞けば、あちらの日本にいたときにも萌木さんは付き纏いや覗きの被害を警察に訴えたことがあるらしい。
けれどあちらの警察は、当たった担当が悪かったのか「実害がないなら動けない」と、萌木さんを門前払いしたそうだ。
彼女の家族にしても「アンタみたいなのが付き纏われるとかあり得ない」と取り合ってくれなかったとか。
結局相談したところで誰も助けてくれないという、負の経験ばかりが積み重なって、僕に関しても半分くらい諦めていたってさ。然もありなんだよ。
だけど彼女の中では、僕にとんでもなく失礼なことをしたことになっているようで、物凄く深く頭を下げられた。
「頼っておいて信じないとか最低ですよね。本当にすみませんでした」
「え? や? 仕方なくないですか? 現実、役所や警察の動きが鈍いことはありますし」
そう言っても顔を上げてくれない萌木さんの、頭頂の旋毛に僕の眉毛も下がる。
だって四季島市の地域包括不可思議現象対策課は対応が転移魔術の発動並みに早いって全国的に評判だけど、そういわれるほど役所とかは動きが軽々に取れないとこでもあるわけだし。
寧ろ萌木さんは世界が異なるっていっても、同じ役人のせいでかなりしんどい思いをしたわけで。そこに関しては、こちらの方がお詫びしないといけない案件じゃないかな?
そんなようなことを口にすると、顔を上げた萌木さんが「とんでもない!」と両手を握った。
「話を聞いてもらえた上に、きちんと対処してもらえるって本当に嬉しいんです。いてもいなくても心配されないなんて、透明人間と同じじゃないですか……。でも、そうじゃないって言ってもらえて、私、ここにいていいんだなって……!」
声が喉に詰まる。
大袈裟なって思う反面、それほど彼女には味方がいなかったんだってことを唐突に理解してしまった。
この人は、僕が仕事柄やってる、言わば職責に伴う業務にすら、感謝なんて抱いてしまうほどに雑な扱われ方をされてきた人だったのを。
咄嗟に、彼女の名を呼ぶ。
「萌木さん、これは萌木さんが当然受けられる権利なんです。一般市民の皆さんの平穏で安心な生活を守ることが、僕達地域包括不可思議現象対策課の職務なんですから。頼ってくださって大丈夫です」
できるだけ誠実に、安心してもらえるようにゆっくり語り掛ける。
すると萌木さんがにこっと笑った。
「ありがとうございます。凄く、安心しました……!」
泣き笑いのような表情に、重々しく頷く。
そんな僕に、萌木さんは目じりを拭いながら唇を尖らせる。
「でも染谷さん、女の子に『守ります』とか『心配させてほしい』とか軽々しく言っちゃ駄目ですよ。お仕事で心配してくれてるの解ってるのに、ドキッとしちゃうじゃないですか!?」
「え? 萌木さんが心配だし、ずっと心配したいのは、仕事とは関係ないんですけど……?」
あれは完全に個人的に心配ってだけだ。
きょとんとしている僕とは対照的に、萌木さんの首から上が真っ赤になった。
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